日本明慧


常人観念の束縛を振り捨て、人間から抜け出そう

 文/マレーシア大法弟子

 【明慧ネット2005年8月5日】私は真相を伝える活動を協調して行う時、いろいろ経験し、認識したことがあるので、学習者の皆さんと交流したい。

 私は初めていろんな活動を協調して行うとき、「許可書」が必要であるということが分からず後になって、学習者に教えてもらった。修煉と法を正すには準備が必要で、警察と接する機会がだんだん多くなり、「許可書」を申し込みながら彼らに真相を伝える機会も多くなってきた。

 この過程で私が分かったのは、多くの警官は最初は法輪功について認識しなかったが、真相が分かってからは善意に学習者に対してくれ、申請も許可してくれたので、真相を伝える活動を順調に行うことができるようになったことだ。そんな中、中国大使館に行って陳情書を提出し、迫害を止めるよう呼びかける活動も許可してくれたことがあった。

 私は活動の「許可書」を申請することは警察に接し、真相を伝える良い機会だと認識していた。だから、あの頃はよく警察に「許可書」を申請した。例えば、公園で集団で煉功することも文書で届けをだし、この機会を利用して警察に真相を伝えようとした。

 後になって事情は変わった。去年末に2回の活動があった。1回は室内で行い、もう1回は屋外で行おうとしたが、申請した結果二つとも拒否された。「なんでだろう」どうして今までの情況と違うだろうかと私は考えた。

 もし、われわれが皆警察の許可に従って活動を行えば、如何なる活動も行われなくなるだろう。それではどうやって衆生に真相を伝えれば良いのだろうかと私は思った。

 われわれはこの問題を人権組織と相談した。彼らは法律と人権の問題について解釈してくれた。私も、われわれはやり方を変えなければならないと認識した。

 師父は「転法輪」の中で「異なる次元には異なる法があり、どの次元の法も宇宙の絶対的真理ではないが、その次元においては指導作用がある。」「同じ法が異なる次元において異なる変化や現れ方をもち、異なった次元において、修煉者に対して異なった指導作用をなすことができる」と教えてくれた。私は、われわれは認識を高める時期になったので、異なる次元の法理に従って自分に要求し、よりよく自分を修煉して、真相を伝えることをよりよく行う時期になったと認識した。

 私が住んでいた国は従来言論の自由を厳しく制約している。私は小さい時からこのような環境の中で成長してきたので、知らず知らずにこのような環境で形成した観念に束縛されてしまっている。実は、法律や政府の権力が人権を無視している時、真相を伝える障害になる。

 私は初めて分かった。「許可書」が必要でない活動は申請する必要がない、これはわれわれの権利である。学習者達が室内で行う活動は、許可をもらう必要がない。これは国の法律で決まっている。もし、許可をもらおうとすれば、警察が許可してくれないと、逆に行えなくなってしなう。法理上で見れば、われわれは常人の法律に制約されてしまうと理解される。

 国の憲法には信仰の自由、言論の自由、結社の自由などと謳われている。後から作り出した法律は、「だんだんに健全で、だんだんに完全である」と言われているが、同時にだんだん人を束縛しているので、最後は人間が家を出るとすぐ法律に違反してしまう。ただし、このことは人が分からないだけである。私は、人権も大法が常人社会に造ってくれた理であり、われわれが真相を伝える時に使うように造ってくれたものであると認識している。だから、われわれが今日真相を伝える時、信仰の自由や人権の自由が迫害されている面から始めると、常人はすぐ理解してくれるだろう。大法の活動を行う時、われわれは自分の人権を守り、言論の自由の権利を十分使わなければならない。「不公平の対処には人に話させなければなりません、これは人の最も基本的権利です。」(「アメリカ西部法会での講法」)私の理解では、我が国の国民の人権意識がはっきりしないのも旧勢力が按配したもので、われわれが真相を伝える妨害となっている。

