日本明慧


大法小弟子の私も法を証明したい

 文/大陸大法小弟子(母親より記録整理)

 【明慧ネット2005年6月2日】当時私はまだ小さく、面倒を見てくれる人がいなかったので、母が私を煉功点に背負って行ってくれました。大人達は私がまだ小さいと思い、私に気をつける人はいませんでした。しかし、私は師父の全ての説法の内容を聞いて心にいれました。五、六歳の時、私は周りの子供達を家に連れてきて、一緒に師父の説法と教功ビデオを見ました。母がやっていたように、子供達に動作を正して、彼らに師父の動作の通りにするように教え、まわりの多くの子供達が法を得て、修煉することができました。一部の子供は自宅に帰ると、両親に告げ、また両親を連れてきて大法を学びました。

 迫害が始まり、テレビとラジオで私達を誣告し始め、公安局、街道、両親の勤務先などはいつも我の家に来て恐喝し、脅かしました。また家宅捜査をしました。私は何度も両親がきちんと置かなかった大法書籍を私の机に入れました。警官は私が小さかったので、注意しませんでした。

 流言と弾圧により、一部の同級生と子供達はテレビとラジオなどのマスメディアを信じて、法輪功の悪口を言いました。私は私と遊んでいた子供達を自宅に連れてきて、彼らに真相VCDを見せました。見るうちに、子供達はみな分ってきました。「共産党は残酷すぎる」、「あ、法輪功はそもそも迫害されたんだ」と言う人もいました。

 一回私は真相ビラをクラスに持って行きました。同級生らはみな争って回覧しました。担任先生はまたビラの内容を黒板に写し、みなに見せました。

 大人達は新しい経文や大法資料を持っていくのに不便な時もあります。その場合、私は一枚ずつ送ったり、または取りに行きました。大人たちがビラ配りに行き、横断幕をかけに行く時、私も一緒に行きます。ある時は、歩く時間が長くて、脚がは腫れました。でも、私は苦しいと言いませんでした。私は一人の子供と一緒にスローガンを貼りに行ったことがあります。背が低くて、私達が貼ったスローガンはとても低いものでした。私達は柴の塀の突き出た部分の上に登って、スローガンを大きい壁に貼りました。私は小さい時から多くの特殊な作用を働きました。何回か公安局はとても厳しく大法弟子を逮捕していました。大人達は捕まえられたり、監視されたりして、自宅の資料をタイムリーに配ることができませんでした。私は五、六人の子供達を連れて、一人ずつ一定の真相ビラを持ち、一人が数棟を担当し、1家1家に送り始め、すべて配ったらみな一緒に集まり、また家にビラ取りに行きました。半日くらいで数百枚のビラを配りました。私と子供達はみな熱くて、顔に汗が流れましたが、疲れたと言う人は誰もいませんでした。

 ある夜、私は母と一緒に辺鄙な地区にビラ配りに行きました。私は母と一緒にビラを配りましたが、常に一人は暇で、とても配りが遅かったのです。そして、私はママと別れて、一人で配りました。最初、母は安心できなかったのですが、私の様子を見て、母も安心しました。暗くて、不熟なところだったので、私は歩きにくくて、靴は泥の中にはまりました。また犬を飼っている家も多く、犬が吠えると私は少し怖かったです。でも、師父のことを思い出すと怖くありませんでした。初めに私は母に会えなくなり、道を迷ったらどうしようかなと心配しました。でも、最後の一枚を配り終わって、顔を上げると丁度母が目に見えました。

 私は、私が知っている同級生、子供達に「法輪大法は素晴らしい」と教えました。大法を攻撃する人、大法弟子を迫害する人が見えると、私は正念を発して、取り除きます。同時に師父に加護をお願いします。ある日私は一人で横断幕かけに出かけましたが、ある一人がいつも周囲で行き来していました。私が正念を発すると、その人はすぐそこを離れました。私は旗を良くかけました。「法輪大法は素晴らしい」と書かれた旗を見て、私は楽しく笑いました。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2005/6/2/103155.html