日本明慧


高智晟弁護士の公開状、迫害停止を呼びかける

 【明慧ネット2005年10月20日】北京の高智晟弁護士は10月18日、「公民」及び「同胞」の名義のもとで、胡錦濤主席および温家宝首相宛の公開状を公表し、自由な信仰者たちへの迫害を停止するように呼びかけた。

 高智晟弁護士は公開状の冒頭で次のように述べた:『座して同胞である両閣下にご挨拶する前に、他の共通の同胞たち——法輪功学習者が最近再び被っている不法な系統的、大規模且つ組織的な迫害の真相を明らかにするため、私は、数日間身分を隠して北京以外の地域を訪れていました。これが私の「失踪」報道の原因であります。』

 法輪功学習者に対し加えられている継続的、系統的、大規模、そして組織化された野蛮な虐待・暴行は、今こうしている間も絶えず発生しています。こうした迫害の事実は、最近各地から寄せられた手紙によって明らかにされた事実ばかりでなく、私が今回各地を調査し、実際に目撃し、確認した事実も含んでいます。一人の市民として、そして一人の弁護士として、私は自ら目撃し、確認したこれらの事実を公表することについて、如何なる法的責任をも負う所存であります。

 両閣下の人間性が基本的に善良かつ信任に足ることを信じ、私は自分が目撃した真実を公開状の形で両閣下にお伝えすることと致しました。両閣下におかれましては、迅速な措置を以って、できるだけ早く各地方当局が法輪功学習者に対し実施している野蛮且つ不法な迫害を止めさせるよう重ねてお願いするものであります。このことはもはや不法な迫害に晒されている市民を惨事から救う必要性という問題に止まらず、中国憲法の価値、法治の価値、道徳及び道義などの面における人類の普遍的な文明が共有する価値観に直接関連しています。これらの価値観は今日の中国において、そして両閣下にとって全く価値のないものになってはならないのです』。

 そして、高智晟弁護士は公開状の中で以下の迫害事実を列挙した:

◆ 『山東省煙台市の序承本氏の証言:「私の妻賀秀玲の遺体は2年近く冷凍されており、現在に至っても放置されています。彼らは妻を長期にわたって虐待し、死に至らしめる権限があるのに、どうして妻の死後2年もの間、事件を処理する権限がないですか?妻は酷い虐待を受け、死ぬ直前にやっと面会を許されました。しかしその時妻の意識は既に朦朧(もうろう)として、しかもベッドに縛られ、下半身の衣服はつけられていない状態でした。愛する妻の惨状を見て、私の心は本当に締めつけられるほどの痛みを感じました!彼らは本当に人間性のない獣のようでした。妻との面会が始まり、まだ数分もしないうちに、私は外に追い出されました。彼女はまだ40歳ちょっとですよ!これは妻が死んだその晩に、公安部門からの通知をうけた後、私が見た情況のすべてです。妻は生前5回も逮捕され、遼寧省錦州で3ヶ月ほど拘禁されました。また陳情のため北京に行き逮捕され、法輪功学習者を収容するために借り上げた芝罘区のホテルのトイレの中に閉じこめられました。たった3平方メートルの場所に、16人も収容されていました。多くの人がそのむっとした空間が大変息苦しいと感じました。後に私たちが強く要求したため、死んだ妻の検屍が行われました。しかしまだ検屍報告を受け取っていません。その後私が繰り返し要求したところ、口頭で『法輪功を修煉したため死んだのだ』と告げられました」

◆ 文登市宋村鎮石灰窯村の法輪功学習者・杜克松氏は今年5月に逮捕され、労働矯正所収容処分の決定を受けた後、留置場で虐待されたため高血圧になり、労働矯正所収容から約50日後危篤状態に陥ったため釈放されましたが、9月27日に再び公安に逮捕され、いまだ行方不明のままです。

◆ 文登市宋村鎮寺前村在住の法輪功学習者・於正紅氏(40歳)の場合、9月27日に自宅で逮捕された後、15日間絶食し、病院から「危篤状態」との通知が出されたため、身分を隠した公安(自分が警察であることを認めようとしなかった)によって自宅に送り返されました。

