日本明慧


時間に対する執着は、極めて良くない執着である

 文/大陸大法弟子

 【明慧ネット2005年3月8日】時間に対する執着は、極めて良くない結果になる。それは円満、名、利、情に対する執着とつながり、法を正すことに大きな妨害、破壊を及ぼすからである。その表れとしては、早く円満したい、早く名誉回復してほしいと思い、迫害を早く停止させ、自由、快適な時が早く来るようにいつも考えている。特に、難に遭った時、そういう考えが現れることがとりわけ強い。

 このように執着した結果は極めて大きな害をもたらす。時間を気にするので、いつも推測して、また臆断によって物事を行うことになり、理性を失い、さらに邪悪にすきに乗じられる。物事を行い問題を考える基点が、潜在意識に、そろそろ終わる、残りの時間がもう少ない、こんなひどい目に遭うのはもう長く続かないと常に思い込むことである。表れとしては、結果を気にせず、安全を考慮せず、常人社会の状態に合わないことになる。その後予想した結果にならなかったら、気落ちし、怠慢になり、ひいては思想転化されてしまう。

 私は2000年末、留置場に監禁されていた間、他の3人の学習者と一緒だった。2人は北京へ陳情に行く時北京から連れ戻され、私ともう一人の学習者は現地で逮捕された。私たちの間で、時間に対する執着は強かった。当時は旧暦正月の直前で、私たちは想いを交流して、ある学習者は北京に行った着眼点としては、「北京に行かないと円満できないし、みんなと引き離される」、また天目を開いた学習者から、「天安門の上空に師父が設けられた扉があり、そろそろ閉じようとし、行かないと、円満の機会を失ってしまう」と聞いたことであった。この言い伝えは当時はやっていて、私たち4人は多かれ少なかれ信じていた。北京に行けなかった学習者は、北京に円満に行った学習者が円満の機会を掴まえ、それを羨ましく思っていた。またその年の旧暦の正月に迫害が終わると悟っていた。

 私たちは、それぞれ人心を持ち、後数日間の我慢で、そろそろ終わると待ち望んでいた。しゃべったり、笑ったりして、常人のように楽しかった。しかし、20日間の後、正月は終ったが、迫害が終わるばかりか、「天安門焼身自殺」事件が現れた。みんなは失望し、デマに惑わされたと感じるようになった。その後、その2人の北京に行った学習者は、相前後して常人の情に影響され、1人は釈放され、1人は労働教養に処せられた。労働教養に処せられた学習者は私と一緒に監禁され、「北京に行って全てを放棄し、すでに円満になり、表で転化しても良い」という話をいつも散布して、労働教養所でマイナスの作用を働いた。

 私個人は、時間に対する執着により、留置場に監禁された間、ある程度の動揺があった。結構な時間が経ち辛い思いをした後、やっと目が覚めた。教訓は深刻なものだった。

 考えてみましょう。もし学習者が終焉の時間、円満に執着しなければ、旧勢力は、何を元に「天安門焼身自殺」事件を作り出すのか? 師父は《圓満成就に向かって》の経文で、「皆さんが何かに執着すれば、それらは邪悪の徒を動かしそれに関わるデマをはやし立てるのです。」とおっしゃった。もし私たちが、時間と円満に執着しなければ、邪悪は所謂「天安門焼身自殺」事件に“円満”というスローガンを叫ぶシーンを作ることができるでしょうか。特に、今日法を正す進展は悪党の本質を暴露し、世の人を救い済度する時期になり、もし私たちは、真相をはっきりと知らせず、時間に執着し、悪党を憎むといった人心を持っていれば、再び邪悪に隙に乗じられ、それに合わせてデマを飛ばし、世の人を騙し、多くの学習者に言い訳さえ言えなくなるのではないか。それなら、私たちは、大法弟子の法を正す全体に人為的に魔難を作ったのではないか。

 師父は「一人の修煉者に圓満成就したいという願望があっても間違いではありませんが、心を法に置き、絶えず修煉していくうちに、思わず圓満成就の基準に達するのです。特に苦痛に耐え切れなくなった学習者に、この世を離れ早く圓満成就したいという考えが最も生じやすく、そのため邪悪勢力に隙を乗じられました。」《最後の執着を取り除く》とおっしゃった。

 この経歴を振り返ってみると、沈痛に思うと同時に、時間、円満に対する執着は、実は極めて大きな妨害であり、自分にも他人にも害を及ぼし、断固として取り除かなければならない。今日、師父は法を正す進展を再び推し進められた。一部の学習者は、誤解、錯覚を生み、常人の心で問題に対応し時間のことを考え、そろそろ終わると思いせっかちになり、世の人を済度することより個人の利益を先に置いてしまう。これは、最も邪悪に弱みにつけこまれやすい。この時こそ、私たちが執着を放棄できるかどうかの試練でもある。随時に自分の潜在的な執着を調べ、師父がおっしゃった「皆さんが純粋で浄らかな心の状態の下で行なうことこそ、最も良い事であり、最も神聖なことです。」《再認識》のように物事を行うべきだと思う。

 個人の所見であり、不適当なところは指摘してください。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/3/8/96875.html

(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2005/3/18/58553.html