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黒龍江泰康県李紅英氏がハルビン市戒毒所の迫害により死亡

 【明慧ネット2005年5月4日】黒龍江省泰康県大法学者李紅英さんは2005年2月中旬に、ハルビン戒毒所から帰って来てもずっと出血していた。過去一年、戒毒所にいる一年間も、出血は続いていた。にもかかわらず強制的に働かさせられ、その上、彼女は各種の刑具による迫害を受け、全身浮腫になり、出血が止まらないので、生命の危機を感じた悪警察官らは、家族に迎えに来るように知らせた。3月26日に、彼女は冤罪が晴れないまま死亡した。

 李紅英さんは生前に「正念が不足したので、恐怖心が現れ、邪悪につけ入れられ、修煉する道で繰り返し転んだり、起きたりした教訓を書き出したい。今はやっと旧勢力の手配した事を承認しない事が分かった。心の底から細胞まで承認しない事、全ての旧勢力と徹底的に決裂する。歴史上に約束があるかどうかはかまわず、一切承認しない。只、師尊の示した道をまっすぐ行き、尊師について家へ帰ります。」と言い残しました。

 以下は、李紅英さんが生前ハルビン市戒毒所で遭遇した迫害を述べました。

 私の名前は李紅英といい、黒龍江省泰康県に住んでいます。97年に大法を修得しました。1997年7月20日後、数回不法に看守所に入れられました。2000年5月13日、外で、集団煉功をしている時に強制的に洗脳させられました。始めは強く拒否しましたが、だんだん顕示欲が現れ、悪魔に利用されたかのように言ってはいけない言葉も言ってしまい、大法にマイナスの影響を与えました。その後、間違いに気付きネットに声明文を発表しましたが、後に三年の不法な実刑を受けて、ハルビン市の戒毒所に入れられ迫害を受けました。

 2002年11月に戒毒所は、なかなか洗脳できない法輪大法の学習者に対して攻撃を始めた。大法を硬く信じる学習者が非人道的な虐待を受けました。寒い地下室に入れて、他の受刑者を利用して学習者の上着を脱がせ、下着のままで窓を開けたままにしていました。学習者の手を縛り、彼らが叫ぶと臭い靴下を口の中に突っ込み、電気警棒で打ったりしました。しかし、正念を強く持つ学習者には電気警棒はうまく使えなかった。ある悪警察官は、「夕べ一晩充電したのに何故使えなかったのか?」と言っていた。又、ある悪警察官は他の犯罪人を利用して学習者にはさみのようなものを使うので、迫害された学習者の身体は全身あざだらけになった。

 楊瑞芹さん(58歳)と丁洪娟さんの2人は、中腰で手を水平にさせ、頭に小さい椅子を乗せた格好を強いられた。椅子が頭から落ちる度に、大きなはさみのようなもので足を強くはさまれたり、電気警棒で打たれたりしました。この姿勢は、刑務所内では“飛行機飛び”と呼ばれています。

 悪警察官に協力した受刑者馬玉芳と張淑玲の2人にも罰が下った。彼らの迫害により1人の学習者が亡くなりました。その後も、もう1人の劉トウ伶という老女もある晩に心臓病が再発して死亡しました。当初は彼女の体重は75㎏あったが、その後断食しながら真象を伝えたので、悪警察官にむりやり口をテープで塞ぎ、鼻からチューブで強制的に流動食を流し込まれ、死亡しました。悪警察官隊長の李全明は劉岩と王栄梅の二人の受刑者に、彼女の遺体をこっそりと運び出すように命じました。本当に見ている事が出来ない場面でした。

 また張桂香さんも、迫害により寝たきり状態になりました。彼女の体重は40㎏にもなっていまい、トイレに行くときも、他の学習者がおんぶしてつれていった程です。彼女は約1ケ月後に釈放されました。

 又、私が刑務所の中でかくれて経文を読んでいた事を発見され、冬の地下室に一晩入れられました。それからというものは生理不順になり、生理痛が続きずっと出血していました。夜にトイレに8回も行くことが半年も続き、その後大量出血したので、彼らはついに私を病院に連れて行きました。私の身体は腫れ上がり、至るところに病巣があり、医者は私の身体の写真を撮りました。最後に私はハルビン医大に送り込まれました。医大の医者は、「この人はいつ死んでもおかしくない状態だ。」と言いました。ハルビン戒毒所は責任を負いたくない為に、私に輸血と酸素吸入を施し、治療の為の保釈という名目で私の家族を呼び、家に帰らせました。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/5/4/101084p.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2005/5/14/60738p.html