◆ 文登市宋村鎮大床村在住の40歳の女性法輪功学習者・林基嘯氏は9月28日逮捕された後、留置所に拘禁される間、絶食を続けていました。家族から釈放の要求を受けた留置所は、林基嘯さんはすでに王村労働矯正所に送られたと告げました。しかし、同留置所から出てきた人によれば、林基嘯氏はまだ同留置所内に拘禁されているが、すでに危篤状態に陥っているとのことでした。そこで林基嘯氏の家族が王村労働矯正所に確認したところ、同労働矯正所には収容されていないことが分かりました。また610オフィス(注①)の関係者に問い合わせたところ、林基嘯氏はすでに青島に送られたと告げられました。このように林基嘯氏の生死、現在の状況、および所在は一切不明です。煙台福山区の肖勇氏は規律を重んじ、非常に評判のいい人でしたが、法輪功を数日間修煉したという理由のみで、今年7月に3年の実刑判決を言い渡されました。

◆ 退職教師劉莉氏(仮名)はゆっくりと腰を下ろし、2時間に及ぶ供述を始めました:「私が始めて逮捕されたのは2001年6月でした。一年間にわたる虐待により私の健康状態が非常に悪化したため、私は釈放されました。しかし2003年になって初めて、2000年以降の自分の給料のすべてが610オフィスに盗み取られていることに気づきました。そこで私は610オフィスの関係者及び私の学校の校長と何度も接触を試みましたが、この問題は現在も解決されていません。私の夫も法輪功を修煉していましたが、拘禁中に受けた虐待のため記憶喪失になり、警察による家財が没収された際、夫が保管していた預金通帳が紛失し、我が家のなにがしかの蓄えも、その具体的な金額を思い出すことができません。2003年の旧正月、私は所持金の全額100人民元を拘禁中の夫に譲ったため、私と娘は一文無しで年を越さなければなりませんでした。2001年6月、福山区公安局の5名の警察が私の家財を没収するとき、法輪功の書籍が二冊見つかったため、私を強制的に派出所に連行し、そして暴行を加えました。警察は一般人民を殴ってはならないと叫ぶ私に対して『お前を殴ったからどうした?』と警官は叫んでいました。24時間続いた尋問を終えてから、ある張姓の警官は「早くはかないと痛い目にあうぞ」といって、他人の供述記録をコピーして私に署名・押捺するように強制しましたが、私がこれを拒否すると、警官は勝手に私の名前を書き入れました。その横にいた陳姓の警官は見兼ねて『彼女自身が署名しなければ意味無いじゃないか?』といいました。そこでその張姓の警官は『この女を痛い目にあわせてやるためだ』と憎憎しげにいいました。その後彼らは私の前で捏造したこの証拠により私を15日間違法に拘禁し、その後福山洗脳センターに送りました。洗脳センターでは、私を転向させるため、私は眠ることを許されませんでした。2002年1月になっても、私は転向しなかったため、彼らはその捏造した証拠で私を1年の労働矯正所収容処分とし、そして610オフィスの王岳峰主任が私を労働矯正所に収容しました。労働矯正所における身体検査の際、私の体が虐待によりすでにぼろぼろとなっていたため、労働教矯正所は私の受け入れを拒否しました。しかし何とかして私を労働矯正所に収容しようと、関係者同士が耳打ちをした後、ある医師が私に非常に長い注射針で注射をしようとしました。私はこれに抵抗しましたが、5人の男にベッドに抑えつけられ、強制的に注射をされました。それでも私の体はいっこうに回復しないのを見て、どうしようもなく私を自宅に戻しました。「2002年11月20日、私は続けて福山鎮の共産党委員を尋ね、自分の給料が違法に控除されていることについて話してみました。鎮のオフィスに来た私は自己紹介をしてから、彼は外にでて、長い時間たってから戻って私に『趙秘書と相談してみなさい』といいました。そこで私が趙秘書のオフィスに入ったとたん、外から5人の警官が突然入ってきて、何もいわずに私を車に押し込み、強制的に福山洗脳センターに連行しました。これ以降2003年11月17日に私を釈放するまで、私に対して非人間的虐待を繰り返しました。43日間続けて手錠をはめられたまま過ごしたときもあります。また手錠をはめたまま、鉄のドア上に吊り上げられて暴行をうけたこともあります。このような1年にわたる違法な拘禁によっても私を転向させられなかったため、私は再び釈放されました。2004年11月28日、私は再び逮捕され、地元の派出所から栖霞留置所に送られ、そこで7日間拘禁された後、栖霞洗脳センターに移送され、そして2005年3月18日に釈放されました。拘禁期間中、彼らは続けて睡眠を奪う方法で私を虐待し続けました。一時は続けて26日間一睡もしないこともありました。まぶたをちょっとでも閉じるとすぐに暴行を加えられたため、気絶することは何度もありました。また、警官たちは睡眠を奪うため私に直立不動の姿勢を強制し、休息を禁じ、さらにいつも自らが疲れるまで私に対して暴行を加えました。」2005年10月15日午前、私たちは足が不自由な王徳江氏と面会しました。王徳江氏の足は腫れがひどく靴も履けない状態になっていました。