日本明慧


「スパイ」について

 文/遼寧の大法弟子

 【明慧ネット2005年11月4日】最近、当地区の二人の同修が連行されました。うわさによると、この件は某氏と関係があり、彼女はスパイだということで、学習者たちは緊張し、資料を作成する所を変えたり、某氏と接触した同修を責めたり、本当に某氏がスパイなのかを確かめようとしたり、今は危険な状況なので、外に出ないようにする同修もいます。また、だれだれが疑わしく、心性も良くない、だれだれは転化されたことがあるので、信頼できないといったうわさを学習者の間に伝える同修がいます。これによって状況はさらに混乱して複雑化し、全体の学習者の協調と圓容に悪影響をもたらしました。

 以前の旧宇宙の根本的な属性が「私的」であるため、旧宇宙の過程は「成・住・壊・滅」ですが、今日私達は「無私無我、他人を先・自分を後に」と修めています。ひとりの同修に問題があったら、それは彼に漏れがあるだけではなく、私達の全体にも漏れがあることです。もし私達の全体の場がとても強く、とても正しいなら、すべての良くないものを正すことができて、漏れのある同修に自分の不足を補わせることができ、邪悪は隙に乗じることができません。しかしひとりの同修に問題が起きると、ほかの同修たちは法で法を認識していないため、このような圓容のできない状態に陥りました。これはまさに全体の漏れで、旧宇宙の「私的」の表れではないでしょうか?

 ひとつの漏れがあったら、私達は全体的に内に向かい探すべきです。すなわち、自分に向かって探し、正念を強化し、不足を補い、旧勢力を全面的に否定し、即時に漏れを補充すべきであって、自己の観念を抱いて問題を外に押しつけたり、他人のせいにしてはいけないのです。甚だしい場合、ある所に問題が起きると、他の地方は、自分が巻き添えにされないようにと避けることはなおさらです。これは迫害に反対し、大法を証明する作用を果たさないばかりでなく、かえって旧勢力の生存の要素を養い、強めることになるのです。つまり、このような心は、自分が傷つけられないようと、一種の「私的」な自我を保護する物質です。表では、全体の安全のためと言っていますが、「私的」な恐れる心を覆い隠しています。私達の安全は師尊と私達の悟りによって決められています。この常人のような自らを保護する心を抱いて、本当に安全なのでしょうか? 理性的に行うべきで、恐れる心に左右されて法から離れてはいけません。ひいてはそれさえもわからないのは尚更です。 

 それと対照的に、ある地域は協調性がよく、全体的に密度の高い発正念を行い、身内を救援することに立ち上がり、迫害に遭う同修の家族を説得し、即時に邪悪を曝しだし、迫害を暴露し、学習者がお互い精進するように励まし合っています。これらの正念正行の同修をみて、私達はその差異を探すべきです。しかし、いわゆる「スパイ」や「潜伏者」には、どのように対処すべきかについては、私たちはさらに法に基づいて、認識を深める必要があります。

 ここで、「潜入したスパイ」に関する 私の経験を皆さんと交流したいと思います。

 2000年、私は邪悪に刑罰を言い渡され、瀋陽の大北刑務所に送り込まれました。当時、刑務所では私を転化させるため、二人の「スパイ」が私の身の回りに配置されていました。その中のひとりは、名前が張さん(偽名)で、彼女は、長年服役していて刑務所の中で一番の凶悪犯人です。刑務所のこのような按配に私は動じませんでした。師父と大法をずっと心の中で思い、回りの犯人がどんなに凶悪でも、環境がどんな悪くても、私は固く師父が按配してくださった道を歩み、正念正行しようと決心しました。その間、私は刑務所の中の残酷さと邪悪さを次第に知りました。犯人たちは個人のわずかな利益のため、殴りあったり、騙しあったり・・・、まるで人性のないオオカミのようです。

 この状況を見て、私は心の中で「師父!ここはまさに現世の地獄です。ここの衆生は苦しんで、堕落しています!彼女たちの本性を呼び戻すのは容易ではありませんが、弟子は、最大の努力で大法のすばらしさを彼女たちに知ってもらい、師父の慈悲で彼女たちに生命の最後の望みを与えます」と師父に話しました。 

 彼女たちは、次第に私の寛容と優しさのある行いに感動し「法輪功学習者はこんなによい人だ!」と言うようになり、今までの凶悪さも無くなりました。

 ある日、私は張さんに、「あなたは知っていますか? あなたが人をいじめる時、私の心も痛んでいます! あなたはきっと今のような人ではなかったはずです。この社会、この悪魔のような刑務所が、悪人になりきらないと生きられないとあなたに感じさせ、そしてあなたを変えたのです。しかし、今のあなたは絶望と虚しさに苦しんでいるはずです。なぜならば、それは今のあなたが他人を信じないばかりでなく、あなた自身をも信じていないのです。そして、あなたは独りの時に自分の脆さ、弱さを感じていて、またこのことを他人に知られたくないため、日々暴虐な仮面を被って生きています。しかしあなたは心がとても辛いのです・・・」と話しました。

