日本明慧


内に向かって探し人心を取り除く

 文/河北省大法弟子

 【明慧ネット2005年11月26日】規模の小さい「資料点」(注:大法の真相資料を作るところ)を作る前は、私は真相の資料を配ったり、面と向かって真相を伝えたりすることを主とした。私はきれい好きで、真相資料を配りに行く前に、ビラに抜けた字がないか、小冊子の乱丁、落丁がないか、必ず検査する。最初は確かに多く見つけた。

 ある日、真相のビラをたくさん送ってもらった中に黒いインクの汚れがついており、その内3行がはっきりと見えないページが100枚ぐらいもあった。みっともないので、カッターでインクの汚れをこすり削り、更に字を加えた。夜10時からずっと2時過ぎまで修正し続けたが、その一部分しか直らなかった。心の中で「あなた達は大法の資料を作る時、心を込めて作らないと。このようなものは、他人に配ることができるのか?」と思っていた。私は責任をすべて当時の「資料点」に押し付け、また自分が法に責任を負っていると思い、修煉は自分を修めることで、問題にぶつかったら内に向かって探さなければならないことを完全に忘れてしまっていた。

 心性が向上していなかったため、心性に対する試練が続いてやってきた。その後まもなく大量の小冊子を送ってもらった。2百数冊の小冊子を私は1つ1つ検査し、また何冊か乱丁、落丁したのを見つけた。「これは本当に責任を負わないといけないことだ!衆生を救い済度することに大きな間違いがあってもいいのか?」と考えていた。私は地元の協調者と連絡し、「資料点」に注意するように頼んだ。しかし彼は賛成せず、「資料点」の学習者はとてもがんばっていると言った。「あなたが言わないなら、私が言う。私は法のために責任を負うのだ」と私は思っていた。

 この事からちょうど一年過ぎて、他の学習者が私に「資料点」を作ったらどうですかと提案した。私の家にはもともとパソコンはあるが、すでに数年間も置きっぱなしだった。パソコンを買った当初は、大法のために使いたかったが、パソコンに精通してからやろうと思い、そのまま放置した(実は恐れる心を持ち、インターネットを利用するのは安全でないと思っていた)。私はすぐインターネットの手続きを取り、学習者がプリンターを送ってくれた。そこで私はインターネット、真相資料のダウンロードなどを勉強し始めた。

 最初は順調だったが、最近プリンターがどうしても働いてくれず、無理やり印刷できたとしても、はっきりと写らなくなった。もともとせっかちな私は慌てて、プリンターに向かって正念を発しても、何も役に立たなかった。しかたなく店へ修理を出した。しかし直ったらまたすぐ壊れてしまい、正念を発しても役に立たなかった。そしてプリンターを再び店へ修理に出した。忙しくてさんざんだった私に、学習者から資料の提供が遅く、不足していると言われた。プリンターをまた店に持っていくと、店の人に「あなたのプリンターを見ると頭が痛い」と言われた。

 家に帰ってとても泣きたくなり、何滴もの涙を落として、突然師父の話を思い出した。「また、一人の人間が修煉しようと思うことは決して容易なことではありません。お話しいたしましたように、それはきわめて厳粛なことで、常人の域を超えていて、常人のいかなることよりも難しいのです」(『転法輪』)。

 「修煉は難しいもので、泣く時間はあるまい。衆生はみな私の済度を待っている。速く人心を取り除こう!師父は弟子の正念が作用を果たすものだとおっしゃった。私が正念を発しても利かなかったのはどうしてだろう?」と私は考えた。心を静め、何もせずに、その日は内に向かって自分を探し、法の勉強を強化しようと思った。2日間を通して、私はたくさんの執着心を探し当てた。

 1、強烈な仕事をする心。「資料点」を作って資料の提供を担当する日から、私は、学習者に質が良く量も十分な資料を提供しようと決心した。地元では30人ぐらいの学習者がおり、資料を十分に提供するのは容易なことではない。それで法の勉強をおろそかにし、資料を作るために資料を作り、修煉を仕事とみなした。