そして王徳江氏は次のように語り始めました:「2005年8月15日の夜、私は牟平区高陵鎮下雨村の友人の家にいたとき、村の治安管理者と高陵派出所の三人が突然入り込んだのを見て、私と友人はすぐに外に走り出しましたが、『泥棒』という彼らの叫を信じ込んだ村民によりその場で取り押さえられました。それから彼らは私たちを殴り始め、治安主任は手に椅子をもって突然私に殴りかかり、椅子は一瞬にしてばらばらになり、私も地面に倒れて動けなくなりました。それでも彼らは足で私を踏みつけ、その中の一撃が私の肝臓を直撃したため、私はその場で気絶しました。彼らは私を車に乗せ高陵病院に収容し、私が起きたとき、自分はすでに病床に縛られていることに気づきました。以前私を捕まえようとしたある治安管理者が私を追うとき不注意に転んだことで、私に恨みを抱いており、私が目覚めたのを見て、靴で私を殴り始めました。その場にいた公安は『病院だから殴るときは大きな物音をさせないようにやれ』といいました。その晩に2軒の家の家財は没収され、6人が逮捕され、中にはすでに70歳を過ぎた孫という名字の年老いた法輪功学習者もいました。その後、彼らは私を留置所に送り込み、私に洗脳センターへの参加手続書面に署名を強制しました。私が署名を拒否したため、ある刑務官が私の手錠を強く引っ張り、『これでも署名しないか』といいながら署名を強制しました。それも拒絶したため、彼は手錠を掴み続け、手錠が手の肉に食い込みはじめましたが、それでも私が署名しないのを見て、彼はその場を離れました。その後、彼らは数名の受刑者囚に私を殴るように命じ、受刑者たちは房内で私を殴りはじめました。一度警察が私を取り調べましたが、私が非協力的であったため、彼らは私を煙台の幸福洗脳センターに送りました。私は眠ることを許されず、非常に小さい椅子の上を長時間座らされ、転向を強制され、三書(注②)(保証書・決裂書・批判書)の作成を強制され、また「車輪戦」という方法で拷問を加えられ、さらに法輪功を貶すビデオを見ることを強制されました。しかし、四日間たっても、私が転向しないのを見て、牟平警察は、煙台公安所の610オフィスの主幹・於剛と相談し、私のようなケースは招遠洗脳センターに送るしかないと話していました。そのとき私はすでに8日間もの間、何も食べず、また一睡もしていませんでした。招遠洗脳センターに着いてから、彼らは私を担いで、一歩歩くたび私を一蹴りし、『まだ転向しないか』といいました。私は地面に降ろされたとき、立つ力すらなくなっていたため、そのまま横になっていました。それでも彼らは止むことなく私を虐待し続けました。洗脳センターの主任は私の体を足で踏みつけ、表情一つ変えず、足で私の頭を宙に持ち上げ、いきなり足を離す動作を繰り返し、何度も私の頭を地面打ちつけ、さらに蹴りつけ、ひとしきり虐待した後、私は監視ルームに運ばれました。そのとき私は彼らが完全に人間性を失っているように感じられました。招遠の洗脳センターでは、学習者はそれぞれ、洗脳専用に造られた小さな房に閉じ込められています。立ち上がることができない私を、彼らは鉄の鎖で椅子に縛りつけ、手錠と足かせをつけ、虐待を続けました。十日目になると、彼らは私に対して灌食(注③)を強制し始めました。私は絶えず血を吐き出し、その様子があまりにも気持ち悪かったためか、それを見た彼らも吐いていました。それでも私の頭をつかんで灌食をし続け、まだ転向しないのかと問い詰めました。それでも『転向しない』と応えると、彼らは『招遠基地で転向しなければ生きて外にはでられない、ここにはお前らを痛めつける方法はたくさんある』といいました。そして、私は、暖房管を背にした姿勢で手錠をかけられ、つま先がちょっと地面に触れることができる程度の高さに吊り上げられました。屋内には電気がなく、24時間真っ暗でした。そして時々、部屋に入ってきた人が指を私の鼻の下にあてて、まだ呼吸しているかを確かめるようにしているのをかすかに感じました。どれくらいの時間がたったか分かりませんが、手が宙につられているため、腕に大きな傷ができました。それから話せないように、電線で猿ぐつわをされたため、今でも話すと唾液が出る後遺症が残っています。私は絶えず虐待を受け、その苦痛は筆舌に尽くしがたいものであったため、舌を噛んで自殺することも考えました。しかし彼らはさらに数本の電線を詰め込んだため、私の口を動かすことができなくなり、そして意識不明になりました。意識が回復してから、自分の足は黒く変色し、左の足は右の足の二倍ほどの太さになり、右足はますます細くなっていることに気づきました。それでも彼らは私に対する虐待をやめませんでした。私はトイレに行きたくなり、看守たちは私を起きあがらせましたが、私はすでに歩けなくなっており、その場に倒れ込んでしまいました。同洗脳センターの医務官は、私が非常に危険な状態に陥ったのをみて、足を早く切断する必要があるとして、私を病院に送るように看守たちに言いました。それから私は毓皇頂病院に送られ、そこで数日入院すると、彼らは私の家族に医療費を請求しましたが、支払う余裕がないため、私は家に送られました。家に帰ってから、もう自分一人で日常生活ができなくなったため、80歳過ぎた母がまた私の面倒を見なければならなくなりました。」

