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迫害により不具となった王新春さんは、再び不法監禁された(写真)

 文/黒龍江省法輪功学習者

 【明慧ネット2005年4月28日】迫害により両足が不具となった黒龍江省伊春市豊茂林場の法輪功学習者王新春さんは、2005年4月9日午前、靴修理屋で再び連行され、人間の地獄と言われる金山屯留置場に監禁された。王新春さんは2001年に、公安局の610事務室の元主任孟憲華、悪徳警官王維(女性)に迫害され、両足が不具になり、歩く時は、膝で這っていくしかできなくなった。王新春さんのお母さんは巻き添えとなり、3年の刑罰を言い渡され、残酷な拷問を受けた。迫害により、今お母さんは歩くのが難しく、自立できなくなった。

 王新春さんのお父さんは年を取って体が弱く、不具になった息子の世話をしながら、歩くのが困難な妻の世話もしている。その上、巻き添えとなり、中共政府による非人道的な苦難に耐えている。家族三人は毎月60元の低保費(最低生活保障金)で生活を維持している。善良な人たちからの送金は、610事務室の悪人に引き出されてしまい、王さんはもらうことができない。王新春さんは陳情し、訴えていたが皆、拒絶され、受理されないままである。そこで靴修理屋で靴の修理をして生計を維持していたが、再び連行され監禁された。

 法輪功学習者王新春さんが一日も早く自由を獲得できるように、この情報を知った学習者と社会の正義感を持つ人々が、救済の手を伸ばしてくれることを願っている。

 一、靴を修理して生計を維持していたが、連行され監禁された

 王新春さんは、元々は身心共に健全な人だった。ただ法輪大法“真・善・忍”を堅持し、中国共産党江氏ごろつき集団による洗脳を拒絶したため、残酷な拷問を受け、不具になってしまった。王新春さんは、母親が労働教養所から釈放され弱くなった体を見て、心が痛んだ。息子として親孝行すべきだが、自分にはできない。一人前の男としては、両手と両足で3人家族の家を支え、両親に一家団欒の楽しみを味わってもらうはずだったが、それを実現することもできない。自分自身が迫害を受けているが、両親も巻き添えとなり、苦難に遭うはめになった。王新春さんは、心が痛くて眠れない。しかしこれは、王新春さんの間違いではなく、真・善・忍を選択するのは、人生の最もすばらしい道である!

 王さんは、今の社会の暗黒に憂慮している。彼は、生計を維持する道を探している。一人でも多くの人に迫害の真相を伝え、無知で、悪事を働いている人を早めに目覚めさせ、犯罪を停止し、救い済度される命になるよう、王さんは頑張っている。少しでも両親の苦痛を減らすためでもある。王さんは、善良な人に靴を修理する技術を教わった。両足で、歩けないが、両手で両親を養い両親を慰めて、三人家族が飢え死にから免れるようにと思っている。

 王さんの無残な経験、親切で誠実な姿、苦難に遭う時の固い意志は、良識のある、優しい心を持つ人たちに同情され感心された。皆は、名前も言わず、お金を出してあげたり、力を貸してあげたりしてくれたので、靴修理用の道具はすぐに揃った。王さんは、師匠に靴修理の技術を真剣に教わった。

 しかし、ただ何日間と、林場の悪人は、あちこち王さんの行方を捜し、すぐ、金山屯公安局に報告した。金山屯公安局の610事務室の主任肖靖宇は、3人の警官を連れ、2005年4月9日に、靴修理屋に侵入し、王新春さんを金山屯団結派出所に連行した。王新春さんに技術を教えた師匠も一緒に連行された。通りかかって靴修理屋にちょっと寄った金山屯の法輪功学習者汪志謙さんも一緒に連行された。数時間の後、靴修理屋の師匠と汪志謙さんは釈放されたが、王新春さんは、強引に林場に送り込まれた。林場は受け取らないので、悪警官肖靖宇は王さんを留置場に監禁し、迫害を加え続けた。

 悪人は王新春さんが豊茂林場を出ることを恐れている。それは、豊茂林場の人たちは、王さんの迫害された脚を見たことがあるが、金山屯区の人たちは王さんの迫害された事件を知っていてもまだ王さんの脚を見たことがなかったからである。王新春さんは、金山屯区で、靴を修理していた何日間に、民衆は王さんに同情し、悪事を働いた警官を指摘し、王さんの迫害された事実を信じている。悪警官は、非常に恐れ、再び王さんを監禁した。

二、悪人が一度ならず何度も暴行を施し、不具となった足に新しい傷が増えた
王新春さんは迫害により、不具となり、両足が脱落(2004年明慧ネット報道写真)

 今、王新春さんの両足の傷は、癒合できず、足の骨が一塊ずつ脱落しており、足の骨がむき出しになっている。毎回悪徳警官などが王さんを殴打する時、新しい傷をつけてしまう。王さんは、毎回激しい痛みに耐えている。

