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河南省の法輪功学習者・原勝軍さんがわずか2週間で警官に虐殺された

 【明慧ネット2005年10月30日】河南省済源市法輪功学習者原勝軍さんは10月7日、現地の裁判所に不法に6年の刑罰を言い渡された。しかし、10月25日にわずか2週間で、約原勝軍さんは610悪警官に無残にも打ち殺された。体中傷だらけで、至る所に鬱血した痕が残り、悲惨で見ていられないほどだった。

原勝軍さん

 原勝軍さん(男性、1963年生まれ)は、大学卒業後、済源市電力局の社宅に居住し、教師、弁護士、技師などを勤めたことがある。ある会社の社長補佐、済源市物資局長を担当したこともある。原勝軍さんは1997年に法輪功の修煉を始めてまもなく、長年悩まされていた心臓病、高血圧などが完治した。修煉して八年以来、彼はいかなる病気も患ったことがなく、一粒の薬を飲んだこともなく、体がすっかり健康になった。

 法輪功の修煉を始めた後、原勝軍さんは大法に従い自分を厳しく律し、よい人、道徳の高尚な人になろうとし、心が浄化され、体が健康になった。道徳が高尚なため、民衆に支持され、1999年7月に済源市物資局長に当選した。仕事の時には、苦労をいとわず、清廉公正で、礼金や賄賂を受け取らず、正直に人に接し、すべての従業員の人望を集めた。

 1999年7月、法輪大法は江沢民をはじめとする中国共産党グループに迫害され始めた。原勝軍さんは、2000年11月に、当時の国家主席・江沢民に一通の公開状を提出し、法輪功の真実を述べた。真実を言ったため、済源市の法律執行部門に不法に逮捕された。済源市の610オフィスは、原勝軍さんが済源市の法輪功の主な責任者であると決めつけ、原勝軍さんに対する迫害をエスレートし、不法に三年の刑を言い渡した。それと前後して、不法に済源市留置場、鄭州刑務所(新密)に拘禁し、2003年11月にやっと原勝軍さんを釈放した。不法監禁された間、原勝軍さんはひどく殴打され、電気ショックを与えられ、強制洗脳など残虐な拷問に苦しめられ、そして公職も不法に剥奪された。

 2005年3月30日昼11時30分、済源市国保支隊長王明麗、政治委員王国友は、610の悪人を連れ、突然、原勝軍さんの家に突入し、強引に家宅捜査した。法輪功関連資料は何も見つからなかったが、無理やりに原勝軍さんを連行しようとした。原勝軍さんは抵抗し、そして法輪功の真実を彼らに説明した。悪人は原勝軍さんが行かないため、110を呼んできた。4、5人の悪警官がやってきて、強引に原勝軍さんを連行した。翌日原勝軍さんは不法に済源市留置場に拘禁された。

 留置場で、原勝軍さんは理不尽な監禁に抗議するため、断食を始めた。8日目、原勝軍さんは済源市第一人民病院に送られ、無理やりに食物を注入された。4月29日、済源市公安局は不法に逮捕証明書を下し、原勝軍さんの家族が見舞うことを許さなかった。

 原勝軍さんは、自分が法輪功を修煉した経歴および法輪功がよい人になるよう教えていることを警備員に伝えた。多くの警備員は感動し、こんなによい人が逮捕され、迫害を受けるなんて、中国共産党は本当に悪いと感じた。済源市610の悪人がそれを見て、警備員が法輪功に説得されたことをひどく恐れ、何日かごとに警備員をすべて交替することにした。

 不法に半年拘禁した後、済源市の悪人は2005年9月22日、原勝軍さんに対し不法に密かに開廷し、15日間後の10月7日、原勝軍さんに六年の刑罰を言い渡した。

 原勝軍さんに刑罰を下すいかなる証拠もないので、原勝軍さんの妻と80代の高齢の母親は、不公平な判決を不服とし上訴をした。しかし、わずか2週間ほど経った10月25日、原勝軍さんは無残にも打ち殺された。体中傷だらけで、至る所に鬱血した痕が残こり、悲惨で見ていられないほどだった。

 原勝軍さんの家族は検死を求めたが、悪警官らに理不尽にも断られた。翌日、悪警官は、家族がまだ遺体と対面していないにもかかわらず、密かに原勝軍さんの遺体を火葬にしてしまった。その後また、大量の普段着のスパイを派遣し、原勝軍さんの家へ弔問に来た大法弟子の写真を撮り、もっと多くの善良な人を迫害しようとした。

 原勝軍さんは、江沢民邪悪グループに命を奪われてしまった。80代の母親と妻、まだ13歳の息子を残したまま・・・まだ42歳であった。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/10/30/113436.html