 高智晟弁護士は公開状の中で、『王徳江さんは瀕死の状態で地方当局から家族に引き渡されました。彼及び彼の親戚が体験したこの悪夢は、今もなお全国各地で無数の無辜の同胞たちの身に起きています!』と指摘した。

◆ 『「22歳の楊科萌さんはハルピン工業大学威海校自動車専業の2年生です。同級生から校長まで、みんな彼のことが非常に好きでした。しかし彼がインターネットで共青団からの脱退声明(注④)を公表したことが、中央のある指導者の怒りを買うことになりました。彼は声明の中に自分の学校名を記入していなかったため、610オフィス関係者は全国の大学で徹底的な調査を行い、今年5月、威海610オフィスの関係者が彼を見つけ、法輪功を修練しているのか、そしてインターネット上で共青団から脱退したのか、と問いつめました。そこで彼は『脱退したいと思ったからそうしました』と応えたため、8月20日に学校が始まり、610オフィス関係者が再び学校を訪れ、29日に彼が逮捕されたことは、後に両親が寄宿舎に電話して初めて知らされました。9月7日、楊科萌さんの両親(楊平剛・常麗君)及び王勝利夫婦と済寧の王さんも同時に逮捕され、現在も行方不明のままです。」これは、王というある先生が私たちに話してくれたことです。

◆ 「2005年の国慶節前に、山東省の幹部は菜蕪市の公安機関に、国慶節までに亓英俊、陳蓮美、王静などの7人を逮捕しないと、公安機関の責任者を処分すると警告しました。そのため9月29日、上述の人々は直ちに逮捕されました。実はこの地域では、多くの警察官が法輪功学習者を逮捕したがらないのです。しかし彼らは命令に従うしかないのです。また、法輪功学習者をさらに虐待するため、今では全国各地から招遠洗脳センターに「研修」に来る人がいます。それに胡錦濤主席のアメリカ訪問期間中、中央政府から法輪功学習者を迫害の手段が手ぬるいとして、全体の迫害手段をさらに強化してから、法輪功に対する大規模な弾圧を再開せよとの命令が出されました。山東省の招遠洗脳センター及び山西省のある洗脳センターは、中央政府により「模範洗脳センター」として指定されています。外部の者はその意味するところが分からないかもしれませんが、このような「模範」とされる洗脳センターになればなるほど恐ろしいのです。転向することなくそこから生きて出られる人は非常に少なく、地獄よりも恐ろしいところです。招延洗脳センターは本当に地獄よりも恐ろしい場所です!私たちを虐待する看守たちは人間ではありません」と、ある招遠洗脳センターに収容された経験のある法輪功学習者は語っています。


