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馬三家で 董敬哲さんが受けた迫害の体験

 【明慧ネット2005年7月2日】董敬哲さんは女性で、32歳、広告のデザイナーである。1995年、瀋陽財政経済学院経済貿易学部を卒業した。この学院で “優秀な学生”、“優秀な卒業生”と評されていた。しかし、法輪大法“真・善・忍”を固く信じ、法輪功の真相を語り続けたため、2001年5月24日、彼女は会社から拉致され、不法に2年の強制労働教養を言い渡された。2001年7月4日、瀋陽竜山教養所に送られて迫害され、同年12月30日、息も絶え絶えの状態になり、大北刑務所の病院から釈放された。しかし、竜山教養所の警官は、引き続き、度々董さん一家に嫌がらせをし、彼女は仕方なく放浪することになった。

 高蓉蓉さんが竜山教養所の悪徳警官に電気棒で顔を傷つけられ、その写真が暴露されてより、国際社会は激しく揺り動かされた。2004年10月、正義の人々の助けで、病院から見事に脱出できた。しかし、中共の「610事務所」の総責任者・羅幹の指示の下に、遼寧省政治法律委員会、検察院、司法、公安などの部門が協力して、高蓉蓉さんを救出した多くの法輪功学習者を拉致した。董敬哲さんはその中の一員だった。

 2005年3月5日、董敬哲さんは瀋陽市鉄西区国保大隊に拉致された後、2人の男性警官は彼女を鉄の椅子に固定して鍵をかけ、高蓉蓉さんを救出した経過を言い出させようとした。彼女の左手は手錠で青くなり、右手からは出血していた。夜になっても彼女は一言も言わなかった。何も聞き出せなかった警官は上司に報告し、上司は「張士労働教養所の洗脳班に送って、強気を挫いてやる!」と言った。

 張士洗脳班では、元竜山教養所の楊敏らの悪徳警官や、数年前、董敬哲さんを知っていた竜山教養所の犯罪者、及び社会でのいわゆる「幇教団」などを利用して、彼女を多人数で包囲攻撃した。彼女はそれらに抵抗し、依然として姓名や生年月日を言わなかった。3月8日、張士労働教養所の洗脳班の頭目・史鳳友は彼女に健康診断も受けさせず、またいかなる手続きも無いままに、馬三家労働教養所に送った。当時、史は馬三家の警察には「上からの特別裁決があり、彼女を必ず受け入れなければならない」と言った。

 事情を知っている人から漏れたところによると、董敬哲さんは馬三家で精神的、肉体的に非常に残酷な苦しみを経験した。3月、馬三家の警官は彼女を鉄製の寝台に固定し、連続70数本の(500ミリリットル、1日5本)不明な薬物を注射した。彼女はそれ以後歩けなくなった。しかし、ずっと師父と大法を固く信じ、全く邪悪に協力しなかった。断食、断水を続けていたため、警官に乱暴に鼻から食物を押し込まれ、血を吐き、両眼は開けられず、話すこともほとんどできなくなった。

 3月31日から、馬三家は法輪功学習者を再び分け、完全に邪悪に協力しない大法弟子を全員一つの大隊に配置し、隊長の李明玉は「董敬哲は頭がいい、目を開けないし、私たちと話もしない、食事もしない、歩かないし、抵抗して法律の裁きから逃げようとしている」と悪意を込めて言いふらした。所長の蘇境も彼女を脅して「話をしないし、食事もしないのは徹底的に党と政府に抵抗することであり、もう破滅の道しかない!」と言った。

 4月1日、馬三家は信仰を諦めない大法学習者合わせて144名すべてを厳しく管理するようになり、黒いとうもろこしの粉で作ったものを食べさせ、入浴もさせず、服の洗濯も許さないほどで、人間としての基本的権利さえも剥奪した。大法学習者たちはまた集団絶食して迫害に抗議し始めた。ある日、突然男女7、8人の警官がゴム手袋を持ち、ビニールの薄い膜と梃子を持って、押し入ってきた。大法学習者を強制的に床に押し倒して、ビニールの薄い膜を顔全体にかぶせ、口を梃子でこじ開け、力いっぱいに管を口の中に押し込み、たちまち、あちこちから痛ましい叫び声が絶え間なく耳に入ってきた。大法学習者の王金鳳さん、董敬哲さん、邱麗さんなどはその時ほとんど窒息状態になっていた。

 5月から、董敬哲さんは食物を押し込まれても中には入らなくなり、すべて外に吐き出していた。このような状態にあるにも拘らず、彼女に強いて絶食を放棄させようとして、警官たちは相変わらず毎日食物を2回押し込んでいた。その後、彼女の身体は著しく衰弱し、下肢は不随になり、すでに危篤状態に陥っていた。6月22日、彼女を馬三家労働教養所の病院へ運んだ後、警察は家族に引き取るように連絡した。

 董敬哲さんを主に管理した悪徳警官は犯罪所長の蘇境と、一大隊隊長の李明玉であった。現在、馬三家労働教養所一大隊のおよそ20名の大法学習者は非人道的な迫害を制止させるため、長期的に絶食を堅持し、ある学習者はすでに2、3ヶ月も続けている。警察はこれらの学習者の属している、一大隊二分隊を一室に集め(すべての分隊に2室ある)、毎日午前、午後の2回食物を押し込み、さらに5本の点滴を付け加えた。強制的に点滴された後、宋連英さんは下肢の機能を失い、しゃがむことができず、歩くことも困難になり、また数多くの大法学習者の下肢が不随になった。




(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/7/2/105307.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2005/7/16/62935.html