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山東武城県の陳桂彬さんが、会社の保安官に殴られて死亡した事件の補足

 【明慧ネット2005年10年4日】明慧ネット2001年3月14日に報道された山東省武城県の大法弟子・陳桂彬さんが銀河会社の保安官に殴られ死亡したときの詳細は、以下の通り。

 内報者によると、陳桂彬さんは殴られ中風に至ったものの、頭ははっきりしていたので、病院で治療している間、親友に迫害の経緯を話した。陳桂彬さんは殴られる前に、彼と妻の周海濤さん、法輪功学習者・陳文田さんの3人は、すでに防衛科の隣の暗い小屋の中に数十日間も拘禁されていた。

 ある日、警官は、陳桂彬さんを防衛科に呼んだ。入ったばかりの、防衛科長・候金才、呉小鋼、楊建功と姚金山の4人は、酔っているようだった。彼らは、陳桂彬さんを囲んで手錠をはめ、4人は四隅に立って、陳桂彬さんを酷く殴った。

 陳桂彬さんは思い出しながら、「彼らが私を殴ったとき、私の頭は保健箱にぶつかった。ガツンと音がして、すぐに知覚がなくなった。彼らはしばらく私を殴って、その後私を防衛科の外の雪の上に運んで、一時間も放置した。最後に、私を防衛科に運んで、木のベッドに投げ、窓を全部開けて、ドアをしめて去った」と語った。

 夜8時ごろ、陳桂彬さんは隣の部屋にいる妻が「トイレに行きたい」と言っているのが聞こえたので、「海濤、彼らが私を殴って脳内出血を起こし中風にした」と言った。妻の周海濤さんは窓から陳桂彬さんがベッドに横になって、動けずにいるのを見つけた。

 翌日の朝、周海濤さんがトイレに行ったときに、会社の副社長・王金柱に会って、「夫はなぜ中風になるまで殴られたのか」と聞いた。王金柱の態度はすごく悪くて、聞こえていないようなふりした。周海濤さんは社長の王玉民が二階にいるのを発見した。窓を開けて他の人と話していたので、「王さん、夫が中風になるまでに殴られた。大変です、どうしますか?」と聞いた。王玉民は怒って窓を閉め、カーテンも閉めた。警備員が強制的に周海濤さんを暗い小屋に連れて行き、手錠で彼女をベッドに固定した。

 午前中、陳桂彬さんのお母さんが会社に来て、彼が殴られて脳内出血を起こしていることを知り、親戚を呼んできた。会社の保安にドアを開けさせて、医者を呼んで陳桂彬さんに検査をさせた。先生は針で陳桂彬さんの足の真ん中を刺したが、足は動かなかった。周海濤さんは手錠をかけられたまま、夫に「どこが痛いの?」と聞くと、陳桂彬さんは手錠をしたまま「首が痛い」と答えた。

 9日夜6時ごろ、陳桂彬さんは病院に運ばれた。このとき、彼はすでに中風のようになっていて、ベッドに倒れて一昼夜経っていた。病院の検査により、陳桂彬さんは第二関節の頚椎骨粉砕の骨折で、CT検査により、髄液が流れ出していた。先生は「もう少し遅れたら、小便ができなくなり、膀胱が破裂して、棉紡会社で死ぬ恐れがあった」と言った。

 陳桂彬さんは中風のようになるまでに殴られて半月後、銀河会社の社長は周海濤さんに3000元の保証金を恐喝して奪い、周海濤さんを釈放した。陳桂彬さんは済南省病院で手術を三回したが、その途中で数回意識不明になった。

 2001年、中国の旧暦新年の2日、陳桂彬さんは酸素吸入の装置をつけたまま家に帰り、15日朝9時に冤罪を晴らせないまま死亡した。

 内報者によると、会社の保安が陳桂彬さんをこのように殴ったのは、公安、610に唆されたからである。陳桂彬さんが殴られているとき、武城県公安局および610オフィスの車は会社の中に止まっていて、公安局政保科・張瑞軍、徐丙新が現場にいた。県書記は銀河会社に10万元の罰金を求めた。銀河会社の法輪功学習者が陳情に行った費用であると言った。

 陳桂彬さんが逝去した。また良い人が一人いなくなった。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/10/4/111729.html