◆ 「私は亓鑫といいます。19歳、山東省菜蕪市に住んでいます。亓英俊と陳翠蓮の娘です。私には亓垚という10歳の弟がいます。両親は1998年から法輪功の修練を始めました。2000年当時、父が公園で煉功しているとき、菜蕪市の警察に逮捕され、そして淄博王村労働矯正所に3年間収容されました。母は警察から逃れるため各地を放浪していましたが、やはり菜蕪市小曹村で逮捕されました。その時私は13歳で、弟はまだ3歳で、母が釈放されるまで、私は家で弟の面倒を見ていました。父が戻ってから教えてくれたのですが、父が淄博王村労働教矯正所に収容されているとき、修練を放棄させるため、警察は同時に8本の電気ショック棒で父を電撃していました。そのため父は体が痙攣し、皮膚が焼け焦げ、異臭が漂っていました。電撃された数週後に、焦げた皮膚が剥がれ落ちるようになりました。それから両親が家に戻って、みんなで一緒に生活し始めました。両親は軍事用品の小さな店を再び経営するようになり、これで災いはもう終わったと私たちは思いました。しかし今年9月30日の夜1時過ぎに、菜蕪市の警察は20数名の武装警官を擁して汶陽村にある法輪功学習者の尚おばさん宅で私の両親および尚おばさん夫婦を逮捕しました。尚おばさんのご主人は修練者ではありません。8月から、父は指名手配となっていたため、両親は私をある女性に託し、弟を連れて各地を放浪する生活を始め、一家は再び離散を強いられました。両親が逮捕されから今まで、弟の情報が全くなく、まだ物事がよく分からない幼い弟のことが心配でなりません。毎日弟のためお祈りをしています。それから10月1日の午後3時、菜蕪市公安局の柳青と張宝徳及び官司派出所の邵士勇など20人が、今では誰も住んでいない私の家に入り込み、パトカーはアパートの下に駐車し、彼らは鍵で私たちの貯蔵庫を開けて、また住居のドアの鍵を壊し、7時にはなれるまで家財を『没収』して行きました。今私の一家4人は離散し、10歳の弟はまだ行方不明のままです。」

◆ 河南省扶溝県58歳の賈俊喜氏は2005年8月18日に地元の警察に逮捕され、10日あまりの間虐待を受けた後、死亡しました。家族が検屍をするように要求したにもかかわらず、地元の警察は火葬を強行しました。(警察は:北京に陳情しても無駄だと暴言をはいたという)

◆ 2005年6月8日、広東省恵州在住の朱家文氏(仮名)は工事現場で仕事をしているところを警察に逮捕され、家族は、54日後始めて朱家文氏が3年の労働矯正所収容処分となったことを告げられました。

◆ 2005年9月12日深夜、広州市東山区の石磊氏(仮名)の家に突然数名の警察が突入し、何も言わずにいきなり石磊氏を連行したという。「そのとき夫は靴を履く時間もなく、階段を下りてそのまま彼らの車に押し込まれ、夫を殴る音が聞こえてきました。私の心は打たれるほどつらかったのです。私たちは本当に助けてくれる人がいないんですよ。高先生!今日になっても何の法的な手続も採られていません」と石磊氏の妻は電話の中で泣きながらこのようにいいました。

◆ 2005年9月6日、石家庄の法輪功学習者・段生氏、何麗氏は逮捕され、いまだ行方不明のままです。

◆ 2005年7月19日、四川省濾州の袁玉菊氏、梁勁暉氏親子及び他の10名の法輪功学習者たちは不法に逮捕されてから今も違法に拘禁されています。』

 高智晟弁護士は公開状の中で、『10月1日の少し前、北京、黒龍江省などの各地で法輪功学習者に対する大規模な取締が行われました。胡錦濤主席が外国訪問する期間に、各地で逮捕件数が著しく増加しました。以上述べられた諸事実は白日の下で行われている、覆い隠すことのできない事実です』と述べた。

