日本明慧


いかなる時も乱れず

 
 【明慧ネット2005年5月3日】2001年1月のある日、私は用事で遅くなってしまい知り合いの学習者の家に泊まることになりました。床についてしばらく経つと、住まいであるマンションの下の方から騒ぎ声が聞こえました。そして、大勢の人が階段を上がって来る音が聞こえました。すると、ドアを強く叩きながら、「早く開けなさい!」と叫ぶ声が聞こえました。真相の資料は安全な場所に収納したのかを彼女に尋ねると、問題ないと答えました。その時、ドアの外側には、どんどん人々が集まり、今にもドアが打ち破られそうな状況になっていました。悪徳警察のこのような行為は、マンションに住んでいる人々にも迷惑を掛けているのです。その時は、彼女もとても怖がっていましたので、「師父は私たちのそばにいるのよ。何も怖くないわよ」と言ってあげました。

 警官らは、彼女の家族がドアを開けるまで、ずっとドアを叩いていました。ドアが開かれるやいなや、ドアを脚で蹴りながら、二人の婦人警官が部屋に入り込んできました。そして、私たちに服を着るように命令しました。部屋を出ると、盛んに写真を撮られ、派出所に連行されました。途中、一人の婦人警官は私の腕を引っ張ったり、大声で喚いたりしていました。そこで、私は「放して!何も悪いことはしていないわ!犯罪もしていないのに、なぜそんなことをするの?」と言いました。するとその婦人警官は、すぐに手を放したばかりでなく、喚くことも止めました。

 派出所に到着すると、私たちの身柄を確認し、私の通信ノート、BB機と所持金800元を没収した。その後、私たちは別々に不法な尋問を受けた。私は、名前、年齢、住所、身分証明書番号を聞かれましたが、「私は抗議します!あなた達は、不法に私の所持品を奪っています。これは、法律を知りながら犯罪をしていることです!私のものを返して!」と言いながら、ずっと尋問担当者の後ろに付き添った。そこで、オフィスの机の上に、新聞紙で包んである私の所持品を発見し、自分の袋に入れました。警察は何も言わずに、私の通信ノートのみを奪っていった。私は全ての質問に対し、回答を拒否したため、彼らは何も情報を得られませんでした。

 「私たちは、“真・善・忍”を守る良民であり、このようなところにいる訳にはいかない」と思い、無事に脱出できることと、連絡ノートが無事に戻ってくるよう、心から師父にお願いしました。連絡ノートには大勢の学習者の電話番号が載っているため、すごく心配していました。私がどのようにしたら良いか迷っているところに、彼女が突然「吐き気がする!」と言い出したのでした。ちょうど朝の4時過ぎでした。そして、彼女をオフィスの出入り口へと連れて行きました。そこで、警察が連絡ノートをあるファイルに入れ、別室へと持っていくのが目に入りました。私は彼女の背中を軽く叩きながら、「機会を見つけて脱出しましょう」と呟きました。彼女はうなずいてはいましたが、ちょっと不安であると言いました。ちょうどその時、連絡ノートが置いてある部屋のドアが開いていたので、私は落ち着いてその部屋に入り、連絡ノートが入っているファイルを速やかに探し出しました。そこで、ファイルから連絡ノートを取り出し、学習者の電話番号が記載されているページを破り、口に含んで、トイレに流しました。

 しばらく経つと、警察は拘留証明書を持って来て、彼女を連れて行きました。そこで、部屋には、警官二人と私が残されました。警官は引き続き同じ質問を繰り返しましたが、「私はどんな質問にも回答を拒否します」と言いました。また、「私は何としても外に出たいのです。彼らが寝てしまうようにしてください。どうかお助けてください。」と心から師父にお願いした。当時、朝6時前でしたが、二人の警官の内一人が眠そうで、しばらく経つとすぐ寝てしまいましたが、他の一人には眠気は無いようでした。私は、彼らの行為は不法に良い人を監禁する行為である、といったことを話しましたが、この警官は新聞を見ながら無視していました。そこで、「この人が寝たならば、脱出することができます。この人をすぐ寝かせてください」と心からお願いしました。

 この言葉を数回繰り返しましたが、その警官は依然眠くは無いようでした。しかし、ずっとこの言葉を繰り返しました。すると、しばらく経つと、その警官は目を閉じて、寝てしまったのです。私は、音を立てにようにゆっくりと、机の前に行き、彼らが書いた調書を持ち、その部屋を出ました。部屋を出ると、すぐにゲートを見つけることができました。このように、私は師父の保護下で、無事に脱出することができました。その後、他の学習者に、私と一緒であった学習者が、不法に逮捕されたことを知らせました。これにより、他の学習者の安全を守ることができました。

 このことを通じて、「どんなことに出会っても、心が正しければ、また、どんな状況であっても、自分を絶えず修正し、法に圓容するならば、私たちは修煉の道を正しく歩むことができる」と言うことを悟ることが出来ました。このことは絶えず法の勉強を続いているからこそ、できたことと思っています。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2005/5/3/100992.html