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33歳の劉倩倩さんが黒竜江省女子牢屋で迫害されて死亡(写真)

 【明慧ネット2005年9月28日】33歳の大法学習者・劉倩倩さんは、2002年に連行され、秘密裏に3年の判決を受けた。黒竜江省女子牢屋に拘禁されて、強制的に洗脳され、毎日超負荷の労役を受けた。2005年6月19日、劉倩倩さんが釈放されたときにはかなり痩せていて、青筋、血管がすべて皮膚の上に浮かび上がり、食道、胃はすでにただれていた。2005年8月6日、錦州病院で死亡した。(過去、明慧ネットで報道された)

                                                          劉倩倩さん

 劉倩倩さん(別名・劉冬梅、33歳女性)は、元遼寧省黒山県姜屯村郭油房村彭の出身で、後に黒竜江省尚志市尚志鎮に嫁ぎ、1996年に法を得た。1999年7月20日、江沢民集団は気が狂ったように法輪功を弾圧し始めた。法輪功の真実の話を言うために、北京へ陳情に行ったが、北京の不法警察に逮捕されて、後に3回も不法人員によって、尚志拘留所及び留置場に拘禁された。劉倩倩さんは拘禁されているときに殴られた。当時の政保課長の于進方は、「私は必ずあなたの家産を傾けるほど罰しないといけない!」と叫んだ。

 その後、劉倩倩さんは不法に1年の労働教育を強いられ、ハルビン万家労働教養所で残酷な迫害を受けた。髪の毛がつかまれて抜け、悪警察に20数日間も手錠で嵌められた。また、紐で両手を結んで吊るされるなど、悪警察は各種の酷刑で彼女を苦しめた。長期的な迫害によって、彼女は全身に疥癬ができてこの上なく痒く、毎晩ただ1、2時間しか寝れず、釈放されてからかなり痩せた。

 2002年、劉倩倩さんは釈放された後、田舎で買い物をした時に大法の真相資料を配って、迫害事実を暴露していたことで、悪人に告発された。5月にまた悪警察に連行されて、尚志市第二留置場から第一留置場で9か月拘禁された。劉倩倩さんは不法に3年の判決を受け、ハルビンの黒竜江省女子牢屋に拘禁された。3年間の残酷な迫害の中で、不法人員は家族との面会も許さなかった。それらの警察はまったく人間性もなく、残忍悲道で、気の向くままに、固く信じる大法弟子を殴っていた。寒空の師走のハルビンの天気は、いつも零下20数度まで冷え込み、悪警察は女性学習者の服を全部脱がせて、彼女たちを強制的に雪の中に立たせて、それを一週間続けて行った。
毎日暗くて湿っぽい監獄室に拘禁されて、劉倩倩さんは肺の病気になり、病室に拘禁された。毎日何の薬かも分からないままに注射されて、両足は紫色に変色し、歩けなくなった。情報によると、劉倩倩は圧力のない状況下で主動に「転化」したという。

 悪警察は1人の大法弟子に対して、5人の犯人を利用して監視させ、それらの犯人に「手助けし、教育する」。いわゆる「手助けし、教育する」ことは、大法学習者を殴ることだ。毎日食べるものはとうもろこしで作った主食、野菜スープだけで、まったくお腹一杯にならない。また、超負荷で包装の仕事を強いられる。一人の廖小路さんという学習者は、邪悪に協力せず、苦しい労働を拒否したため、悪警察に殴られて罵られた。

 2005年5月13日、家族が「劉倩倩さんの病状は深刻だ」と聞いて、面会も求めた。曲折を何度も経て、家族が劉倩倩さんに会ったとき、彼女はすでにかなり痩せていた。家族は、重病のための服役中の一時出所を強く求めたが、理不尽にも拒絶された。6月19日に満期となり、実家の親戚はやっと彼女を迎えた。そのとき、彼女はすでに骨しか残っていなかった。元は60kgあった体重は、たった25kgほどしか残っていなかった。誰が見ても悲しくて涙を流した。家族は倩倩さんを黒山県黒山結核病院へ送って、検査をしてもらった。医者は、「もう仕方ない、すでに応急手当てをしたが救うことはできない」と言った。2005年8月6日、劉倩倩さんは冤罪が晴れないまま死亡した。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/9/28/111373.html