 『胡錦濤主席及び温家宝首相:一部の地方当局の法輪功学習者に対する迫害はすでに恣意的に行われる状態になっています。このような公然と人道に反する野蛮な迫害行為が21世紀の人類社会で、そして今日の政府による統治下の中国で現実として行われていることを、私たちは傍観することができません。両閣下が今私たちとともに直面せざるを得ない現実とは、両閣下の政権は、当初、国内の国民及び国外の文明社会から極めて大きな期待が寄せられ、両閣下が掲げた「憲法に従い国を治める」、「人を以って本と為す」、「調和社会の構築」などの理念が暫くの間人々に希望を与えていました。しかし現実は残酷なものであり、そして、それは客観的な事実です。迫害されている市民がこの現実に直面するように、両閣下及び私たちも同じく今この瞬間も発生しているこの現実に向かい合わなければならないのではありませんか?全世界にその名も轟く大国の指導者として、両閣下の迫害に対する認識能力が一般人以下であるとは信じられませんし、受け入れたくもありません。今日、すべての中国人の目の前で公然と継続的に行われている無辜な信仰者たちに対する人道に反する迫害行為を、もし両閣下が知らないというならば、それは国民として一種の罪であり、もし実情を知っていても止めようとしないならば、それでは実際の犯罪実行者とどう違うのでしょうか?正に私がこの公開状を両閣下にお出したのは、私が今も尚両閣下の信念を信頼しているように、私が調査の過程で、多くの迫害された法輪功修練者及びその家族が生涯忘れられないほどの残酷な迫害を経験した法輪功学習者、最近虐待で身体障害になった者、及び迫害により家族を虐殺された人々すべてが依然として善良さを持ち続け、また両閣下に対する期待を抱いている、このことが調査をする私たちを感動させ、落涙誘ったからであります!しかし私が両閣下とともに心を痛めずにいられないのは、法輪功学習者に対するこの全土に及ぶ迫害の中で、一部の犯罪行為の形式的外観はすでに失われていますが、その実質は一向に変わることなく、継続・反復される犯罪行為は数え切れないほどの善良な国民を死に至らせしめ、そしてこの基本的な人間性に反する迫害がいまだ横行しているということです。それと同時にそのことによってもたらされた悪影響として、わが国政府および国家のイメージ、ひいては法律、道徳、そして人の文明に関する国際社会でのイメージが著しく損なわれています。今回のこの破滅的罪悪は両閣下に起因するものではありません。しかし両閣下の統治下においてもなお存続し、そしてこの法輪功学習者に対する迫害が両閣下によって止められないとすれば、同じく両閣下にとっては一種の罪責に当たります。一刻も早くこの迫害を止めなければ、それは一つの歴史に刻まれる結論となってしまい、もはや私個人の認識に止まらなくなります。』

 法輪功学習者に対する残酷な迫害状況を指摘してから、高智晟弁護士はさらに迫害実行者、及び彼らの社会全体にもたらした悪影響について指摘した:

