日本明慧


29歳の劉博揚医師、長春市寛城区公安支局に殺害された

 【明慧ネット2005年11月17日】吉林省前衛医院の医師である大法弟子・劉博揚さんは、2005年10月28日午後、母の王守慧さんとともに、ある大法弟子の家へ資料を届けに行く際、尾行され、不法に逮捕された。そして長春市寛城区公安支局に連行された。親子二人は、悪党警察の拷問と虐待によって、劉博揚医師は、その夜八時に死亡した。推測によれば、劉博揚医師の死因は、重いもので叩かれたことで死亡したという。彼が死亡した後、階上から地面に落とされたが、寛城区公安支局の警察は、彼が「飛び降り自殺」をしたと主張している。

 劉博揚医師(男性、29歳)は、大学卒。一家三人は、1995年から法輪大法を修煉し始めた。1999年7月20日以後、緑園区正陽派出所と正陽街役所の悪党は、繰り返して劉さんの家に侵入し、嫌がらせをしていた。劉さんの母の王守慧さんは、北京へ上申に行ったので、1999年10月と2000年2月の二回不法に留置され、そして強制労働収容所に送り込まれた。彼女は、黑嘴子強制労働収容所で八回にわたりスタンガンによる拷問を受け、数回にわたって「死の床」に縛られたことがある。最もひどいのは、彼女は「死の床」に縛られ、二本のスタンガンで一時間あまり電気ショックを与えられた。その結果、体中傷だらけで、危篤状態に陥った。

 2002年3月16日、緑園区刑事警察大隊四中隊の悪党警察は、彼の両親を探し出すつもりで、前衛医院で劉博揚を拉致したが、劉博揚さんの口から両親の情報を得られなかったので、彼を正陽派出所に連行した。翌日、劉さんは大広留置所に送り込まれ、15日留置された。釈放当日、劉さんは勤め先の出入り口の前で、パトカーから降ろされたばかりなのに、すぐ長春市の国家安全局の警察に顔をかぶせられ、拉致された。その後、彼は、国家安全局のある尋問室で手錠をはめられ、三昼夜にわたって、拷問にかけられ、尋問された。

 2002年6月27日、劉さん一家三人は、再び緑園区公安支局政治防衛課の警察に、正陽派出所に拉致された。課長の朱志山は、悪党警察の苑大川に劉さんへの拷問を命じた。数人の悪党警察は、劉さんに残酷な虐待を加えた。殴り、足で蹴り、皮の鞭で彼の口をひっぱたいた。その後、悪党警察は、彼を吊るし上げ、ビニール袋で彼の頭をかぶせて、彼の両手を背中に縛って、手錠で彼を吊るし上げ、体が宙に浮いている状態で、彼の足を引っ張った。当時、苑大川は「俺は法輪功の何人をも殺したこともあるぜ。お前を殴って殺しても、俺はなんらの責任を負わんないんだぜ」と叫んだ。劉博揚は、そのとき、玉の汗をかき、手は長時間、麻痺状態に陥った。劉さんは、虐待によって息も絶え絶えとした後、不法に鉄北留置所に送られ、四ヶ月間拘束されていた。劉さんの母・王守慧は、再び拷問によって危篤に陥ったので、気絶しそうになったとき、初めて家に戻された。

 2002年10月29日、劉さんは、長春市朝阳溝労働教養所に送られ、不法に二年の強制労働をされた。12月のとき、彼は悪党警察の強制によって、一日中冷たいセメントの地面に座らせられ、夜には睡眠を許さず、昼間には洗脳を強いられていた。2004年6月、強制労働の刑期が満了したが、労働教養所は彼を釈放せず、さらに刑期を47日に延期した。

 2004年8月17日、正陽派出所の二人の悪党警察は、劉さんを派出所に連行し、そして彼に(法輪功を放棄する)「誓約書」のサインを強要した。劉さんはこれを拒否したので、悪党警察は彼を興隆山洗脳センターに連行しようとし、そして彼の家族に月額の700元を強要した。

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2005/11/17/114709.html