日本明慧


法への勉学を重視したことで、危険を乗り越えられた

 【明慧ネット2005年6月2日】私の遭遇したことです。宣伝部で、公安が人を強制連行することが起きました。その最中、私もその場に居り同時に真相資料を手に持っているという状況で訊問を強いられました。緊迫の場面において、常人の態度でもって対応に臨みましたが、一方では潜在的自我(表面的肉体の自分ではなく、修練できた自分だと感じました)が、「師父、助けてください!」(脳内に音声形象を反映しました)と内心で叫びながらも、身が引き締まりました。こうしてボーッとしたままで、公安らが立ち去るまで、気が付かなかったのです。

 師父の《北米での巡回説法》にありますように、“邪悪が彼を殴った時、彼も自分が大法弟子であることを忘れ、師父に助けを求めようということに思い至らなかったのです。また、一部の学習者が師父に助けを求める時も強い恐怖心を抱いています。多くの人は殴られて非常に痛い時に、口の中で「マヤ、マヤ」(注:中国人が痛いと感じる時の叫び声)と叫んでいます。完全に今回の迫害を常人の人間に対する迫害と見なしてしまいました。この時私がその学習者を守りにいけば、旧勢力は承知しません。彼が旧い宇宙の理を守っているからです。” 

 なぜ、同修たちは遭難するとき、師父の救い助けを求めなかったのかと問いかけました。もしかしたら自分自信法に対してしっかりと理解していないのではないでしょうか。当時のような緊迫状態に、救助を求めた表面意識は強くなかったのですが、潜在意識は自然的な救助信号が発信しました。プレッシャーがかけられた多くの場合、恐怖の空気に覆われた中に正念が弱まってしまうせいか、師父のことも忘れがちになりやすいのではないかと感じました。普段の法の学習がわりと多いので、個人修練の時期において、忙しい日々でも連夜僅かな睡眠をとり《転法輪》を2回も書き写しました。2002年以降、真相資料作りの仕事に参加するとともに、家事も忙しい状態で《転法輪》を2回読み通して、新経文がくるたび十回読み通しを重ねました。毎日《転法輪》の一講を学習し、ほかの大法経文も加えました。こうして、家事や歩行や資料作りなど、法を学習し、法を聞き、3−5時間の睡眠時間、さらに1−2時間の睡眠時間の状況とはいえ、このような日課は怠ることがなかったです。つまり、ありとあらゆる法を勉強できる時間を確保しました。そして、何かをやりながら法を学習することより、毎日心を静め穏やかに法の勉学に専念することが最も重要である気がします。

 法を着実に学習できたからこそ、危険を乗り越えられることができたのでしょう。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2005/6/2/103151.html