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馬三家労働教養院:女性の乳房に電気ショックを与え潰爛した(写真)

 【明慧ネット2005年10月17日】大法弟子・王雲潔さんは、馬三家労働教養院で、縛られて吊るし上げられ電気ショックを与えられるなどの迫害により、身体の局部が潰爛し、見るも忍びない状態となった。


 王雲潔さんが馬三家労働教養院で縛られ吊るし上げられ電気ショックを与えられた後、身体の局部が潰爛となった写真。(非常に衝撃が強いため、子供及び精神の弱い方はご遠慮ください)

                     写真1 || 写真2   

 2002年5月14日午後3時、王雲潔さんが仕事中に、大連市泡崖子派出所の2人の警官と2人の保安員がやってきて、何の理由も説明もせずに、王さんを強引に泡崖子派出所に連行した。そこで、雲潔さんは、ずっと夜中の12時まで、四人の保安員に監視されていた。この間、彼女に水も食べ物も何も与えなかった。その後、王雲潔さんは甘井子区公安支局に移され、他の十数人の連行された法輪功学習者と一緒に数平方メートルの鉄の小屋に監禁された。翌朝、王雲潔さんは姚家看守所に送られ、そこで20日間不法監禁された。また、何の理由もなく、本人に通知もせずに、サインももらっていない状況のもと、6月4日に、彼女を馬三家労働教養院に送った。そして支局の警官は、2年の労働教養に処せられたと告げ、サインを求めてきたが、王雲潔さんは拒否した。

 王雲潔さんは、馬三家労働教養院で残酷な迫害を受けてきた。最初は、女子二所二階の小屋に個別に監禁された。小屋にはベッドもなく生活用品もなかった。顔を洗いに行くことも、トイレに行くことも許されず、監視者の許可を得て、監視者と一緒にしか小屋を出ることができなかった。夜12時過ぎると、やっとコンクリートの床に直接寝ることができたが、朝5時30分になると起こされた。起こされて、強引に物干し場に連れて行かれ日にさらされたり、トイレ、倉庫、地下室などに連れて行かれ、そこで残酷な拷問を受け、体罰を加えられ、真善忍という信仰を強引に放棄させられそうになったりして、陰で個別な迫害を受けてきた。

 昼間、四人以上の幇助者(もともと監禁された学習者で、ひどい迫害に耐えられず妥協してしまい、悪警官に脅迫され、悪警官を手助けし悪事を働く道具になった)に、絶えず法輪功の修煉を放棄するよう強いられた。彼らは長時間しゃがませ、苦しい姿勢を保たせるなど体罰を加えた。

 王雲潔さんは、6月5日から11月中旬までの5ヶ月の間に、物干し場で20日間近く日にさらされた。
暗くて湿っぽいトイレに1ヶ月ぐらい監禁されたこともある(朝の4:30から夜中の12:00ごろまで、ずっと立たせたりしゃがませたりさせた。ご飯を食べる時だけは座れるが、トイレで食事する。悪警官は、随時に用を足しに来る)。倉庫、地下室などに4ヶ月近く監禁され、体罰もだんだんエスカレートしてきた。

 半年が経っても、王雲潔さんは、依然と信仰を堅持したため、一大隊二支隊に移された。朝5時30分に起こされ、2人の監視者に監視され、顔を洗ったりトイレに行ったりし、労働教養院の規定を強引に暗記させられた。暗記しないと、監禁期間を延長したり、寝室から引きずりだされ、長時間吊るし上げられ、立たされたり、しゃがまされたりした。

 また半年が過ぎた。この間、ある日の午後6時、王雲潔さんは悪警官石宇に事務室に呼ばれた。王雲潔さんが寝室で「これは、旧勢力の按配である」とメモを書いたためだ。石宇はそれにとても怒り、もう一人の警官任紅賛(6支隊長)と一緒に王雲潔さんをひどく殴打した。足で蹴ったり、脱いだ皮靴で殴ったり、彼女をうち倒し、そして真夜中になってやっと寝室に帰した。

 その後王雲潔さんはまた、体操をしないため、8時間以上吊るし上げられた。太極拳をやらないため、グラウンドで日に曝すよう強いられた。また法輪大法を誹謗する本を写さないため、監禁期間を5日伸ばされた。そのほか、植樹、木を植えるための穴を掘る作業、とうもろこしの皮を剥ぐ作業など、毎日10数時間の作業を強いられ、このような作業は一ヶ月ぐらい続いた。

 2002年12月3日に、遼寧省公安署は、「転化チーム」を馬三家労働教養院に派遣し、一ヶ月近く残酷な迫害を始めた。「転化チーム」のメンバーは男性が主で、本渓市、錦州市、撫順市などの労働教養院の最も邪悪な警官からなっていた。公安署の孫副署長がリーダで、元本渓戒毒所長郭鉄英など多くの悪警官のグループだった。

 「転化チーム」は、一大隊から三大隊に、合わせて50人の法輪功の修煉を堅持する大法弟子を選び出し、総合ビルに監禁し迫害を行った。王雲潔さんもその中の一人だった。

 最初、王雲潔さんは個別に小屋に監禁され、2人の幇助者に監視されていた。夜寝かせず、壁の角に立たされた。翌日彼女は後手に手錠をかけられ、椅子に固定された。夜になってオートバイのヘルメットをかぶせられ、同時に、悪警官は棒と水を用意し、居眠りすると冷たい水をかけ、そして棒でヘルメットを強く叩いた。それから迫害は更にエスカレートした。

 二人の悪警官(本渓市、名前不明)は、電気棒を手に持ち、「どっちが強いか比べよう」と大声でわめきたてながら、王雲潔さんの服を脱がせ、2本の電気棒で王さんの乳房に電気ショックを与えた。30分も続けた後、一晩立たせた。翌朝、悪警官郭鉄英は「どっちを選ぶ?」と聞いてきた。王雲潔さんは「大法師父に付いていく」と答えた。郭は直ちに二人の錦州市の警官と数人の幇助者を呼んで、シーツを引き裂いてひもにして、王さんに無理やりあぐらをかかせたまま、手足を縛った。頭と両足をきつく縛り、体を丸くし、後手に手錠をかけつるし上げた。とてもつらい状況で7時間も苦しめられ、解かれてから、王雲潔さんは歩く事もできず、普通に座ることもできなかった。

 長期にわたる迫害により、王雲潔さんは体が衰弱したが、支隊に帰ってから依然として紙の花など工芸品を作る作業を強いられた。みな外国への輸出品だった。また4ヶ月が過ぎ、再び一大隊二支隊に移された。2ヶ月後、警官は、王雲潔さんの体が衰弱していることに気付き、責任逃れのため、王雲潔さんを身体検査に連れて行った。検査の翌日、急いで王さんの家族に迎えにくるよう連絡した。また王さんのお姉さんに2000元を支払うよう強要した。お姉さんは、「妹が迫害され死にそうになったのに」と断った。 

 それで、王雲潔さんはやっと家に帰った。その後分かったのだが、馬三家労働教養院の警官らは、王さんがせいぜい2ヶ月しか生きられないと思っていたのだ。釈放された後、馬三家労働教養院から「まだ元気なのか(まだ生きているのか)?」と電話が来た。

迫害に直接参与した責任者:
1. 大連市公安局甘井子支局
2. 泡崖小区派出所
3. 馬三家労働教養院 王暁峰 石宇

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/10/17/112535.html

(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2005/10/20/66071.html