 『継続的に行われている多くの人々に対する惨事の中で、私たちの心をさらに痛めたのは、このすべての人々の心を震撼させた大迫害の被害者は、もはや自由な信仰を求める修練者及びその家族に留まることなく、この法輪功学習者に対する人道に反する残虐な迫害が、すでに同胞たちに対する迫害に加担する加害者自身を、人間性を失った獣のような存在に豹変させたことです。例えば前述した招遠洗脳センターの事例では、顔色一つ変えずに自分の同朋・王徳江さんを足で踏みつける主任、あるべき給料を盗取されたことに対し、収入がなくすでに衣食の維持すら困って、支払われるべき四年分の給料を受け取るため何度も請求に来た劉氏を無視する610オフィスの主任及び二人の校長は、みなこの人道に反する迫害の加害者であると同時に被害者でもあるのです。洗脳及び転向の具体的事務に従事する公務員に対して、専ら法輪功学習者を転向させた結果のみを奨励評価するため、これらの官僚たち及び政府の公務員たちは、ひたすら経済的利益及び奨励を追求するあまりに、すでに自分のあるべき人間性、そして同類の生命、苦痛に対するあるべき憐憫や同情を完全に忘れ去り、あるべき罪悪感、羞恥心及び道徳観を完全になくしてしまいました。この過程で、人類の文明社会における普遍的な価値観はもはや重視されなくなり、職業倫理の中で形成された基本的価値観も完全に正反対の方向に向かっています。法輪功学習者・賀秀玲さんが死ぬまで耐えた非人道的な虐待の記録は、人類の永遠に続く未来において、この事件を記憶した後世の人々の痛罵を浴びせられるでしょう。彼女が危篤状態に陥ったまま霊安室に入れられ、「死」後初めて面会を許された家族がひざまずいて彼女の前で号泣するとき、突然「死者」の両目の目じりから涙が流れたのに気づいて、必死に医者に助けを求めて叫ぶとき、医師の信じがたい冷淡さがさらに親戚の不安を募らせる結果となりました。同村の人々は、賀秀玲さんがまだ死んでいないのに、医師が救命治療をしないと聴いて、急いで病院に駆けつけ、その医者を叱責して始めて測定器具で「死者」の心臓がまだ動いていることが確認されましたが、その医者が最初に考えたのはいかに人を助けるかではなく、ただ心臓がまだ動いていることをあらわす心電図をその場で破り捨て、「とっくに死んだもの、生きているわけがない」と言ってすばやくその場から逃げ出した。その結果涙を流している賀秀玲さんは家族の絶望的な慟哭の中で息を引き取りました。

 同胞である両閣下が上述した実際の出来事についてどうお感じになられるでしょうか!私たちの国、私たちの人民、私たち民族の久遠の価値、そしてこの大迫害の前で不名誉な沈黙を保った世界の各国政府のイメージは、みなこの大惨事の被害者であります。

 特にここで強調したいのは、事実が充分明らかにしているように、中国の統治者たちは、その指導の下における経済的改革による巨大な成果が必ず精神領域の変化をもたらすことについて、しっかりした予見および充分な認識をもっていません。長期にわたる平和の時代、経済至上の社会において、人類は単に純粋な物質消費に耽溺することはできません。人々の精神社会への渇望が促進される中、宗教及び信仰を持った生活が民間社会で大いに復興することは、必然の趨勢でもあります。それは科学や文化などの主流な分野と並立可能な存在です。現代の文明は、科学と信仰の間にある境界線の区分、それぞれが守るべき領域の問題をすでに解決しています。個人の信仰の自由は、必ず集団的意識形態の解消をもたらします。個人の権利の拡大は、必然的に政府の無制限な権限に対する抑制として機能します。これは統治者が必ず正視し、順応しなければならない事実であり、人類歴史の流れでもあります。

 ここで、私は私自身及び私の周囲の人々の困惑および疑問を提起しなければなりません:市民の間で争うことのない自由な信仰がなぜこれほど継続的、非人間的かつ不法な迫害に晒されているのでしょうか?そうした価値観はどこから来ているのでしょうか?精神に異常のある人または完全に人間性の欠如している人でなければ、説明しがたい問題です。迫害の加害者の立場から見ると、この選択は、加害者自身を野蛮で不法な境地に孤立させ、正常人が憎悪を抱く程に加害者の人間性を破壊し続けるばかりでなく、そこにはそもそもいかなる正の価値が存在しません。今回の調査の中から、6年前に始まったこの惨事が今も続いているという事実以外に、もう一つの事実を見て取ることができます。それは、この弾圧自体が失敗しているという事実です。私たちが調査した範囲から見れば、弾圧の命令の執行が残酷になればなるほど、そして継続的になればなるほど、この失敗の度合いはさらにはっきりと見えるようになります。山東省の済南、青島、煙台などの地区で、法輪功学習者たち及び彼らに同情し、支持する者によって貼られ、配布された抗議文や弾圧における犯罪行為を暴く標語文章がいたるところで見られ、中にはたくさんの公安派出所の門前にも見られます。堅固な抗議は弾圧の継続とともに拡大・強化、発展し、正に人間性を喪失した弾圧政策が民意に反していることを証明しています。その反面、陝西省など、弾圧のさほど厳しくない一部の地方では、上述された地方とは異なり、社会的に安定するという現象が見られます。これだけでも、暴力を振りかざす者は慚愧に堪えないと感じるはずです。天文学的額の資金および警察資源を、心身を修練する平和的な法輪功修煉者たちに対する弾圧のために消耗し、社会秩序をさらに複雑化させることは、完全に一種人権を侵害する犯罪行為であります。私の直言をご寛恕ください:両閣下にはこの現状の速やかな改善を拒む権利、理由および言い訳は存在しません。

