日本明慧


461名の被害者家族の訴え(写真)

 【明慧ネット2005年9月1日】

 国際人権組織、国際精神衛生組織、全世界各界の皆様:

 私たちは、中国湖南省の株洲市にある白馬壟女子労働教養所で、不法監禁されている法輪功学習者の家族です。私たちの親族は、現在、残酷な迫害により、生死をさまよう状況に置かれています。我々は、中国の司法機関に白馬壟女子労働教養所の黄用良、趙桂保などの迫害の責任者を訴えて、公正な司法判断を求めたことがありますが、無視されたばかりか、反対に報復され、更に迫害が加えられて、家庭崩壊にまで追い込まれる家族も出ました。仕方なく、我々は唯一の希望を抱いて国際社会に助けを求め、中共邪党の暴政下で行われている残酷な人権迫害を非難し、制止して、不法に監禁されているすべての法輪功学習者が直ちに釈放されるよう、皆さんのお力を貸していただきたいのです。

 以下は、2001年から白馬壟女子労働教養所で発生し、長い間隠蔽されていた迫害事実の一部です。

 実例1:

 左淑純さん(46歳)は、2001年3月、迫害に抗議するために絶食したとき、看守警察官らは、食事を注ぎ込む口実で、左さんの鼻と口を押さえつけ、窒息させて死なせました。警察は、現場を封鎖して、密かに死体を片付けた後、被害者の家族に、左さんは心臓病によって死亡したと連絡しました。

 実例2:

 陳隅香さん(43歳)は、2002年11月、拷問室に入れられて、両手を後ろで手錠にかけられたまま、長時間、同じ姿勢で洗脳用のビデオを強制的に見せられ、少し姿勢を崩すとすぐに暴行されました。11月26日、警察の指図を受けた麻薬常習犯の劉小玉らは、陳隅香さんを暴行した後、首を絞めて殺しました。

 実例3:

 曹建珍さん(52歳)は、法輪功の修煉を堅持したために、拷問室で、4人の警官に暴行され、3本の肋骨が折れて、吐血しました。病院で末期の胃ガンと診断された曹建珍さんは、食事が食べられないため、警察に強制的に管で注ぎ込まれました。危篤になった曹建珍さんは、釈放されて間もなく亡くなりました。

 実例4:

 胡正喜さん(60歳)は、法輪功と決裂し、批判する「保証書」、「懺悔書」、「批判書」などの書類の提出を拒否したため、長期間吊り上げられていました。胡さんは、迫害に抗議するために、80日間絶食し続けました。2005年5月、強制労働所は、家族に胡さんが死亡したと知らせましたが、遺体を家族に引き渡さず、強制的に火葬しました。(証拠隠滅のため)

 実例5:

 劉彩雲さん(34歳)は、警官や、警察の協力者に長期に虐待されて、顔は傷だらけでした。劉さんは8ヶ月間、絶食講義をし続けました。その後、中枢神経を破壊する薬物を注射されて、両足が麻痺し、自力で生活ができなくなりました。警察は、入浴せず汚いという理由で、麻薬常習犯を指図して劉さんに暴行を加えさせました。劉さんの頭と背中からかなりの血が出て、病院で4針縫いました。2002年3月、家族は強制労働所から連絡を受けて、劉さんを迎えに行きました。しかし、帰宅する途中に、劉さんは亡くなりました。

 実例6:

 夏婷さん(30歳)は、蘇州の美しい娘で、大学卒業後、深センで仕事をしていました。2001年9月、強制労働所の医務室に連れて行かれて、そこで1ヶ月間、不明の薬物を注射されました。9月末に医療室から連れ出されたとき、彼女は、完全に意識不明になり、歩行できず、自立して生活ができなくなりました。このような状態になったにもかかわらず、彼女は更に1年間の刑期を延長されました。2003年4月12日、釈放されたとき、彼女は依然として意識は恍惚とした状態でした。その上、強制労働所は、彼女の家族に2000元の医療費を強要しました。

 実例7:

 鄒如湘さん(46歳)は、強制労働所で毎日のように様々な方法で虐待されていました。彼女は迫害に抗議するために、何度も絶食していました。監禁されている間に、度々不明の薬物を注射されました。2002年3月に釈放されたとき、全身が痺れており、両目は失明の状態になっていました。

 実例8:

 楊有元さん(62歳)は、やさしい農婦です。2000年9月に拘束され、3日後に、看守大隊長の丁彩蘭は「彼女は精神分裂病があり、すでに株洲の某病院に移送した」と宣告しました。10数日後、彼女が連れ戻されたとき、顔色が悪く、無表情で、歩き方もよろよろしていました。もし、本当に彼女が精神病に罹ったら、中共邪党の悪法に従っても、すぐ釈放されるべきです。しかし、彼女は反対に、1年間の刑期延長に処されました。

 実例9:

