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夫と子供は連行され 内モンゴルの王淑艶さんは冤罪が晴れないまま死亡

 【明慧ネット2005年6月12日】内モンゴル通遼市43歳の大法学習者王淑艶さんは、2004年3月に連行された後に、正念を持って逃げ出した。通遼市の公安人員が不法に家財を差し押さえた後に、彼女の夫・李殷傑さんと娘さんを連行した。そして懸賞をかけて王淑艶さんを指名手配した。王淑艶さんはしかたなく路頭に迷って、旧暦2005年正月21日冤罪が晴れないままで死亡した。

 王淑艶さんの家庭はかつて「病魔の家庭」と言われ、夫の李殷傑さんは通遼市刑務所の警官であった。20数歳からB型肝炎を患って、3回目に再発した時、現地の伝染病病院の院長は「他の病院へ移してください。私はもう治療することができない。」と言った。北京のB型肝炎研究所の人は「治癒率は1パーセントかもしれない。個人は1回限りで何万元の治療費を出さないといけない。」と言った。そのとき、李殷傑さんは185cmの身長で、体重はたった65kgしかなかった。王淑艶さんは、精神と経済の面での圧力が大きすぎて、貧血や、婦人病に罹った。一年中寒く感じ、手足は冷たくて氷塊のようだった。1998 年の3月、李殷傑さん一家は幸運にも大法を得て、法輪功の修煉を通して、全家族の体はみな健康になった。李殷傑さんの体重は65kgから83.5kgまで上がった。歩くのも元気で、誰も彼を見たら、みな法輪功が彼を変えたと言った。

 法輪功が迫害を被った後も、王淑艶さんは法輪功の修煉を続け、法輪功の真相を説明した。2000年に現地の凶悪な警官に連行され、不法に労働による再教育3年を言い渡された。2004年3月15日、外で法輪功の真相資料を配っていると、現地の巡査に通遼市公安局まで連行された。王淑艶さんは強大な正念をもって、その晩市公安局から手錠をつけたままで逃げ出した。

 2004年3月16日晩、通遼市公安局の凶悪な警官邵軍、王波などは、王淑艶さんの家に法輪功の宣伝ビラがあると言い、彼女の家に突入した。王淑艶さんの夫・李殷傑さんは「私は毎日出勤してとても忙しいから、家にいない。ビラがあるかどうか私は知らない。やはり妻に聞いてください。」と言った。凶悪な警官は破壊的な家宅捜査を始めた。そしてビルの中で大いに言い争って、最後に強制的に李殷傑さんと彼女の16歳の娘・李超君さんに手錠を付けて、公安局まで連行した。李超君さんの手は傷つけられ、今なおまだ傷跡が残っている。

 王淑艶さんは懸賞をかけられ指名手配された。2004年7月に通遼公安局は140数枚の“指名手配令”を出した。夫の李殷傑さんは不法に3年間の刑罰を下され、赤峰市刑務所に拘禁された。

 王淑艶さんはしかたなく路頭に迷い、家があっても帰れなかった。精神の面で深刻に打撃されて、生活の面で苦しい立場に追い込まれたので、だんだん体は麻痺状態になり悪い病状が現れた。旧暦の2005年正月21日に応急手当のかいもなく、冤罪が晴れないまま死亡した。聞くところによると、彼女の娘は世話する人がいなくて、故郷を離れているという。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/6/12/103898.html