 中国は『世界人権宣言』の締約国です。『宣言』は「すべての人は、生命、自由及び身体の安全に対する権利を有する」(第三条)「何人も、ほしいままに逮捕、拘禁、又は追放されることはない」(第九条)「すべての人は、憲法又は法律によって与えられた基本的権利を侵害する行為に対し、権限を有する国内裁判所による効果的な救済を受ける権利を有する」(第八条)ことを明文を以って規定し、わが国の現行憲法第33条にも「国は人権を尊重し、保障する」と規定されています。国際法の基準に依っても、中国国内法の最高法規に依っても、理由の如何を問わず、人権を侵害し、自国民に対して人道に反する迫害を行うことは禁じられています。正にこの人類の普遍的な価値観及び信奉と法治の尊重に基づいて、私はここで両閣下に対して、「信仰者に対する迫害を停止し、中国人民の関係を改善させ」、「法に依る統治」及び「憲法に依る統治」を実行し、民主的、法治による立憲政治の基礎の上に新しい中国を創建するように提案いたします。

 両閣下の実践によってのみ中国人民および世界の人々の尽きることのない支持を獲得することができるのです!

 最後に、特に指摘したいのは、この公開状の中で言及した、様々な苦難を経験した同胞たちが、この公開状のため再び野蛮な迫害に遭うことがないように、両閣下に保証していただきたいと思います。石家庄の法輪功学習者・郝秋燕氏は私の公開状のため、すでに8ヶ月も不法に拘禁され、こうした事実が私達にこのように注意を必要とすることを警告してくれました。私が安全な日々の裡にある限り、私は最後まで彼らの安全を見守ってあげたいと思います。中国はまだ非常に危険ではありますが、文明社会の一員として、中国人、中国市民、そして一弁護士として、私にはこのようにする権利があるのです。』


翻訳者より訳注:

注① 610オフィス:中国共産党が法輪功を弾圧するために設置した専門的な機関であり、1999年6月10日に設立されたためこのように呼ばれている。この機関の設立にはいかなる法的な根拠もなく、その性質はナチスドイツの「ゲシュタポ」に類似するとされる。

注② 三書(保証書・決裂書・批判書):三書とは、法輪功を修練しない保証書、信条を放棄する決意を示す決裂書及び法輪功を摘発するための批判書のこと。


注③ 灌食:灌食とは、信条を放棄しない法輪功学習者に対する拷問の一つである。不法に拘禁されている法輪功学習者は迫害に反対するとき、絶食により抗議することがある。絶食する修練者は警察による暴力的な灌食を強いられる。暴力的な灌食とは、通常の医学的な医療行為とは異なり、悪意をもって絶食者に対して処罰を与える暴力的な行為であり、具体的には、ゴム管を強制的に鼻または口から胃まで差し込み、高濃度の食塩水、ラー油などを被害者の食道に流し込む行為である。法輪功学習者は灌食されるとき、管を入れる際に気管または食道を傷つけるよって窒息死させ、あるいは大量出血により死亡するケースも少なくない。

注④ 脱退声明:2005年1月以降、大紀元ネットで中国の民衆に対して、崩壊寸前の中国共産党組織(共産党員・共青団員・少先隊員)から脱退するように呼びかけてから、今日まですでに560万以上の中国人が共産党組織から脱退した。詳しい情報は大紀元日本のホームページ(http://www.epochtimes.jp/)で確認するか、あるいはより詳しい情報は中国語大紀元の脱党ページへ:http://tuidang.dajiyuan.com/

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/10/20/112767.html