日本明慧


衆生を救い済度するには、強い正念と根気が必要

 文/サンフランシスコ大法弟子

 【明慧2005年11月11日】私はサンフランシスコの法輪功学習者です。今日は皆さんと自分の修煉体験を分かち合うことができ、嬉しく思っています。自分の修煉における次元および学力不足で、これから話す内容に不適切なところがありましたら、どうぞ、ご指摘ください。この機会に、皆さんとともに精進し、師父と衆生の我々に対する期待を無駄にしないようにしましょう。

 私はベトナム出身です。1975年、私が小学校二年生のころ、ベトナムは共産党によって統治されていました。私は小さい時に周りの人から、共産党のいうことを聞くのではなく、共産党のやることを見るのだと聞かされていました。当時、裕福な人々が家財を没収され、強制的に労働させられるのを目撃しました。実際、私の兄弟も強制労働をさせられました。1975年以降、多くのベトナム人は共産党から逃れるために、海を渡り海外へ行き、落ち着く場所がなくなっていました。また、多くの人はそのために命をなくしました。私は幸い若いときに米国へ逃れることができました。

 法との出会い

 1988年、私はある学習者の自宅で偶然『論語』を見かけ、その奥深い内容に惹きつけられました。その後、『転法輪』という本を知りました。私は学力がないため、読書する習慣はありませんでしたが、なぜか『転法輪』はやめられませんでした。私は6ヶ月近い時間をかけてやっと『転法輪』を1回読み終えました。

 私は『転法輪』を1回通読してから、煉功を始めました。私が煉功を開始して数ヵ月後、軽い持病が全て治り、再発もしませんでした。私は法輪功のすごさが初めて分かりました。修煉とは闘争心、嫉妬心、顕示心などの執着心を取り除くことであると初めて理解しました。

 法を正し、修煉する過程

 中共が法輪功に対して迫害を始めてから、多くの学習者が陳情のために北京へ出かけた際、共産党の残虐な弾圧を受け、惨殺され死亡者が続出しました。我々海外にいる学習者もそれから全力を上げて、世界の善良な人々に対して迫害を中止させるように種々の活動を行い、呼びかけを行って来ました。

 一度、迫害され死亡した学習者達を偲ぶ活動で、私は心から、迫害されている幾千万の法輪功学習者を救出しようという一念が生じ、そのために私は懸命に呼びかけました。当時の私は、自分の一念が非常に純正だと感じました。私はそれから法を正し、修煉する道を歩み始めました。師父が常に私を見守ってくださり、正しい道を歩むように導いてくださり、私が約束したことを実践する機会を与えてくださいました。

 二つの出来事

 2002年、サンフランシスコ市議会が、中共の法輪功に対する迫害について譴責する議案を提出する時に、証言台に立つ学習者のために正念を発し、多くの学習者は議会前に集まりました。中共はいろいろな邪魔をし、我々に対して嫌がらせをしました。多くの学習者は大衆に向って発言し、中共の暴行を暴露しました。これはまさに正邪の交戦であると自分の中で思い巡らしました。

 このとき、私の手元に法輪功を支持する方からの手紙が届き、その場で読み上げて欲しいと依頼されました。私は自分の英語も上手でなく、大衆の面前で発言する経験もないので、とても重責をおえないと断りました。しかし、手紙を渡しに来た学習者は私に、大法が攻撃されているのに、黙って見ていられますか?あなたしかいません、と言いました。

 私は仕方なく発言する人達の列へ行きました。私はまず手紙の内容を知っておいた方が良いと、内容を読んで見ましたが、あまりにも難しい言葉に戸惑いました。私は早速、まわりの学習者に教えてもらいました。結局、発言の効果も良くなくて、さんざんでした。

 今回のことで、自分の恐れる心が完全に暴露され、自分の執着心が分かりました。師父は私の恐れる心を取り除くために、苦心を尽くされました。そのときの効果は思わしくなくても、私は退くことはしませんでした。効果は重要ではなく、重要なのは、過程であり、挫折後にすぐに立ち上がり、内に向かって足りない点を探すことができるかどうかです。不足があれば、直ちに修正し、正々堂々とした修煉者になることが肝心であると認識しました。

 そして、私は恐れる心がなくなったことが確認でき、あらゆる場合においても恐れる心をさらに取り除くようにしました。それから、私は公の場で発言する回数が増えるにつれて、自分の恐れる心も少しずつ消えつつあります。