 私の話に、彼女は、傲慢な態度が消え、涙を流して私の肩に伏せて心を開いてくれました。−「あなたの言う通りです。私もかつて良妻賢母で、やさしくて善良の人でした。長い間、私とこのような話をする人はだれもいませんでした。弱肉強食のこの環境で、凶悪な人間しか生きられません。でも私は段々本当の自分を見失ってしまい、今はとても疲れています・・・」。 それから、私は彼女にこう話しました。−「師父が法の中で教えてくださいました。この宇宙には善悪応報の法があります。生命が生まれる時、皆は善良で、宇宙の特性『真・善・忍』に同化していたのです。しかし一部の生命は利己的になり、悪くなりました。今日に至って、人類は堕落し、どんな悪事でもやる人がいます。神はこのことを許さないため、今は人類にとって最も危険な時です。この複雑な環境の中で自分を見失わないことこそ最も肝心なことです。今日は私たちがこうやって出会ったことも偶然ではない、縁によることです。これは師父の按配だと思います。ですから、あなたはちゃんと自分を見失わないようにしてください!」。

 「このような話を私にするなんて、なぜ刑務所が私をあなたのそばに居させているのか知っていますか?」と彼女は聞きました。私は笑ってこう言いました。−「すべて知っていますよ。しかし、私は師父を信じる、大法を信じ、あなたの善良な本性をも信じています。だれが邪悪、だれが正義なのはあなたには見分けることができるのです。そしてどのようにすべきか、あなたは自分の良心に従うはずです」。 「この数年間、私はうそばかりでした。しかしあなたの前で、私はうそをつけませんね。あなた達のような人を騙したり、傷つけたりする人が本当に人間性のないやつです。あなたは安心してください。私はあなたの見方です」と、彼女は言ってくれました。 

 このようにして、ひとりの「スパイ」は大法が私達に賜った純粋さと慈悲で変わりました。それから、彼女は私を最も信頼のできる友達にして、邪悪が大法弟子を迫害する時何回も立ち上がり、固く大法弟子を守ってくれました。その後、刑務所は、スパイの役割が果たせないため、彼女を他の所に移し、他の犯人を私の周りに按配しましたが、結局失敗に終わりました。仕方なく、刑務所は、私を転化させる試みを諦めました。このことは、師父の慈悲の加護、弟子の正念正行の中で、邪悪が作用できなくなって解体され、そしてスパイたちを大法に出会わせ、転化することができました。 

 誰がスパイですか? 潜伏者はだれですか? 師父は『2003年米国中部法会での説法』でこう説かれています。−「スパイに妨害されていると言ってはならず、この原因あの原因を強調してはなりません。実は私は随分前に既にお話しましたが、皆さんの心の状態が非常に正しい時に、スパイはここにいられないのです。彼は二つの選択しかありません。一つは正の場に同化されることです。大法弟子が発したこの純正な場は人間の考えにある全ての良くないものを消滅することができ、純正な場はそれを解体することができ、人間の考えにある全ての正しくないものを解体することができます。これは救い済度することと慈悲のもう一種の現れです。人間の考えにある良くない全てが解体され、何もなくなったら、その人に単純な考えしか残っていない時に、人間は正しいもの、善のものを認めるようになりますが、これで同化したことになるのではありませんか? もう一つの選択は早く逃げることです。なぜならば、悪人の思想業力と良くない観念が解体されることを恐れているからです」。 

 正法時期の大法弟子として、私達は自らを清めると同時に、周囲の不正な要素のすべてをも清める作用があります。まず私達は自身から始め、私達の空間の場をもっと純粋にさせて、誰がスパイ、誰が怪しいかに関わらず、私達はこのことに執着せず、悪事をする生命を操るのが邪悪な要素であって、この生命が救われることを望んでいます。私達の心がとても純粋な時、邪悪がどうやって私達を動かすことができますか? 私達が本当に鋼鉄をも溶かすような慈悲を修めた時、生命に元々あった善良な本質を呼び戻せるのではありませんか? 

 もちろん、資料作成をする所と同修の安全を考慮する必要はあります。しかし、口を修める角度から見れば、言うべきでないことを噂するのは良くないのです。仲の良い同修だから教えてあげたくなるのも人情に対する執着で、相手が怪しいのですぐ避けたり、お互いに勘ぐったり(特殊な情況は除く)するのは、同修に法理の上での交流を妨害し、全体的な協調に悪影響をもたらします。これも一種の私的な人の執着です。正法時期の大法弟子が行うべき事をしっかりと正々堂々と行い、法理の上で悟り、理性を持ち、正念正行で行えば、すべてが圓容されます。どこから来た、何の目的なのかに関わらず、私達の場にさえ入れば、彼に大法のすばらしさと純粋さを浴びさせ、同化することができます。 

 以上は個人的な悟りで、不適当なところをご指摘ください。合十。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/11/4/113584.html