日本明慧


ワラカさんの修煉物語(写真)

 文/ロシア大法弟子

 【明慧ネット2005年10月25日】

 *交通事故後 東洋の気功を探し求める

 10年前にワラカさんは大きな交通事故に遭い、同乗していたほとんどの人が命を落したが、残った人も怪我が重く相次いで病院で死亡した。当時、ワラカさんは自分も死ぬと思っていたが、しかしその時、突然ある考えが頭に浮かんだ。「私は死んではいけない。生きていかなければならない!」。この生を求めるわずかな希望で、彼は奇跡的に生き延びることができた。しかし、交通事故は彼に重い後遺症を残した。内臓器官、とくに肝臓の損傷が激しく、ときどき耐え難い痛みを味わった。医師は彼にこう言った。「他に治療方法がありません。あなたは東洋の気功を試してみたらいかがでしょう。もしかして役に立つかもしれません」。それから、ワラカさんは夢中でいろいろな方法で中国の気功を探した。気功の本もたくさん買った。ある気功も少しは練習したが、効果はあまりなかった。これらすべては彼の求めるものではなく、彼とは縁がないようであった。

 *これこそ私が捜していたもの!

 ワラカさんの会社は、モスクワから300キロ離れた小さな町にあった。彼はある水晶ガラス工場の技師だった。モスクワへ行く度に、往復で6時間の長距離バスに乗らなければならなかった。1998年のある日、ワラカさんがモスクワに出張した際、「自己への道」という書店に寄り道した。書店に入った途端、何かの力が、ある本棚の前に彼を引っ張って行った。そこで、突然『転法輪』の本が目に飛び込んできた。この本を開くと、一筋の強大なエネルギーが彼の体に打ち込まれ、彼はいまだかつてない心地よさを感じた。そして、本を買って帰り、飢えを癒すかのようにこの本を一気に読んだ。彼は自分がある強大で平和なエネルギーの場の中にいるのを感じた。あの感動はとても言葉では言い表すことはできず、これこそ自分が探していたものだと確信した。

 それ以後、ワラカさんは師父の教えに従い、偽気功書を焼いた。一心に大法を修煉し始めた。しかし、自分一人でこの小さな町にいて、どのようにして動作を学べばよいのだろうか? 彼はまたモスクワに行き、その書店で、どこで法輪功を学べるかを聞いた。すると、隣にいた女性が彼に電話番号を教えた、「ここへ電話してみてください」。このようして、彼はモスクワの学習者に会い、その日に五セットの功法を習った。

 それから、ワラカさんは毎週日曜に長距離バスに乗り往復6時間をかけて、あの学習者の家に行き煉功した。雨の日も風が強い日も続けた。彼が法を勉強し、煉功して修煉を始めてから、多くの試練もやってきた。まず周辺環境からの圧力があった。この小さな町どころか、モスクワでも法輪功を知る人は少ない。彼は毎日外で煉功しているが、人々は理解できなかった。彼の前でも、彼がいない時でも噂をして、彼は頭がおかしいという人もいた。彼は心性を守って動揺しなかった。煉功を続けることで徐々に体が健康になった。この事実が人々の見方を変えさせた。縁のある人が法を得て修煉を始めた。

 *師を信じ、法を信じたことでワラカさんは難を乗り越えた

 「修煉とは、苦難の中でこそ修煉しなければならないもので」(『転法輪』)。ワラカさんはこのことに関して意義深い体験をもっている。それは2001年の出来事で、ワラカさんが仕事中にうっかりして転落し、元の傷が再発したように、内臓とくに肝臓部が非常に痛くなった。これは自分に対する厳しい試練だとワラカさんには分かっていた。自分は修煉者として、師父を信じ、大法を信じて、毎日法を勉強し、煉功を続けた。後で振り返ってみると、「当時、煉功は私にとって、とても難しいことでした。腕が動く度に肝臓のあたりがすごく痛みましたが、しかし同時に、ある強大なエネルギーが私の全身を覆い、徐々にその痛みが和らでいきました。これは師父が私を見守っていてくださり、大法の力が私の体でもって現れたのだと分かりました。このように法を学ぶことと煉功を中断することなく、1年が過ぎて、私の体はまた以前のように健康になりました」。この難を乗り越えたことで、ワラカさんは大法の中で修煉する決意がさらに堅くなった。

 *大法弟子はこうであるべきだ

                 通行人に真相を説明しているワラカさん

 中国共産党が中国大陸で法輪功学習者に対して残酷な迫害を加えており、ワラカさんもほかの学習者と同じく、人々に大法の素晴らしさを紹介し、自分のできることを尽くして人々に中国共産党の暴行を暴いた。体が回復してから、彼は自分の地区で法を広め、真相を説明する以外に、モスクワの真相を説明する活動にも積極的に参加した。熱い夏の日も寒い冬の日も、ワラカさんは300キロ離れたフラキミル州から3時間の長距離バスに乗って前もって活動の場所に行き、真相資料を配り、通行人に中国で起きている迫害の真相を説明した。ある時、彼はバナーを掲げて4時間も立っていた。活動が終わると、彼はまた大きなカバンいっぱいの真相資料を背負って長距離バスに乗り、家に着くといつも夜の11時、12時だった。修煉でなければ、ワラカさんにとっては考えられないことだった。

 モスクワの活動はほぼ毎週あり、ワラカさんはほとんどすべての活動に参加している。ある人が彼に気を使い「疲れたでしょう?」と聞くと、彼はいつも静かに「大法弟子はこうであるべきですよ」と答えた。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/10/25/113119.html