 恐れる心を再び取り除く

 中共は迫害の真相を隠蔽しようと、海外の中共寄りの国々のメディアに対して、うそ偽りによる宣伝を拡大しました。あるラジオ放送局はよく大法を攻撃し、多くの華人を騙しました。我々はそのラジオ放送局に対して、電話をかけ真相を伝えることにしました。

 私はこの件について学習者達と話し合いました。最終的に、私が電話をすることになりました。師父が私の恐れる心を取り除くため、再び機会を与えくださいました。その晩、私は緊張のあまり一晩眠れませんでした。

 翌日、私は相手の電話が鳴った時から、緊張してきました。私は絶えず真・善・忍を暗唱してからやっと落ち着きました。そして、電話に出た司会者に対して、自分は法輪功を修煉する者として、自分の体験を話しました。すると、その司会者は私に、「あなたはお腹の法輪が旋回していると感じますか?」と聞かれ、私は「感じません」と返事しました。そして、一分間の会話が終了しました。私は、はっきりと真相を伝えられなかったと思いましたが、邪悪を震え上がらせることができ、良かったと思いました。私はその時に自分の恐れる心がさらに取り除かれたと感じました。私はその後、公の場での発言がより流暢になり、多くのメディアの番組に真相を伝えました。

 ここ数年間、師父は常に私を前へ、自分の帰る場所へと導いてくださっていると感じています。私は自分がした約束も師父の導きの下に実現しつつあり、自分の執着を取り除きながら、やがて修煉者の基準に達しました。私は全力を尽くして衆生を救い済度していると感じています。非常に幸せですっきりした感じです。

 サンフランシスコで真相を伝える活動が多く、私もできる限り手伝うようにしています。多くの経験をまとめると、正念を堅持することがもっとも大切であるということです。

 一度、私はある盛大なパレードに参加するために参加申し込みをしました。しかし、主催者に連絡をしたときはすでに締め切られていました。私はとにかく主催者に面談したいと申し込み、法輪功を紹介しました。主催者側は私が用意した大法の資料や写真に魅了され、数日後、我々が参加できるとの連絡を受けました。それ以降、同主催者は毎年我々に対してパレードに参加するよう招待してくれました。

 また、「真・善・忍絵画展」を開催した際も場所が取れなかったり、連絡先を間違ったりするなど、たくさんの邪魔がありました。私は負けずに毎日のように展示場の責任者に連絡を取り続けました。そして、やっと彼女と連絡が取れました。彼女は私に30分早かったら、会場は取れなかったと言いました。なぜならば、会場はちょうど今キャンセルされたばかりだからと話しました。私はもっともよい時間帯に電話がかけられたのも師父の按配であることはよく分かっています。

 これまでの経験で私は、師父が『転法輪』で「乗り越えられそうもないと見えても、おこないがたいと言われても、本当に行けるかどうか試しにやってみてください。もし本当にやりとげられればきっと『柳暗花明又一村』というように、眼前に新たな世界が開けることに気づくに違いありません」という説法を深く感じました。

 時間を上手に按配することこそが修煉

 迫害が始まって以来、学習者たちは衆生を救い済度するために多くの真相を伝える仕事を担っています。一度、法の勉強のまだ浅い学習者が、自分はいろいろな大法の仕事をする時間がないと悩んでいる話を聞きました。実は、時間を上手に按配すること自体が修煉なのです。

 多くのことは複雑に見えますが、時間を上手に工夫すれば、より多くの仕事をこなすことができます。例えば、私は翌日に電話で真相を伝える予定の場合、前日に話す内容をメモに書きとめておきます。そして、実際に電話をする際、メモを見ながら相手に話すのです。数分間で事を成す場合が多くあります。数年来、私はこのやり方を続け、非常によい効果を得ているので、皆さんにも知ってもらいたいと思います。実は、1つのことを成し遂げるのは難しくありません。本当の難しさはその過程における修煉の要素、執着の放棄です。すべてのことを自分にとっての修煉だと思い、すぐに執着心を取り除けば、困難も簡単に乗り越えられます。

 自分の修煉を振り返ってみれば、少しずつ悟り、執着を取り除く過程です。これはその人の能力や学力とはまったく関係がありません。修煉には苦難はつきものですが、正念を強くし、実践し続ければ必ず円満成就します。また、プロセスの中で、法を正すことを余分な負担だと考えてはなりません。睡眠が少なくても、ろくな食事が取れなくても、当たり前だと思わなければなりません。法を実証し、さらに多くの衆生を救い済度することは、法を正す時期における大法弟子の責任であり、光栄であります。

 師父、ありがとうございました。
 皆さん、ありがとうございました。

 (サンフランシスコ地区交流会発表原稿)

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/11/11/114253.html