 これを踏まえた上で、旧勢力の按配を突破し、よりよく大法の仕事を行うべきだと認識した。われわれはここで真相を伝える大規模な活動を公に行ったことはほとんどない。例えば、パレード、中国大使館の前での発正念、大規模な記者会見、戸外で反拷問の実演、横縦幕を広げ展示板を置くことなど、全部が法律制約のため行われたことがないので、真相をより広い範囲に伝えられない原因となった。

 最近、われわれはこの障害を突破し、もっと広い範囲での真相を伝える活動(反拷問実演)を試みた。われわれが行ったのは人の流れが多いホテルの会議室で行い、外でチラシを配って、週末に街を歩いている人を誘ってくることだった。多くの人が中共が法輪功を迫害する残酷さが分かるようになったので、効果は良かったと思う。

 翌日、警察はわれわれを警察署に呼び出した。私は法を得る前は学生で、もう一人の学習者は主婦で、二人とも警察に呼ばれた経験がなかった。われわれは警察署に行く前に人権組織から自分の権利は何か、どうやって警察に対応するかなどを簡単に教えてもらった。われわれは大法に堅い信念と法を証明する一念を持って、A区警察署に行って真相を伝えた。

 応対してくれたA区の警官は、「反拷問実演」について細かいところまで聞いた。チラシを配ったか、公衆に公表したのかなど、われわれのことを調査しているようだった。われわれは人権組織から教えてもらった法律知識を持って、彼の質問に直接答えず、チャンスを見て彼に真相を伝えた。彼の話によると、当日警官を派遣してわれわれの活動を見に行くつもりだったが、他の仕事があったため、行く時間がなかったそうである。最後に、彼は今度このような活動を行う時、許可をもらわなければならず、許可をもらわなければ「非合法」と見なすと言った。

 これはわれわれが突破すべき第一歩であり、これからも法を正す過程において必要でないたくさんの妨害を突破しなければならないとわれわれは悟った。やがてまた同じ地区の室内で「反拷問実演」を行ったが、許可をもらうなど全然考えて見なかった。しかし、今回は警察に呼ばれなかった。

 後になって、私は屋外で集会を行い、陳情活動を行おうとした。初めてこの提案を提出したとき、多くの学習者に反対された。その理由は、「抗議」とか、「横縦幕を広げる」などはわれわれがやるものではなく、常人がやる良くない行為であるということだった。実はこのような考え方は「圧制環境」の中で長期的に生活する過程で形成された観念であり、立ち上がって何かをすれば「政府に対立する」とか「善良でない」と考えてしまう。これらは長年、政府に注ぎ込まれた不正な観念であり、実は中共邪霊の毒害である。

 しかし、一部の学習者は協力してくれると言った。われわれは「許可書」の制約を認めず、妨害を突破して真相を伝えて行こうと思った。そこで、国家元首の中国訪問の数日前から皇宮の前で集会を行い、元首に陳情書を提出し、迫害の停止を呼びかけてくれるようお願いした。

 横縦幕は造っておいたが広げてはなかった。まるで師父が慈悲でわれわれに気付くようにしてくれたかのように、ある記者が「横縦幕を持っていますか?あれば早く広げてください。写真を撮りたいのです」と言った。しかし、われわれはやはり迷っていた。彼はまた「あなたたちは何をするために来たのですか?横縦幕を広げ、陳情書を提出するために来たのではないですか?早く広げてください」言った。われわれは小心翼翼として横縦幕を挙げた。大法の横縦幕を挙げると、わたしはすぐ大法の荘厳さを感じた。後になって一人の学習者と交流したが、彼女も同じように感じたと言った。明慧ネットで体験の文章を読んだことがあるが、大体の意味は、中国大陸の大法弟子が天安門広場で横縦幕を広げる時、天目が開いた弟子に見えたのは、他の空間にある邪悪がすぐ取り除かれ、横縦幕の周りを通っている人は、横縦幕を見ていない人まで、彼の後ろにある邪悪は直ちに解体されたと書いていた。私の体験は、われわれが横縦幕を挙げたのは、マレーシアの環境では一つの突破で、心性修煉においても一つの突破であり、言論の自由を厳しく制約する環境の突破であり、さらに旧勢力を否定する面でも突破であった。

