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張家口の学習者・宣懐吉さんが高陽労働教養所に迫害された(写真)

 【明慧ネット2005年12月16日】2005年10月10日深夜1時過ぎ、張家口市崇礼県公安局は県の政治保安大隊隊長張貴鎖、駅馬図郷派出所所長宋春斌など8人を集めた。彼らは2本の電気棒、手錠、黒い袋などをもって崇礼県駅馬図郷小水泉大隊法輪功学習者宣懐吉さんの家に不法侵入し、ドアをこじ開け、服さえまともに着終わっていない宣懐吉さんをベッドから連れ出し、黒い袋を頭にかぶせ、手錠をかけて拉致した。

 警察が宣さんにかけた手錠は最も小さいタイプで、手錠が宣さんの腕に深く食い込んで、血がすぐ流れた。宣さんは「法輪大法好(法輪大法はすばらしい)!」と高らかに叫び、警察は宣さんを連れて急いで離れた。宣さんの妻がドアから出たとき、もう誰もいなかった。

 当日夜2時、警察が宣さんを張家口市ホテルに連れて行き、朝5時に、学習者を迫害する保定高陽労働教養所まで連れて行った。宣さんは絶えず「法輪大法好」「真、善、忍好」と叫んだ。理由なく、証拠もなく、手続きもない状況下で、警察は同県の労働教養所で仕事を知っている別の警察・劉寧に話をつけて、強制的に労働教養所に送りこんだ。これが共産党のいわゆる「国際社会と統合」「人権がもっともよい時期」の真実な現れなのである!
宣懐吉さんの顔の傷

 他人と隔離するため、警察は宣さん1人を高陽労働教養所第三大隊に監禁した。監禁される3日前、彼は絶えず中の人々に真相を伝えた。3日目の夜、宣さんは煉功をし始めた。まもなく4人の悪徳警察が駆けつけ、彼を地面に倒してから殴りかかった。4人が同時に暴力を振って、殴ったり蹴ったりし、続けて顔を引っぱたいた。宣さんの顔が赤く膨れ上がった。警察が殴りながら「まだ煉功するのか?」と聞いた。宣さんが「はい」と答えると、また殴った。殴るたび、宣さんの答えがしっかりしてきたのをみて、警察は彼を部屋に戻した。宣さんは引き続き煉功をし始めた。彼らは仕方なく、少し見ると離れた。警察が強いた労働を宣さんは拒否し続け、部屋にいて同じ部屋のほかの受刑者に真相を伝えた。9日目から、宣さんは断食を始めた。断食の3日後、警察が彼を医院に連れて強制的に食物を注入しようとした。警察は宣さんに服を着ることを許さず、宣さんはズボンしかはけなかった。ひざのところに穴が空き、靴下と靴はなく、裸足だった。宣さんは車に乗ることを拒否し、警察は彼を車に引き連れて、下に押しつけて交代で殴った。宣さんの歯はぐらぐらして、顔が両方とも大きく膨れ上がり、座ることも立つこともできなかった。

 病院で、宣さんは悪人による強制的な食物注入に協力しなかった。このとき3人の悪らつな警官と一人の受刑者が宣さんの体を抑え、頭と足を地につけて、宣さんの目を押さえ、涙が止まらなくて長い間何も見えなかった。彼らは口を開くための鉄の器具で口をこじ開け、歯をこじ開けた。さらに2つのゴム製チューブ、太いものと細いものを同時に鼻と口に差し込んだ。その苦痛は耐えられるものではなく、いつでも窒息する危険があった。注入されたのは少量のミルクと大量の食塩だった。3日ごとに1回、毎回終わって病院から労働教養所に戻るとき、警察がわざわざ車を早く運転し、道路状況の悪い道を選んだ。長期間の断食で宣さんは細く弱くなり、警察はわざと彼に服を着せず、彼の苦痛を見ながら楽しんだ。

 労働教養所に戻って、警察は宣さんを車から降ろし、前で受刑者が彼を引っ張って部屋につれて行き、警察が後ろから足で蹴った。宣さんの服は地面を引きずられて破れてしまい、足を怪我した。断食して41日目、宣さんは意識不明になり、話もできなくなり、気を失った。痩せ細り、全身真っ白で、完全に死人と同じになった。警察は彼がもうだめだとみて、責任を負うのを恐れて、勝手に自分で保釈医療証明を書き、煉功しない保証書を書き、受刑者に宣さんの手を掴ませ、(当時宣さんは気を失っており、自分では動けなかった)、強制的に拇印を押させた。家に引き取るように伝えた。しかし、宣さんの息子が来たとき、警察はさらにわざと困らせて対面させなかっただけでなく、家族からさらに金銭を強請った。労働教養所で警察は宣さんに強制的に食物注入で3袋のミルクと食塩を使ったが、家族に1千人民元を強請った。さらに家族に、当地の大隊と派出所で保釈証明を作らせるため、息子は数千キロを往来し、交通費だけで数千元もかかったが、結局無駄であった。

 12月6日、1週間が過ぎて、宣さんは危篤状態になった。高陽労働教養所が再び宣さんの子供に引き取るように通知した。しかしそのとき、大隊の証明があったが、当地の派出所は証明を出さなかった。村の善良な村民80人が連名で署名し、拇印を押して駅馬図郷にすぐ証明を発行するよう求めた。警察は宣さんがもう長くないと思い、我慢できず証明は必要ないとし、すぐに保釈すると応じた。家に帰った宣さんは、全身むくんで座ることも立つこともできなかった。

 それ以前の2001年のとき、宣さんが法輪功を修煉したため、不法に3年間の労働教養を科せられたこともある。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2005/12/16/116600.html