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酷刑で迫害された劉玉河さん

 【明慧ネット2005年8月5日】吉林省樺甸市の大法弟子の劉玉河さんは九台労働教養所に送られて不法に労働教養された。家族は7月27日に九台労働教養所に劉玉河さんを見舞いに行き、再三要求した後、労働教養所側はやっと午後二時の面会に同意した。労働教養所側は、さらに劉玉河さんとの会話は禁止で、ただ劉玉河さんを見るだけであり、劉玉河さんからは家族は見えないようにすると要求した。やむなく家族は同意をした。

 午後二時、劉玉河さんの家族は労働教養所に到着したが、結局午後四時になってやっと劉玉河さんを見ることが出来た。家族は二階で二重のガラス越しに、10数メートルも離れたところから劉玉河さんを見た。劉さんの顔色は蝋のような黄色となっており、痩せ細りかつての面影はなかった。家族はその人が劉玉河さんであると認める勇気を失ってしまった。その後、劉玉河さんはすぐ人に押されて離れていた。

 しかし、家族は帰宅してからも、再度劉玉河さんに会いたいと決意した。二日目後に再度労働教養所に行き、再三の交渉を経て労働教養所はやっと家族が劉さんと電話で話すことに同意した。そして、劉さんが樺甸で受けた迫害の一部を知ることが出来た:劉玉河さんは樺甸留置場で8日間絶食したが、監医の李貴と紅石鎮派出所の警官である方正山が劉玉河さんを鎮医院に連行した。そして、李貴は劉玉河さん親指をひねって踏みつけ、方正山が足を踏みつけ、鼻から乱暴に管を入れた。すぐに出血があったが、そのまま強制注食をされた。

 樺甸公安局国保大隊の警官、毓金基は劉玉河さんをトラの椅子に縛っては取り調べ、頭に鉄かぶとを被らせ、4時間あまりも金槌で叩き続けた。これにより、全身の麻痺、精神錯乱、脳しんとう等の深刻な後遺症が残った。蒋洪海らもこの迫害に関与した。

 留置場では、劉玉河さんは強行に六本のからし油を飲まされた。この拷問により、胃炎と胃潰瘍などの後遺症が残った。これらの非人的拷問は劉玉河さんの身体に深刻な傷害を与えた。

 また、劉玉河さんのバイクは、紅石に没収され、携帯電話、カメラと所持金も没収された。所持金は161元だったが、毓金基は劉玉河さんに61.10元しかわたさなかった。残りのお金と携帯電話については一言も触れなかった。

 毓金基は、毎回大法弟子を迫害する前に自己紹介をする:自分は悪徳警察の毓金基であると言う。毓は人民の汗水たらして稼いだ金をもって、国民を迫害し、法律執行者が法を犯す事をしては、法の網を逃れて悠然とし、国民を保護すべき警察がこのような事を働くとは、暴力団すら軽蔑するような行為である。これが中共の指導下における悪徳警察の典型的手口である。



(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2005/8/5/107766.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2005/8/16/63974.html