 続いて、われわれは中国大使館に行って迫害を止めるよう呼びかけ、公園や夜の街に行って「反拷問実演」を行った。活動を行っていくにつれて、協力してくれる学習者はますます多くなり、環境はだんだん形成されていった。

 活動が終わると、いつもその地域の警察に真相を更に深く伝え、われわれのことを教えてあげた。われわれの経験は、われわれが無許可で集会を行った時、警察の立場から見れば「非合法」と考えられるが、そのときこそ逆に警官に真相を効率よく伝え、法輪功は本当に平和的な修煉団体であり、われわれは本当に真善忍の基準でいつも自分の言行を律していることを伝える機会である。

 B区のある警官はこのように言ってくれた。「あなた達の努力がついに成果を得ました。」わたしは初め彼女が言っているのは、われわれの6年間に渡る真相を伝えることは、人々に真相を分かってもらえたと言う意味かと思った。後になって分かったが、彼女が言っているのは、マレーシア法輪功学習者の一年間の屋外集会や陳情などの活動は、ついにこの地域の法輪功が何かを知らない警察に法輪功のことを理解させたとの意味だった。わたしはこの話を聞いて非常に感動し、まるで師父が彼女の話を借りてわれわれを励ましてくれ、われわれのことを認めてくれたかのように感じた。

 初めて中国大使館の前で迫害を停止するよう呼びかけるとき、現場に来た警察は非常に多く、いつでも行動をとれるように一分のすきもない構えだった。活動が終わると、われわれは警官達と握手し、「われわれのために秩序を守っていただき、ありがとうございました」と言った。われわれの積極的な善意の行為に彼らは意外にも驚いた。

 それから活動を行っても、彼らはそんなに緊張せず、楽にして傍で立っていた。甚だしいのは学習者と世間話をしており、学習者はこの機会を利用して彼らに迫害の残虐さを教えていた。彼らは展示板に掲載されている大陸学習者が迫害された写真を見て、信じられないと思い、更に法輪功に同情してくれた。

 B区の警官は自分の部下も皆法輪功に同情していると教えてくれた。それは学習者達がただ静かに立っており、横縦幕や展示板を挙げており、秩序をきちんと守り、警察に協力していたからであった。彼はどうして中共がこんなに善良な、平和な人々を迫害するのかが理解できなかった。

 C区の警官は「あなた達が活動を行う時人数が5名を越えなければ問題はありません。5名を越えると非合法になりますから」と言ったことがある。最初は私も「それでは5名を越えなければ良いだろう」と思った。後になって、どうして自分がこのような法律に制約されてしまうのかと意識し、このような観念を突破した。学習者が法を実証する心さえあれば、人数に制限されるわけはない。

 私は、学習者が正念を持って正しく行えば、警察の観念まで突破できることを発見した。A区のあの警官、無許可で活動を行うのは非合法であると教えてくれた警官は、われわれが数回彼に真相を明らかにしたが、彼は相変わらず「許可書」や「5人を越えると非合法になる」などの考え方を守っており、しかも、いつもこのように言った。ある日われわれがちょうど彼が管理している地域で活動を行ったことがあったが、参加する学習者が10人を越えた。彼は学習者達の平和的善良な活動を自ら見て、ついに非合法か非合法でないかは「5人」を基準とすることではないということが分かった。後になって彼は「5人以上の人が店でコヒーを飲んでいても非合法になるのでしょうか」と言った。それからわれわれと話すとき、昔の規則や制度などを口実にせず、われわれを友人としてくれ、しかも法輪功学習者と楽しく話し合ったりした。もし、われわれが初めからこのような法律で学習者の真相を伝える活動を量ったら、恐らく法輪功学習者はいつも真善忍で自分を律していることをあの警官に知らせられなかっただろう。

 今からも法を正す過程に必要でないたくさんの妨害を突破しなければならないと思われるが、常人観念の束縛から抜け出し、旧勢力の按配を否定し、師父が按配してくれた道に従って正しく歩もう。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/8/5/107767p.html