日本明慧


良い人は、名誉のためではない

 文/金龍(台湾)

 【明慧ネット2005年8月17日】ある日、私は、仕事が終わって帰宅しようとする時、ちょっと同僚を招いたが、心が非常に苦しかった。自分はずっと師父の要求に従って、良い人になるように勤め、大法に泥を塗らないように努力している。仕事中にも、毎日、大法弟子のイメージが壊れないように気をつけている。しかし、この日は、急にこのまま大法弟子のイメージを守ることに、非常に疲れを感じた。

 私は自問した。「名誉に執着しすぎているのか。修煉者は名誉に執着すべきではない。この執着を取り除くべきであるが、そうしたら、大法の名誉を守らなくても良いのか。これは矛盾しているようである。」 師父は、大法の法理が円容不壊のものであると、我々に教えている。矛盾になるはずはない。きっと自分の悟りが偏っている。どこが間違ったのだろうか。

 内に向けて探したが、すぐには分からなかった。心を静かにして正念を発する時、やっと分かってきた。それは、元々自分が本当に良い人になろうと思っていなかったのである。今まで、ただ法輪功学習者が良い人であるという名声を守るために努力してきた。心から本当の良い人になろうと思っておらず、私の良い行動により、大法の素晴らしさを認めてもらい、周りの人々が救われれば、それで十分であると思っていた。今考えて見れば、このような見せかけの「良い人」は、一種の詐欺行為ではないか。

 自分の心性に問題があるから、はじめて先の苦しみと疲れが生じたのである。心性が向上したら、きっと楽しく、快く本当の良い人になれると、私はもう一つの法理を悟った。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/8/17/108562p.html