 胡月輝さんは、犯人の名札をつけないために、真冬に20日間両手を窓の鉄柵に縛り付けられて、両足が靴に入らないほどむくんでしまいました。看守警察官は、硬い皮靴で彼女の足を踏み、椅子の片足で彼女のむくんでいる足を押さえつけました。2001年3月のある日に、彼女は山の上の拷問室に連れて行かれ、そこで6、7名の警察官が交互に電撃棒を使って彼女を電撃しました。夜中12時に監房に連れ戻された時、彼女は意識不明の状態で、全身が腫れ上がり、まぶたと鼻に打身があり、下半身は血だらけで、下着が身体に粘りついて脱げませんでした。この様子を見た同じ監房の麻薬常習犯たちも、涙を流しました。翌日、彼女はまた連れて行かれて、不明の薬物を注射された後、記憶が喪失しましたが、「法輪功を修煉することは無罪です」という一言だけは話せました。家族が死にかけた彼女を迎えに行った時、強制労働所に1万元の医療費を強要されて、請求書には「アルブミン」という薬物の名前が書かれていました。その後、3年過ぎた今も、彼女は依然として意識は恍惚とした状態のままで、回復していません。

 実例10:

 陳杏桃さん(30歳)は、強制労働所の迫害により、下半身麻痺、大小便失禁の状態に陥りました。これでも終わらず、警察官の朱榕は、彼女を冷たい鉄のベッドに縛りつけ、飲食もさせず、目と鼻に歯磨き粉を塗りつけるなどの方法で虐待していました。その後、強制労働所は責任を逃れるために、死にかけた彼女を地元の政府管理部門に移送しましたが、受け取りを拒否されたので、家族を呼びつけて、2000元を残して慌てて逃げました。彼女は暫くしてから亡くなりました。

電撃されて2ヶ月後に陳さんの身体に残った傷跡 陳さんのお尻が不衛生で腐り大きな穴があいた

 実例11:

 何応清さんは、湖南省生物機械電子職業技術学院の助教授です。2003年の夏、強制労働所で40日間にわたり、様々な姿勢で吊るし上げられ、虐待されていました。何さんは全身に疥癬ができて、耐え難い痛痒みに掻くことも許されず、やむを得ず絶食して抗議したため、口からゴム管を差し入れられて、警官の乱暴な手法により、喉と鼻は大きく傷つけられました。

 実例12:

 張運蘭さん(50歳)は、12センチ四方の椅子の上に数十日間連続して立たされ、両足がひどくむくみました。立っている間に、少し目を閉じると、すぐ眉毛が燃やされました。最後に、張さんは知覚を失って倒れました。2005年4月、限界を超えた虐待により、彼女は精神異常になりました。釈放された後、彼女の悲惨な様子を見た隣近所の人たちは「健康な人だったのに、1年間の監禁により、こんな酷い状態に追い込まれて、共産党は本当に人間を鬼に変えるのだね…」と話しました。


 私たちの親類は、もともと病気に罹っていた人は少なくありませんでしたが、法輪功を修煉してから、心身ともに健康になり、明るい人生を手に入れることができました。しかし、何の罪もない彼らは、中共邪党の暴政により迫害され、虐殺されています。迫害の手段は想像を絶するものばかりです。

 白馬壟強制労働所は、法輪功学習者を残酷に迫害した実績により、2001年から毎年、中共邪党に「先進文明部門」として高く評価されています。法輪功迫害の専門機関、中央610事務局の主任・李嵐青は、自ら白馬壟強制労働所の責任者を接見して励ましたこともあります。当時の国家主席・江沢民は、数千万元を投入して、白馬壟強制労働所の職員のためにオフィスビルと住宅ビルを新築しました。その上、ひとりの法輪功学習者を転化(強制洗脳)することができれば、強制労働所にさらに1万元奨励金を与え、その中の1千元を転化成功に最も尽力した警察官に与える邪悪な奨励政策を設けました。更に「成績」が最も良い警察官には、外国旅行のチャンスを与える奨励政策もありました。警察官たちは、私利私欲を満足させるために、人間性を捨てて悪魔に変身し、悪事をやり尽くしています。

 付録1:白馬壟女子強制労働所の迫害参与者の名簿(一部のみ)

黄用良、趙桂保、趙晋岳(すでに転勤)、衣金娥(すでに転勤)、丁彩蘭、袁立華、盧泳泉、龔超蓮、彭真品、符軍、方慧、王年華、陳冬霞、万煒、 譚湘謙、王煥新、朱志光、孫謹、黄文閔、袁嘉恵、賀小蓮、鄭霞、欧陽秀、易志奇、張燕平、尹彬、潘向東、範迎巧、陳偉、熊彦湘、譚美蘭、袁佳、唐璐雲、朱榕、盧春明、劉傑、劉霖、方芳、徐巧利、王玉蘭(死亡)、徐段輝

 付録2:461名被害者家族の署名(省略)

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/9/1/109598.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2005/9/10/64762.html