 2、強烈な比較の心。以前送ってきた資料は作りが粗く、写真がはっきり写っていなかったり、インクの汚れなどがあったりした。私の作った資料なら、必ずきれいで美しいと考えた。しかし出発点は衆生を救い済度するためではなく、負けん気が強く、他の学習者に褒められたいという求める心だった。学習者から「あなたが持ってきた資料は本当によい、誰が作った?」と言われ、口で何も言わなかったが、心の中でうぬぼれていた(歓喜心)。

 3、ゆがんでいる求める心。資料を作ってトラブルに遭った時、正念を発しても効かなかったが、自分の不足を探し旧勢力の按配を否定するのではなく、自分を修めたくなく、汚い求める心を持ち師父の助けを求めていた。

 4、気づきにくい自己を実証する心。以前ある学習者がコピー機を買ってきたが、誰の家でもコピー機を置く勇気がなく、結局コピー機が壊れてしまった。今私は一人でインターネットをし、資料をダウンロードし、印刷し、また消耗品まで自分で買う。他の学習者が資料を取りに来た時、私はいつも彼らが私ほど良く修めていないと感じ、歓喜心と顕示心が作用し「本当にすばらしい!よくやっている!誰も私に及ばず、私の威徳は本当に大きい!」と自分を褒めている。法を正すのはこんなに偉大で、神聖な事と自分を誇示する資本にした。ある程度、私は旧勢力が按配した道を歩んでしまい、時にはこれが観念で、旧勢力が按配したものだと意識したが、法を学んで自分と照らし合わせることができないため、腐敗した要素を加持し養ってしまった。

 5、一年前のことを顧みると、今日私も資料を作って、やっと学習者がどれだけがんばっていたかが分かった。当時、私は、ただ他の学習者を待ったり、頼んだりし、積極的に他の学習者を手伝ったことがなく、またあら捜しをし、当時の「資料点」の学習者達にとても大きなプレッシャーをかけた。学習者に意見を言うのは間違っていないが、当時、私は常人の綺麗好きな心を持っており衆生を救い済度する出発点に立っていなかった。

 6、煉功をおろそかにし、怠ける心、安逸心を持ち、また法で自分のための言葉を探し、責任を逃れた。

 7、プリンターを修理に出した時、店の人に騙されるのを恐れ、疑う心、怒り恨む心などの人心に陥っていた。

 8、かんしゃく持ちで、せっかち。実はかんしゃく持ちは魔性で、いつも子供(同じ学習者である)を怒る。「かんしゃく持ちでしたら、改めればよいではないですか。煉功者は必ず耐えなければならないのです。子供をしつけていましても、ひどく怒ってカンカンになる人がいますが、子供のしつけはそこまでしなくてもよいはずで、あなた自身、本気で怒ったりすることなく理性的に教育して、初めて本当に良い子供に育てることができるのです」(『転法輪』)を読むたびに、子供に「師父がおっしゃったのは、あなたのことだよ」と言われた。

 このように内に向かって探したら、その原因は法の勉強が足りず、法を正す時期の大法弟子としての責任を忘れたからだと分かった。私はこれらの執着心を探し当て執着心を取り除くことを決めた時、プリンターはずっと働いてくれるようになった。私はきれいな資料が絶えずプリンターから出てきたのを見て、それは私が作ったものだという心がすでになくなり、すべては師父が作られたものだと考えるようになった。

 この文章をここまで打ってきて、涙がとめどもなく流れてきた。師父、弟子はすでに大きく離れてしまったが、今から人心を取り除き、師父についていきます。

 最後に先生の経文『再認識』をもって学習者のみなさんと互いに励まし合います。「皆さん、ご存知だろうか? あなたが修煉者でさえあれば、いかなる環境、いかなる情況下であっても、遭遇したいかなる厄介なことや不愉快なこと、ひいては大法の仕事のためであっても、皆さんが思っているどれほど良いことや、どれほど神聖なことであっても、わたしはそれらを利用して皆さんの執着心を取りのぞき、皆さんの魔性を暴露させることにより、それを取り去るのだ。皆さんの向上こそ、この上なく重要だからである」。「真にこのように向上することができるなら、皆さんが純粋で清らかな心の状態の下でおこなったことこそ、最も良いことであり、最も神聖なことなのである」。

 適切でないところは、学習者の慈悲のご叱正をお願いします。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/11/26/115265.html