日本明慧


しっかり正念を発しないと取り残される

 文/大陸の大法弟子

 【明慧ネット2005年11月12日】師父は『2004年ニューヨーク国際法会での説法』の中で学習者の質問に答えられました。「この数年来、特に99年7月20日以来、本を読んで向上するときの速度が落ちており、今までのように毎日飛躍があり、認識が非常に早く高まるときの素晴らしい感覚はなくなりました。なぜ今本を読んでも以前のようにならなくなったのでしょうか?と言っている人がいます。法が顕れなくなったのではなく、要求が高くなり、大法弟子が必ず三つのことを全部しっかり行ってからはじめて、向上することができるからです」。

 私は以前、睡魔の邪魔のせいで、朝はいつも起きられず、六時の発正念を逃がしていました。毎日三回しか正念を発することができませんでした。時には忙しくなるとお昼の正念も逃しました。明慧ネットで同修の発正念に関する修煉体験を見たあと、目が覚めました。「一人は一つの天体に対応しており、皆が同時に邪悪を取り除く時に、もしあなたがそれをおろそかにしたら、或いは純粋でなく、集中せず、魔はあなたの空間に逃げ込み、それも自分に難儀をきたす原因です」。

 また毎週日曜日の朝の三回の発正念に関しても、平日のように朝六時しか発正念しなかった大法弟子がいます。皆がやっているから、私一人がやらなくても結構で、昼の時間でそれを補ったら十分であると、私は以前思っていましたが、睡魔と惰性に酷く妨害されてしまいました。法を学び、同修の体験を見て、自分が修煉においてかなり遅れていることを全く意識していないことに気付きました。現在は大体四回の発正念を逃すことなく、日曜日の朝の三回も逃すことがなくなりました。もし皆が以前の私のような考えで、お互いに他人に期待すれば、日曜日の魔を取り除くことはだれがやるのでしょうか? このことも、私たちの代わりに師父にやっていただくのでしょうか?

 同修の文章「何為徒(弟子とは何か)?」にこのように書いてあります。弟子というのは何なのでしょうか、他でもなく人についていくことです。(徒という字はにんべんに走る)。誰についていくのですか? もちろん師父です、「師父の言うことを言い、師父の指示に従って行動する」。弟子は師父の言うとおりに行わないといけません。日曜日に正念を発する時間は平日と違っています。それもわけがあると信じています。もし師父の同意がなければ、明慧ネットの同修もその時間を公表しなかったでしょう。

 もし大法弟子が師父の要求に従えなければ、正法時期の大法弟子と言えるのでしょうか? 私たちの対応している天体の中で、どれほどの生命が私たちの惰性および無責任の考えによって淘汰されてしまうでしょうか? 衆生が私たちを待ち望んでいますよ!

 これを書き出して、同修とお互いに励ましあい、「正法時期の大法弟子」に恥じないように、ともに精進しましょう。

 次元の限りがあるため、不適切なところがあれば、慈悲にご指摘をお願いします。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/11/12/114365.html