日本明慧


私は見た
—ある女性が北京労教人員派遣所の凶悪な警察に灌食されて亡くなった

 【明慧ネット2005年8月11日】私は法輪功学習者です。2002年3月のある日の昼、私は家族と食事をしていました。そのとき何人かが入ってきて、北京延慶県の610だと言って、理由も言わずに私を捕まえて延慶県の洗脳班に連れて行きました。そこでは精神の拷問をされつくしました。来る日も来る日も大法と師父を侮辱した番組を見せられました。大法と師父をののしる言葉を言わされたり、師父の写真を踏まされたりしました。私は三書を書くのを拒否したので、610の悪人3人に激しく殴られ、気絶して二回も地面に倒れました。全身傷だらけで、夜も眠れませんでした。

 610の悪人は私に言いました。「中央からの命令で、三書を書かずに転化しないものは全員労教所に送り、労教所でも転化して三書を書かなければ、死ぬまで拷問し、死んだら自殺と報告する。今の共産党政権では、あなたが悪いと言えばあなたは悪い人であり、よいと言えばよい人になる。三書を書かない人で労教所から生きて出られた人は一人もいない。そこにいっても転化しなければ、残るは死しかない」

 その後私は労教所の中で610の悪人が言ったことを自ら目撃し、体験しました。私は洗脳班で三書を書かなかったため、延慶の公安に不法に二年の労教を言い渡されました。最初に北京労教人員派遣所(団河の近く。団河労教所にとても近い。団河労教所は男性しか入れないが、派遣所は男性も女性もいる)に入れられました。そこで私はこの世でもっとも残忍な酷刑、殴打、つるし、電気ショック、飛行機に乗る(拷問の名前)、点天灯、眠らせないなどの拷問を受けつくしました。あるとき、凶悪な警察は真冬だと言うのに、犯罪者10名に私の体に冷たい水をかけさせました。私はその場で気を失って倒れてしまいました。気がつくと、警察二名が高圧電棒で私をつついてきました。私の体は勝手に飛び跳ねました。そのとき、そばにはもう一人警察がいて、私の家に電話をかけて家の人をだましていました。

 私はある20歳代の女性の大法弟子を見たことがあります。警察は薬物犯罪者を何人か呼び、彼女をベッドの上に大の字に縛り、犯罪者たちを彼女の腹、胸、足、腕に座らせると、彼女の鼻からチューブを入れて灌食をはじめました。たらい二杯の塩水を彼女に入れると、彼女の腹は太鼓のように膨らんで、今にも爆発しそうになりました。彼女を解放しても、彼女は起き上がれませんでした。警察は犯罪者に彼女を引っ張り上げさせると、彼女を壁に寄りかからせるよう目で犯罪者に指示しました。そうすると、もう一人の犯罪者が向かい側から突進してきて、足で思い切り彼女の腹をけりました。彼女の口と鼻から水が噴出しました。彼女の腹が元に戻ると、すぐに再び灌食をし、その後また腹をけりました。これを何度も繰り返したあと、警察は犯罪者に彼女をベッドに縛りつけさせ、2日間そのままにしました。その間にまた一回灌食しました。大小便もすべてベッドでさせました。三日目に彼女にあったときには彼女はすでに精神が異常になっていました。彼女はしゃべりませんでした。何をたずねても答えませんでした。ただボーッと壁を眺めているだけでした。顔は真っ青で、潰瘍があちこちにありました。4日目に悪人は彼女をある丸い建物の二階に移すと、さらに残酷に拷問しました。11日目になると犯罪者から彼女が亡くなったと言う知らせを聞きました。彼女の家の人には、彼女は絶食して、胃の出血で死んだと伝えたということです。

 北京労教人員派遣所では、お年寄りの大法学習者も同じように労教させられました。私があるときに見たおばあちゃんは、隊列についていけずに、隊列について這うよう強制されました。腕を叩き落された学習者もいました。顔が電気ショックによって厚くこげた状態になって目も向けられない学習者もいました。身内が会いに来るときは、凶悪な警察はまず服を洗わせ、身なりをきれいにさせます。面会の日にはいくらか食べ物を置いて身内に見せます。面会時の話の内容を厳しく監視し、少しの実情の暴露も許されません。もしも面会後に身内が警察の悪事を訴えるならば、凶悪な警察は自ら牢屋にいって中の人に聞いて回ります。もしも誰かが本当のことを言ったならば、彼らはさらに残酷な拷問をするでしょう。

 以上は私の北京労教人員派遣所での自らの体験と、そこで目の当たりにした法輪功学習者に対する残酷な迫害の一部です。


(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2005/8/11/108166.html