日本明慧


北京工業大学実験研室の上級エンジニアの徐秀玲さんが死亡

 

 【明慧ネット2005年6月5日】北京工業大学環境化学学院の上級エンジニアの徐秀玲さんが長期に警察側に監視され、学院の入口の受け付けをさせられ、旦那さんも巻き添えで転勤させられた。徐秀玲さんは精神と物質の二重の差別と迫害の下で、2005年4月30日に冤罪が晴れないまま亡くなった。

 徐秀玲さん、50歳ぐらいの女性、北京工業大学環境化学学院実験室の上級エンジニア。1999年7月20日以後、法輪大法の修煉を続けた。2001年の上半年、北京市公安局、高教システムと学校側は不法人員に協力して、強制的に徐秀玲さんを北京市「法制訓練センター」の洗脳班へ送って拘禁して迫害した。

 数十日間の残酷な洗脳の中で、徐秀玲さんは終始一貫として真善忍を信仰して、「三書」を書かなかった。彼女が言った最も多くの言葉は「法輪大法は正法だ」であった。不法人員はまた彼女を労働教育に判決した。しかし血圧が不正常であったため、労働教養所は受け入れることを拒否した。当時一緒に不法に労働による再教育にされた北京工業大学の教師もいた。

 徐秀玲さんは北京工業大学へ戻された後、長期的に警察に監視されるだけでなく、学院の受け付け番をさせられた。一緒に北京工業大学で仕事をしていた旦那さんも巻き添えで転勤させられ、甚だしきに至っては監視され、自らの妻も監視させた。数年以来、徐秀玲さんはずっと各種の機会を利用して各部門、学校の保安室と各級学校の指導者、同僚と公安方面に無実の罪の実情を訴え、真相を伝え、元職に戻るように要求し、結局このでたらめで不公平な待遇にあった。

 徐秀玲さんの申し立てと要求は多くの人士の同情と関心を引いた。しかし関係部門に拒絶され、そして各種の言い訳で迫害が続いた。徐秀玲さんは数年間、抑圧と監視の中で生活した。精神と物質の二重の差別と迫害の下、徐秀玲さんは2005年4月30日に冤罪が晴れないまま亡くなった。


(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2005/6/5/103390.html