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畢代紅さんが大連教養院で迫害されて死亡

 【明慧ネット2005年9月22日】遼寧省大連市の大法弟子・畢代紅さんは、不法に2年間の労働による再教育を強いられ、大連労働教養院で残酷な迫害を受けて、卵巣癌の末期になるまで苦しめられた。釈放されて家に着いて間もなく死亡した。

 畢代紅さん(37歳)は、大連船舶検査局の職員で、法を得る前には頭痛、腰の病気があった。1996年に修煉を始めてから、心身共に健康になった。1999年、大法が迫害されてから、何度も北京へ陳情に行って、大法の真相を伝えたため、家財が没収され、罰金を処せれた。仕方なく職場を離れ、生活の術もなくなった。

 2003年1月、畢代紅さんは真相を伝えているときに告発され、旅順竜王塘派出所に連行された。家族への通知もないまま不法に旅順留置場に拘禁され、一ヶ月も経った。その後、さらに不法に2年の労働教養を強いられ、大連労働教養院に拘禁されて、心身共に傷つけられた。

 教養院に着いた初日、畢代紅さんは裸で身体検査をされて、労働教養所の悪警察は「普教」(訳者注:修煉を放棄させる教育(洗脳)を強制する警察の手先のこと)に指図して、男性トイレの前で彼女の服を全部脱がせ、7、8人で殴らせた。全身傷つき、耳と両目も傷ついて、顔の大半が青紫色になった。彼女が殴られて倒れた後、「普教」の趙輝は、さらに足で彼女の口を力いっぱい蹴ったため、唇が破裂して、全部の歯が動くようになった。最後に、彼女を小部屋へ送り込んで苦しめた。畢代紅さんの足は大きく傷つけられて、歩くのにもバランスが取れなかった。母が、どうやってこんな足になったのかと聞くと、教養院は身体検査をするときに畢代紅さんが人を殴ったから罰せられたからだと騙した。

 3ヶ月後、外観では傷は目立たなくなったが、畢代紅さんは熱が出て、咳、閉経、腹痛、病痛に苦しめられ、夜寝ることもできなくなり、明らかにやつれて老衰していた。警察は見て見ないふりをして、全く身体検査をせず、犯人を利用して24時間監視をさせて自由を制限し、トイレにも行かせなかった。そして強制的に重労働を課し、(主に豆を選ぶ作業)、一袋ごとに500〜1000グラムの豆を入れ、階段を上り下りさせて畢さんに全部運ばせた。

 林春紅という人(畢代紅さんを監視していた犯人)は、家族達が畢代紅さんを早く家に戻してほしいという気持ちを利用して、畢代紅さんの両親から計3、4千元を騙し取った。

 その後家族は、畢代紅さんの身体の調子や顔色が悪いことに気づいた。家族が何度も強く検査を求めた状況の下、仕方なく畢代紅さんを検査に行かせた。検査をした翌日に結果が出て、午前中、重病のための服役中の一時出所の手続きを家族にさせた。

 畢代紅さんは、病院の検査によって卵巣癌末期と診断された。その直後、教養院は責任を逃がれるために突然彼女を釈放した。病院は家族に長くても余命2、3ヶ月だと宣告した。畢代紅さんは2005年9月1日に死亡した。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/9/22/110950.html