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黒龍江省女子監獄:杜景藍さん迫害致死の詳細

 【明慧ネット2005年11月 日】ハルピン市在住の法輪功学習者・杜景藍さんは黒龍江省女子監獄で2年間にわたる残酷な迫害を受けた後、2005年10月27日に死亡した。(明慧ネットに関連掲載あり)

 ハルピン市道外区のお菓子工場の従業員・杜景藍さん(55歳)は、法輪大法を修煉してから心性が向上し、周囲の人に対する態度も改善され、従来の数種の持病も快癒した。しかし1999年4月5日、法輪大法の真相を証明するため上京した後、中国共産党の法輪功に対する本格的な迫害が始まった同年7月20日以降も、陳情のために三度も上京し、うち二回不法に逮捕された。

 2001年初め、不法に逮捕された杜景藍さんは1年間も労働教養を強いられ、ハルピン市万家労働教養所で人道に反する残虐刑による虐待を受けた。2002年8月に再び逮捕された当時、血圧が260にまで達したにもかかわらず、黒龍江省航運局の看守所に監禁された。監獄内で真相を伝えたため警察から暴力を受けた。そこで杜景藍さんは断食を通して迫害に反対し、高血圧という非常に危険な状態にもかかわらず、彼女は高所に吊り上げられ、三日三晩にわたって虐待を受けたため、手錠のはめられた腕から骨が出てくるほど、極めて残虐な迫害を受けていた。

 2003年4月、7年の実刑を処せられた杜景藍さんは黒龍江省女子監獄に監禁されることになった。その後の迫害について、今のところ調査で分かったものは、虐待を受けながら睡眠を奪われる残虐刑と、両手を手錠ではめられた状態で、警察が11日間続けて棍棒で任意に暴力を加える暴力行為、などがある。2004年1月4日、杜景藍さんは断食を通して迫害に反対したが、警察の指示を受けた囚人によって様々な暴力を加えられ、高圧が250に達した状態の下で治療を受けることなく迫害が続けられていた。法輪大法の経文を読んでいたところを警察に発見されたため顔の形が変わるまで暴力を受けたこともあった。

 このような長期にわたる残酷な迫害の下で、2005年10月23日、杜景藍さんは危篤状態に陥ったため、初めて病院に送られた。しかし監獄側は一銭たりとも支払うことなく、杜景藍さんの家族に対し、医療費を全額払うよう脅迫した。杜景藍さんの治療のため家族側は借金を強いられた(一家はリストラされて収入がない状況であった)。それでも満足しなかった警察は、杜景藍さんの家族にタクシー代や食費を払うように脅迫したが、借金することができなかったため、昏迷に陥った杜景藍さんは手錠がはめられた状態でベッドに放置され続けた。このようにして入院三日後、10月27日朝3時30分ごろ、杜景藍さんはこの世を去った。10月29日、警察の監視の下で、杜景藍さんの遺体は焼かれた。

 法輪功学習者でない杜景藍さんの叔父も連座され、1年の実刑を処せられた。監獄で囚人によrrw虐待を受けたため、出獄時、従来の黒い髪も白くなるほど、心身ともに大きな打撃を受けた。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/11/12/114214.html