日本明慧


正念と縁

 文/河北省承徳市大法弟子

 法を正す時期の修煉が我々に告げるには、常にそして何処においても正念を保持することによってのみ、私達は師父の按配した過程に従って三つの事を良く行なう機会を持つことが出来、法を正すことにおいて師父を助けることが出来る。これは全ての事において、相手の事を思慮することが要求される。無私無我の境界に達し、大法を実践実証し、更に衆生を救う機会の一つ一つを掴み、一体となって昇華する。

 2004年の秋の事件がまだ記憶に新しく残っている。私は丁度師父の経文 "法を正す中で必要なのは正念であり、人心ではない" を読んだばかりで、同修とそのことで討論した。私の屋台店を去ろうとした時(品物の配達の為に)、一人の年配の女性が、林檎の入った大袋を持って入って来た。彼女はとても疲れて、焦っているように見えた。息が荒く、汗だらけの顔をしていた。私達の前に立ち止まり、自分は親戚の者を探して町へやって来たが、迷子になってしまったのだと言った。私は品物の配達のことだけを考えて、躊躇った。しかし同修A は、即座にその女性の林檎の入った袋を取り、彼女を導いた。

 二人が去って行くのを見て私の心は突然震えた! 私は同修の思想の境界と私の利己心との差に気付いたのだ。私は何故腕を組んで見ていたのだろう? 彼女が私の処へ来たのは縁があったのだ。人を救うことは緊急を要する! 私は品物を置いて、自転車に飛び乗り、彼等に追い付こうと急いだ。

 私達は交代で林檎の入った袋を運んだ。彼女が感謝を示して私達を見た時、真相を伝えた。彼女は、自分の家族の者の一人が法輪功の修煉をしていたが、邪悪の宣伝報道に迷わされたと言った。私はこの縁の重要性に気付き、これは師父がこの修煉者が落ちないよう按配したのだと悟った。私は自分の使命の重大性を感じ、それを成功させる決心をした。

 目的地に到着し、彼女の妹に会った。その顔には見覚えがあった。彼女は以前私と同じ煉功点に居た同修Bであった。私達は5年も会わなかった。彼女は煉功をし、時折正念を発することはしていたが、真相をどう伝えたらよいのか分からず、師父の新経文の文字を全部読むことが出来ず、長い間他の同修と交流が無かった。私は直ちに、持っていた師父の経文の幾篇かを彼女が読むのを助け、法を正す時期の修煉の意義と緊急性、正念の発し方、何の為に真相を伝えるかを、彼女と交流した。同修Bは、夢から醒めたように、必ず法を正す過程に追い付くだろうと言った。彼女は又、姉が住む実家のある町へ戻り、幾人かの同修が表に出て、法を正す流れに加わるよう助けると言った。

 その後、彼女の町の同修達は、今では師父の新経文や明慧ネット、真相資料を読むことが出来る。この一連の縁と好転機は、一念を正すことによって生じた。自分を正すことが、旧勢力の除去、法を正す使命の履行、そして多くの衆生の救世済度をもたらしたのである。一念を正すことには、それ程の重要性がある!

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2005/4/27/100519.html

(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2005/5/5/60344.html