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追憶:師父が法を伝えられた時のこと
—師父の伝法13周年を記念して

 

 文/長春大法弟子 法来

 【明慧ネット2005年5月12日】私は1992年に法を得た大法弟子です。この13年の風雨の中で、師父の慈悲なる加護がありましたからこそ、私は個人修煉と正法修煉の道を今日まで歩んでこられました。

 師父のお誕生日が到来する時、故郷の大法弟子は師父のお誕生日をお祝い致します!現在弟子は更に師父が恋しく、いつも当年、師父が法を伝えられた時の幸せな思い出の中にふけっています。師父の伝法13周年を記念する時、私はこれらの思い出を書いて、同修らと共に分かち合いたいと思います。

 一、 師父は私達のために、煉功場所を選んでくださいました

 1992年の秋、師父は長春で第4回目の伝法班を開かれました。ある日曜日の朝、師父は私達が煉功しているところに来られました。当時、私達は林の中で煉功していました。師父は一周回り、林を出て、一つの小さい花園に行かれて、「ここはとても良いところです。ここで煉功しなさい。」といわれ、そこを浄化してくださいました。

 この時、林の中では他の気功をやっている人がいましたが、師父が花園にいらっしゃるのを見て、みな寄って来ました。師父に病気を治してくださるようにお願いしました。師父は「良いです。みな一列に並んでください。一人に一つの病気を治しますので、心の中でどの病気がなくなってほしいか思ってください」とおっしゃいました。そして、人々は長い列に並び始めました。師父は一人ずつ病気を治療してくださいました。およそ2時間経っても、列は短くなりませんでした。この時、ちょうど一人のおばあさんの番になりましたが、師父は、「あなたは既に一つの病気が治りましたから、これは二回目になります。今日はここまでやります。私達は縁があるので、みなに一つの病気を取り除いてあげました。全ての病気を治したい場合は、今後この花園に来て法輪功を煉ってください」とおっしゃいました。

 二、 師父は銅の仏像を開眼してくださいました

 私は法輪大法を修煉する前は、敬虔な仏教徒でした。菩薩戒を受けた居士で、数年もこつこつと修めていました。然し自分が知りたい仏法は悟れず、しかも廟も浄土ではないことを見ました。法輪大法を修煉してから、宇宙の法理がはっきり分り、宇宙の特性真、善、忍は最高の仏法であると知りました。そして、私はすべての経典を仏教徒にプレゼントし、法輪大法を修煉する道を選びました。只、師父が自ら開眼してくださいました、数体の銅の仏像だけを残しました。それは1993年の春のことでした。私はカバンに数体の銅の仏像を包んで入れ、北京へ出発される師父の見送りに行きました。マイクロバスで駅に移動する途中、私は師父に銅の仏像を開眼してくださるようにお願いしました。師父は銅の仏像を一体ずつ、順次自分の大蓮花手印の中に置き、二分も立たない内に全ての仏像を開眼してくださいました。私は開眼された銅の仏像をまたカバンに入れ、背中にしましたが、当時カバンのなかから熱が発せられているのを感じました。私は体全体も熱くなりました。然し、以前この数体の銅の仏像は廟でも開眼されましたが、こんな感覚はありませんでした。

 師父は当年、伝法される時、とても苦労されました。全国各地にいらっしゃって伝法される時、いつも汽車を利用されました。毎回師父がよその土地から伝法が終わって帰って来られる時、私達は出迎えに行きました。汽車がプラットホームに入る時、師父は非常に遠い所から私達に手を振ってくださいました。汽車から降りると私達一人一人と握手してくださり、とても親切でした。師父はいつも「あなた達に会うととても嬉しい」とおっしゃいました。数日後、師父はまた法輪大法を広め、衆生をあまねく済度するために、急いで出発されました。私達が駅に見送りに行き、別れを惜しむと、師父はおっしゃいました。「あなた達の一人一人の後ろにはみな私の法身がいます。良く修煉しなさい。私はあなた達と離れません」と。汽車が出発しようとする時、師父はドアのところに立たれて、私達に手を振ってお別れを言われました。汽車はゆっくりとプラットホームを離れ、駅を出ました。私達はまた師父が帰ってこられるのを待ち始めます。師父が海外に行かれて、伝法される時、私達は空港へ師父の見送りに行きました。飛行機が離陸し、師父はまた出発されました。私達はまた師父の帰ってこられる日を待ち始めます。私達はこうして、1998年の7月26日まで、毎回師父を見送り、また出迎えました。今日も私達は師父が帰ってこられる日をずっと待っています。

 三、 師父は車のタイヤを交換してくださいました 

 1994年の夏、師父は地方で伝法班を開かれました。最後の日に私の連れ合いが私達の向かへに来きました。師父が全ての質問にお答えされた時、既に21時でした。私達は師父、師父の母上、師父の妹と共に、合わせて10人で、弾丸の車に乗って、長春に戻りました。道路の地面の状態が良くなく、また街燈もなかったのです。運転手さんは道路を離れて、車にオイルを入れる時、不注意で車のタイヤが突き刺されました。運転手さんは背が低く、子供のような顔をしていて、タイヤを下ろす力はありませんでした。その時、師父は自らタイヤを交換され始めました。師父はらくらくと突き刺さったタイヤを下ろし、素早く予備のタイヤをセットされました。その後、師父は手を叩かれて、「もう終わったから車に乗りましょう」とおっしゃいました。この時、私は慌てて、師父が手を洗えるようにミネラル・ウォーターを取り出しました。師父は「私はこう手を叩くと手が綺麗になります。土なんか少しもつきません。少しも汚れないので、洗う必要はありません。」とおっしゃいました。この時、私はある同修が私に言った言葉を思い出しました。彼女はこう言いました:「あなたは、師父の洋服はいつも汚れていないことに気が付いたことがありますか?いつもとても清潔できちんとしています。あの白いシャツの襟と袖口をみなさい。いつもとても清潔で、少しの黒い跡もありません。この数年間、師父はいつもその1足の皮靴を履いておられましたが、いつも新しい靴のようで、土もつきません、……」この人が私達の師父です。私達は師父と共に同じ車に乗っていて、無比の幸福と幸せを感じました。師父がゆっくりと休めように、私達はだれも師父の邪魔をしませんでした。只私の娘だけが運転手さんが眠るのを恐れて、たびたび小さい声で運転手さんと話をしているだけでした。私達はこうして、静かに師父の慈悲の中にひたっていて、師父と共に家に帰りました。


(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2005/5/12/101651.html

(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2005/6/1/61412.html