日本明慧


悟って思いついたら実行しましょう

 文/河南省の大法弟子

 【明慧ネット2005年10月16日】師父は『転法輪』の中で「修煉者になるためには、すべて自分の心の修煉にかかっており、すべて自分の悟りにかかっているので、手本などはありません」と言われました。大法を実証するという、宇宙の中でかつてなかった最も偉大な修煉方式に恵まれた修煉者の一員として私が体得したことは、法の中から悟ったこと、思いついたことを待たずに、頼らずに、すぐ実行すべきだということです(もちろん、前提としては正しい悟りでなければなりません。もし勝手に思ったこと、邪な悟り、自分の心より魔が生じたことを行なってしまったら、それは法を正すことを干渉し、大法を破壊する行為になります)。

 このことについて、私が経験した一つの例を挙げます。一人の農村の学習者から大法の資料がほしいと言われました。この学習者は年を取っているし、住所もかなり遠いので、資料を取りに来るのはたいへん不便だと思って、「資料があったら持って行ってあげます」と彼に言いました。そして、資料が来たら、私はその資料をAさんに頼んで彼に届けるようにしました。Aさんはさらにこの学習者と面識があるBさんに頼んで資料を届けるようにしました。20数日後、私は「資料を彼に渡しましたか」とAさんに尋ねると、Aさんは「まだです。Bさんは彼の苗字だけを知っているが、名前が分からないから」と答えました。私はこれを聞いて、がっかりしました。口では言いませんでしたが、心の中でこの無責任なやり方を非常に不愉快に感じました。Aさんのところを離れて家に帰る途中に、私は急に「私はどうして自分で送ることができないのか。住所が分からなくても、尋ねながら探せば良いではないか。師があり、法があるから、必ずたどり着くことができる」と思いつきました。そして、私はすぐAさんのところから資料を取りもどして、この学習者の家へ向かいました。師父の加持により、無事にこの学習者の家にたどり着きました。

 私はこの学習者と簡単に交流してから、彼が非常に精進していることを感じました。やるべきことを、彼はきちんと行っています。そこを離れるとき、彼は数十人の「共産邪党組織からの脱退声明」を私に渡しました。帰り道に、私は非常に重い責任を感じました。もし今日ここに来なかったら、その損失はどれだけ大きなものなのでしょうか。自分の道を正しく歩まないことにより、衆生の期待を裏切る、その責任がどれほど大きなものなのかと思いました。
 
 「邪悪がどのような方法を採っても、いくらお金をかけても、大法を破壊しようとすれば、彼らの到達しようとする目的に達することができません。私達は心から行っており、彼らはお金を使ってやっていますが、これは彼らには永遠に及ばないことです」(『2002年度ボストン法会での説法』)。修煉には手本がありません。大法のために、衆生のために責任を持つ態度を持っていれば、法の中から悟ったこと、思いついたことがあれば、それをすぐ実行すべきです。口実を探して条件を待ったり、誰かに頼ったりすべきではありません。「もし本当にやりとげられれば、きっと『柳暗花明又一村』というように、目の前に新たな世界が開けることに気づくに違いありません」(『転法輪』)。

 個人の悟りで、次元の限りがあり、適当でないところをご叱正ください。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/10/16/112538.html