 金山屯公安局の610事務室の主任肖靖宇、警官王守民、林場長高慶国、書記陳重は、王さんをひどく殴打し、もしくは他人を唆し、王さんを殴打していた。王新春さんの両足からは絶えず血が流れ、十数日も止まらなかった。2005年1月〜3月の間、豊茂林場の数人の悪人は、何回も王新春さんに暴行を加えた。蹴ったり、殴ったり、お湯で火傷させ、首を絞め付け、ライターで火傷させたりした。林場の副場長劉広民は、ほうきで、王新春さんの両足の切れたところを力強く殴り、不具になった足から血がとめどなく流れた。

 王新春さんは、人間には理解できない忍耐力、超常的な強い意志、善と忍の心を以って、苦難に耐え、無知で悪事を働いている命を寛大に許している。

 王新春さんは、1998年病院で膵臓[すいぞう]癌を患っていることが診断された。法輪大法を修煉してから、膵臓[すいぞう]癌が全快した。大法から新しい命を獲得した王新春さんは、様々な苦難に耐え邪悪を恐れず、自分の経験を以って確固と真相を伝え大法を実証してきた。1999年7月20日に北京に陳情に行き、不法に一年の労働教養を下された。修煉を堅持するため、不法に半年、刑期を伸ばされた。労働教養所で、ずっと迫害を受けており、5昼夜も動かずに立たされ、この間、ご飯も与えられなかった。その後ようやく少しのトウモロコシのおかゆをもらえた。両足が腫れてしまい靴も履けなくなった。労働教養所の警官は、王さんを殴るよう囚人を唆した。

 王新春さんは、労働教養所から釈放された後、ある日真相を伝える時、悪警官に尾行され、悪徳警官孟憲華、女性警官王維、元林場長王長岐に迫害され、両足を失ってしまった。その後、王新春さんは、足の代わりに膝で歩くようになった。

 王新春さんが迫害された詳しい状況は、明慧ネットの報道を参考に。
《私の両足はなぜ脱落したのか?》
http://www.minghui.org/mh/articles/2004/6/24/77831.html
《伊春市の悪人は一度ならず何度も暴行を施し、不具となった王新春さんは、悲惨な境地に置かれた》 http://www.minghui.org/mh/articles/2005/4/3/98794.html

三、送金は奪われ、上訴は受理されない

 善良で良い人が、無実の罪を着せられ、非人間的な虐待を受けたことは、善良な世の人々を感動させた。暖かい手は中国の四方八方から差し伸べられ、王新春さんに力と援助を与えようとした。しかし、すべての手紙と送金と郵便小包は、悪徳警官に密かに差押えられた。2005年に1枚ずつの送金届けと郵便小包(一枚は王新春さんの父王風岐さん宛で、一枚は王新春さんの母王桂香さん宛)は、林場長高慶国の運転手薛森林にとって代わって引き出されてしまった。薛森林に返してもらおうとしたが、薛森林は豊茂林場出産管理担当の高玉潔に渡したと言った。高玉潔に聞くと、高玉潔は金山屯区公安支局の610事務室に納めたと言った。王新春さんのお父さんは、裁判所に上告したが、受理されなかった。

 王新春さんは、被られた無実な罪のため、真相を知らない民衆のために、伊春市と伊春市金山屯区へ陳情に行き、人々に法輪大法の不思議さを説明し、法輪大法のすばらしさを伝え、法律関連部門に、自分の受けた惨い迫害を訴えた。しかし、邪悪な霊に制御された社会に、善良な民衆の声を聞くところがあるのだろうか?王新春さんが、伊春市金山屯区人民代表大会に陳情に行ったら、入らせなかった。金山屯区公安支局610事務室の悪徳警官肖靖宇は他の悪徳警官を連れ、王新春さんを連行し、ひどく殴ったりした。王新春さんが、裁判所、検察院に訴えの手紙を送ると、金山屯区公安支局610事務室に、「この手紙はどうやって郵送したのか」と自白を強いられた。王新春さんは、伊春市裁判所、検察院まで這っていって訴えたが、受理されなかった。王新春さんは、伊春市陳情局に行ったが、陳情局は王新春さんを連れて帰るように王新春さんの会社に連絡した。

 王新春さんは、林場長高慶国に2000年にむりやりとられた500元のお金を返してもらいに行った。高慶国は返さないばかりか、王新春さんをひどく殴った。また部下に王さんを殴るように指示を下した。王新春さんは、お金をもらいに行くたびに殴られた。悪人高慶国は、失業者に王新春さんを監視させるよう手配した。王新春さんは、何度もこの人に殴られた。車椅子は踏みつけられ壊され、王新春さん本人も深さ2mの溝に突き落とされ、足が再び重傷を負ってしまった。

 善良な人々よ!真善忍に従い良い人になろうとするのは、間違いではない。法律に違反し罪を犯すことでもない。良い人が投獄され、悪い人が横行していて、民衆は生きる道があるのか?善と悪を見極めて、正念を立て邪悪を抑制し、善良な心で苦難を嘗め尽くした良い人王新春さんに関心を寄せよう。皆一丸となって、迫害の停止に努めよう!悪人が悪事を働くことを直ちに止めさせ、民衆に生きる道をあげよう!

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/4/28/100635.html