日本明慧


凌源鉄鋼会社の高級技師・賈清貴さんが迫害により障害者となった

 【明慧ネット2005年10月12日】賈清貴さん(59)は、遼寧省凌源鉄鋼会社の高級技師であり、1994年から法輪功を修煉し始め、身体と精神の両面において大変受益した。1999年4月24日と同年10月24日、法輪功の真相を政府に伝えるために二回ほど上京した。そのため、彼は二度も身柄を拘束され、いかなる法的な手続きもなく3年の労働教養を言い渡され、8回ほど家財を差し押さえられ、5千元の罰金を科せられていた。結局、彼は法輪功への信仰を放棄しなかったため、同年に会社を除名された。

 1999年4月25日に上京した後、彼は監視され、家をいつも掻き乱され、ひいては深夜にも警察が電話をかけてきて「彼が家にいるかどうか」を確認する。

 1999年7月17日、賈清貴さんは仕事場から連行され、当地の公安局に24時間、監禁されていた。二日後の19日、彼は再び連行され、身柄を拘束されると、家財をも差し押さえられ、一ヵ月後5千元を強いられてから初めて保釈された。

 1999年10月24日、賈清貴さんは北京にある上申取扱い事務所で捕まり、その後3年の労働教養を言い渡された。人権迫害に抗議するために、彼は50数日間の断食を行った。同年末、彼は朝陽労働教養院から凌源看守所に移され、そこで彼に懲役刑を言い渡すつもりだったが、結局できなかった。半年後、朝陽労働教養院に戻された。

 2000年末、賈清貴さんは撫順教養院に移された。男子隊の警察はあらゆる卑しい手段を用いて彼を転向させようとしたが、成功しなかった。彼は女子隊に送られ、そこで彼は各種の拷問を受けていたが、頭が酷く腫れ上がれ、傷だらけになり、顔が鬱血して青紫色になり、目がつぶれて見えないほど腫れ上がっていた。看守らは彼を苦しめるだけでなく、彼を侮辱したりした。また、看守らは彼を空中に投げ、受け止めることなく落下させたり、寝かせなかったり、彼の頭を掴んで壁にぶつけたりした。結局、賈清貴さんは目がかすむようになり、内蔵が破裂したように感じ、失神してしまった。

 その後、彼はまた男子隊に戻され、続けて迫害され、ずっと血を吐くまで苦しめられていた。賈清貴さんは病院での検査を要求したが、自腹を切るだけでなく、検診の結果も教えてくれなかった。

 賈清貴さんは長期にわたって迫害を受けていたため、身体はきわめて脆弱となった。2001年8月のある日、彼は足元が滑って倒れ、大腿骨が骨折したが、警察は治療措置を取らないだけでなく、彼の太腿に力を入れてねじった。彼は後から「あの時は、死ぬほど痛かった」と言った。一ヵ月後、彼の強烈な要求の下、病院で検査を受けたが、同様に結果を教えてくれなかった。

 現在、賈清貴さんの左足は短くなり、筋肉が萎縮して不具となり、一人では歩けなくなった。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/10/12/112268.html