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遼寧、黒龍江、河北省で6人の大法学習者が迫害され死亡(写真)

 【明慧ネット2005年11月8日】許鳳芝さんは女性で、遼寧省抚顺市新抚区七道街に住んでいました。2000年、彼女の長女が北京に陳情に行ったために不法労教され、不法に馬三家労教所に入れられました。ある同修が、彼女の長女は「転化」しないため、深刻な迫害を受けていて、馬三家労教所では転化しない女性学習者18名を男の監獄に入れたと許鳳芝さんに教えたところ、彼女は長女と同修を心配して、次の日に気分が悪くなり、その日の夜11時前後にこの世を去りました。2000年11月30日、69歳でした。

 

                          許鳳芝さん

 許鳳芝さんは1997年5月に法を得ました。その前まで、たくさんの疾病を抱えていましたが、法を得た後はすべての病が治りました。1999年7.20のときに市政府に陳情に行ったこともありました。彼女はどこに行っても自分が法輪功を学んでいる、「法輪大法はすばらしい」などと言っていました。師父の写真もずっと彼女の部屋に飾ってありました。コミュニティーのリーダーを彼女の家に連れてきて、師父の法像を見せて「法輪大法はすばらしい」と教えたこともありました。許鳳芝さんは過去何度も面と向かって人に真相を話しました。

 江氏集団の迫害によってどれだけの家庭に悲劇が訪れたでしょうか。許鳳芝さんはこれらの被害者の中の一人なのです。

 魏義成さんは77歳の男性です。彼は遼寧省営口市の水上運輸局の船員をしていましたが、定年退職しました。1995年にうれしいことに大法を得ました。1999年7-20から始まった法輪功に対する迫害の中で、彼の息子、娘が長期にわたり外で離散することになってしまいました。現地の凶悪な警察が何度も家に来てかき乱し、老人は心身に極めて大きな傷を受けました。2005年5月13日、悪人はまた「関心」という名目で家に押しかけて、彼の息子の消息を教えるよう迫りました。老人は9月25日晩に亡くなりました。

 李世華さんは49歳の男性です。遼寧瓦房店市の楊の郷里の人。1998年11月に法を得て、法輪功の修煉を通じて体の状態がよくなりました。1999年7月20日以降に現地の派出所の不法な人員に何回も家をかき乱され、2000年12月に亡くなりました。

 姜淑春さんは85歳の女性です。黒竜江省友谊县兴隆镇に住んでいました。1995年から法輪大法の修煉をはじめ、96年春に消業(半身不随)しました。それからもずっと法を学んで、煉功も続け、10数日後には回復しました。他の人が彼女の家を訪ねると、彼女は人に法輪大法がよいと言って、こんなに年寄りのおばあさんなのに体がこんなによいと見せました。彼女の洪法によって、10数人が修煉の道を歩み始めました。1999年の7.20後で、兴隆镇派出所は1年に3回彼女の家に行ってかき乱して、煉功を禁止して、陳情に行くことも禁止しました。しかし彼女はずっと修煉をやめませんでした。2005年9月18日に病魔に生命を奪われて亡くなる前に、2人の娘にしっかり修煉するように言いました。

 李徳興さんは73歳の男性です。1996年に喜ばしいことに法を得たあと、体の多種の疾病は自然に治りました。彼の息子もまた大法弟子でした。99年の7.20の後で、江は邪悪にも迫害、鎮圧して、老人と息子はいつも派出所、会社、コミュニティーの人に家を訪ねられて邪魔されました。彼らは修煉の環境を失い、精神は極めて深く傷つけられました。2003年に息子が悪人に告発されて、不法に労教三年を言い渡されると、老人はこの打撃を我慢できずに持病が再び現れ、2004年9月10日に亡くなりました。死ぬ前に一度も息子に会うことはありませんでした。一人の善良な大法弟子が、このようにして悪に生命を奪い取られたのです。

 李秀蘭さんは76歳の女性です。彼女は河北省廊坊市の大法弟子で、法を学び始めた後で体の病気がすべて治りました。99年7・20の迫害が始まった後に、老人の家はいつも派出所と610の不法な人員の騒乱と恐喝を受けて、老人は持病が再び現れ、2004年2月に亡くなりました。

 山東省煙台市の陳建華さんが生前に受けたいくつかの迫害

 陳建華さんは51歳前後の女性です。彼女は山東省煙台市の幸福十六村に住んでいました。法を得るまでは糖尿病で4つの+反応がありましたが、97年に法輪大法の修煉をはじめた後で+反応はすべてなくなって、どんなものでもすべて食べることができるようになり、再び仕事が出来るようになりました。1999年7.20から2000年までに三回北京に陳情しに行き、真相をはっきりと説明し、大法を実証しました。帰ってきた後に何度も数万元の罰金を取られ、不法に家財を差し押さえられてかき乱されました。警官に留置所に入れられ、両手椅子に縛られ、一日中睡眠を許されず、灌食されました。彼女は不法な人員の拷問を受け尽くして、もうあと少しでだめになるところでやっと開放されました。体はずっと回復しませんでしたが、彼女は真相の資料を作り続けて世間の人を救いました。2005年に幸福派出所がまた6名の凶悪な警察を投与して転化班での迫害を強化し、体がとても悪くなってやっと家に帰しました。不法な人員はまた大量の金銭をゆすりとろうと、いつも家に押しかけてかき乱しました。彼女は2005年3月20日に冤罪を晴らせずに亡くなりました。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/11/8/114069.html