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日本明慧


蒿文民さんが邯鄲市労働教養所で迫害され死亡

 【明慧ネット2005年11月21日】法輪功学習者蒿文民さん(男性、1962年1月24日生まれ)は、河北省邯鄲市魏県城関鎮梁河下村に居住。1999年7月20日以来、現地の派出所、公安局、610事務室、邯鄲市労働教養所などの悪人に、長期にわたり不法に生活を掻き乱され迫害されてきた。肉体と精神上に大きな打撃を受け、2005年10月15日に冤罪が晴れないまま死亡した。

 蒿文民さんは法輪功を修煉して以来、心身とも受益し家庭も受益した。彼が始めて李洪志先生の著作『転法輪』を読むと、法輪功が人に善に向かい良い人になるよう教える功法で、社会に百益があり一害もない良い功法であると、深く分かった。そして修煉をずっと続けていた。1999年7月〜2002年春の間、蒿文民は法輪功の修煉を放棄しないため、現地の公安、610事務室の人に長期にわたり生活をかき乱され、相前後して二回も不法監禁された。蒿文民さんは断食し、数日も連続して食べず飲まずに、不法監禁に抗議してきた。そして正々堂々と留置場から釈放された。

 2002年1月24日に、蒿文民さんは魏県で人々に法輪功の真相を伝えるところを、悪人に告発され、魏県公安局漳南支局に不法に魏県留置場に連行された。蒿文民さんは20日間も断食して不法な迫害に抗議した。悪警官は蒿文民さんを釈放するほかなかった。2002年5月、魏県公安局の三人の警官は蒿文民さんの家を尋ねテレビを修理してもらうと嘘ついた(蒿文民さんは家電修理の仕事)。蒿文民さんは修理道具を持って県公安局に来た後、強制連行され、不法に邯鄲市労働教養所に送られた。蒿文民さんは労働教養所の表門に連れられた時、魏県公安局の悪警官の一人が「おまえは断食して釈放できただろう? 今度は釈放できるかどうか見てみろ!」と蒿文民さんに言った。

 蒿文民さんは、邯鄲市労働教養所の専ら法輪功学習者を迫害する「専管隊」に配属された。そこに入れられたとたんに法輪功の修煉を放棄するよう強いられ、大法を中傷する映像、資料などを強引に見せられた。悪警官はまた、数人の法輪功修煉者と扮した人に理屈をでっち上げさせ、蒿文民さんの「思想転化」をさせた。蒿文民さんは不法ないわゆる「転化」を拒否した。そして蒿文民さんに対する「洗脳」の手段がエスカレートし、「専管隊」の隊長達の検討により、眠らせないという邪悪な手段をとり始めた。悪警官は労働教養所の囚人から数人を選び出し、毎日24時間交替で蒿文民さんを監視させた。眠らせず、坐らせず、横たわったりベッドに背もたれしたりすることも許さず、目を閉じるとすぐに起こされ、さもないと殴ったり蹴ったりしてきた。眠らせないと同時に、「転化」を行う人が順番に蒿文民さんに「道理」なるものを聞かせた。20数日間も昼夜立たされ続けたため、蒿文民さんは足が限界まで腫れて、毛細血管が膨れて破裂してしまった。また、酷暑の厳しい日差しの下で晒され、殴打され、電気ショックを与えられ、手錠をはめられた。最初の十数日間、まったく蒿文民さんに眠らせなかった。その後、蒿文民さんはあんまりの眠さに、殴打されても目覚めなかった。2002年6月初めから2002年8月末まで、蒿文民さんは三ヶ月近くも睡眠を剥奪されていた!

 三ヶ月近く眠らされず苦しめられた後、蒿文民さんは断食で不法な迫害に抗議し始めた。断食して三日目の午後、すでによろよろになった蒿文民さんは「専管隊」の当番室に呼ばれた。悪警官李海明は「仮病を使うのか? ご飯を食べないのか? 断食したいのか?

 戻ってご飯を食べろ、さもないとひどい目に遭わせてやる!」と憎々しげに蒿文民さんに叫んだ。また電気棒で蒿文民さんに一時間余り電気ショックを加えた。蒿文民さんの脇の下、胸などに多くの水泡ができ、水泡から水が流れていた…。

 絶食して五日目、蒿文民さんは危篤状態に陥り、血圧が最低の限界まで達し、悪警官達は責任を逃れるため、慌ただしく蒿文民さんを邯鄲市第五病院に送り緊急措置を採った。毎日管を差込み、強引に食物注入して治療した。それでも、同時に蒿文民さんに対する洗脳を行い続けていた。しばらく治療して、蒿文民さんの体が次第に回復してきた。2003年初めごろ、蒿文民さんの体がほぼ回復してくると「専管隊」の悪警官達は蒿文民に対する「洗脳」をまた強化し始めた。

 2004年に入り、蒿文民さんは体の状況が日に日に悪化し、食事の量も減ってきた。蒿文民さんの釈放の期日に近づくと、労働教養所「専管隊」の極悪警官から突然三ヶ月伸ばすと通知が来た。理由としては蒿文民さんが以前「教養所の規則紀律を違反」したことがあるという。これは心身ともにひどく傷つけられた蒿文民さんにまた精神上で大きな打撃を加えた。2004年4月、蒿文民さんは釈放され家で静養し仕事ができず、妻に世話を見てもらうしかできなかった。

 2005年9月のある日、邯鄲市労働教養所の極悪警官——高飛、邢延生、高金利三人は、「見舞い」という口実で、蒿文民さんの家に尋ねて来た。当時蒿文民さんも妻も家にいた。蒿文民さんが法輪功の修煉をまだ堅持することを知り、極悪警官達は前後の見境もなく怒り始めた。極悪警官邢延生は「おまえの家で、もし法輪功関連の物を見つけたら、直ちに逮捕する」と恐喝し、「おまえの今の体の状況から見れば、もはや春節まで生きられない」とも言った。蒿文民さんは「あなた達は何を言っているのですか? このように話してもいいのですか?」と穏やかに言った(注:2005年に9月、蒿文民さんが魏県の病院で体検査の結果:肺に穴があり、血小板が造血機能を喪失、内臓器官は心臓のほかに皆ただれている状態であった。そのほか、蒿文民さんは血便が出て、しかも出血量がとても多い症状が長期続いていた。極悪警官の邢延生は、蒿文民さんが春節まで生きられないと言った時、隣の二人の極悪警官は言わせないよう合図をした。労働教養所で極悪警官が蒿文民さんに悪質の不明薬物を服用させたのではないかと疑われるためだ)。蒿文民さんの親族によると、極悪警官が帰ったあと、この傷付けられた家庭にまた暗い影が投げかけられた。

 2005年10月15日に、蒿文民さん——周囲に公認されたおとなしい人、良い人になるよう尽くした人が、ただ法輪功の修煉を放棄しないだけで、人間性のない警官達の迫害によりこの世を去った。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/11/21/114948.html