日本明慧


一念の違いで、結果は異なる

 文/甘粛の大法弟子

 【明慧ネット2005年11月5日】今年6月に、ある会社の定年退職グループは電話でそのグループの中のある法輪功学習者(A同修)に党員会の参加を知らせた。A同修は電話を受け取ると、直ちに「私は行かない、私はすでに脱党した」と相手に告げた。「いつ脱退したの?」と聞かれたので、A同修は「とっくに脱党した」と答えた。A同修は直接相手に本当の話を教えて、順調にこの難関を乗り越えた。

 8月下旬、B同修の会社は全国的な共産党の「先進性を保持する」活動に参加しなければならなかった。会社はB同修に会議の参加を知らせた。B同修も脱党したと声明したが、しかしこの時どうしたらいいのか分からなかった。C同修のところに交流行くと、C同修はA同修の事を話した。そして直面すべき時は決して回避してはいけないと言った。

 B同修は情況が違うと思った。実は心を放下できなかった。Bは「その時になると、会場の上で正念を発する」と思った。そこでBは会議に参加した。本、ノートが配られても受け取るし、党費を請求されても支払った。完全に悪党邪魂の要求と指示に協力して、自分を本当の修煉者としていなかった。結局何日かしか参加しないうちに、もうだめだと感じた。咳、熱などの病状が現れて、その上この状態はとても長い間続いた。今でも完全に消えていない。これで今度の「先進性を保持する」活動の参加は間違いだったと悟った。

 A同修とB同修は同じ問題、同じ関所にぶつかった。A同修は単刀直入に相手に、自分はすでにあなた達の一群ではない、とっくにきっぱりと関係を断って、少しもかかわり合いがないと教えた。しかしB同修は進退極まって、どうするべきかがよく分からず、あれこれに対する影響を恐れて、直面することができなくて、だらだらとし、今も自分は「脱党」したという声明を公表していない。黒い手と卑しい鬼、旧勢力はよく知っているから、彼女への迫害口実を見つけた。

 B同修も内に向って自分の不足、自分の人心を見つけ、その他の同修も正念を発して手伝ってあげたが、修煉の道で関所をよく乗り越えられなかった。

 「物事の良し悪しは一念による」。その一念、肝心な時の一念は修煉者が長期的に修煉の中で、絶えず法を学び、心性を高め、自分の執着を取り除き、「真、善、忍」の基準に基づいて自分を厳しく要求してきた結果である。肝心な時のその一念、その正しい念、神の一念は修煉によってできたものである。

 師父は毎回の説法の中で、再三弟子に法を学ばなければならない、よく法を学ばなければならない、法を学ぶのは最も重要だと説かれた。私達は大法の中で修煉して、至る所に法の基準によって自分を要求し、すべてのことは法によって自分を測るべきである。私達の修煉、心性の向上は、すべて法の中から来ている。だから私達は必ず法をよく学ばなければならない。

 次元が限られているので、不適当なところがあれば、同修の慈悲の指摘を希望する。


(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2005/11/5/113786.html