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楊暁傑は迫害より半身不随、石家荘北郊収容所は家族の面会を拒否

 【明慧ネット2005年12月23日】楊暁傑さんは石家荘北郊収容所に不法に監禁され、迫害により半身不随になり、自分で生活することができなくなった。しかし、収容所側はまったく治療を施さず、家族の面会をも拒否した。楊さんの両親は心を痛め、息子の保釈治療を強烈に要求した。

 石家荘市の大法弟子・楊暁傑さんは元「中国青年報」北オフィスの職員で、2000年9月29日、妻・劉潤玲さんと一緒に迫害を受け、家を出なければならなかった。そして同年10月に指名手配された。2001年9月28日夜、連行され、悪らつな警察が彼ら夫婦を派出所に監禁し、拷問した。楊さんを7昼夜鉄椅子に座らせたが、楊さんは終始邪悪に協力しなかった。2003年7月に11年の刑を言い渡され、河北省石家荘北郊監獄(元河北省第四収容所)に監禁された。

 楊さんの妻は石家荘第二監獄に監禁された。家には16歳の娘・楊文静さんと祖父と祖母だけで、老人は二人とも70歳近くで、わずかな退職金で生活を維持し、楊文静さんは小さいながらもアルバイトをしながら学校に通うしかない。

 河北省石家荘北郊収容所で楊暁傑さんは法輪大法の信仰を堅持したため、残酷な拷問を受けた。わかっているだけでも、2003年監獄洗脳センター主任・汪国斌が受刑者を指示し、楊さんを殴打し、楊さんの歯が二本折れた。2004年6月楊さんが断食で迫害に抗議すると、汪国斌は強制的に食物の注入をして迫害し、彼の指揮で数十倍も濃くした食塩水を強制的に注入させた。激しい苦痛の中で、楊さんは3人から押さえつけられていたが、それを跳ねのけて食物注入のチューブを抜いた。食物を注入された後の3日間、楊さんはずっと咳をし、血を吐き、高熱を出した。しかし楊さんが実際に受けた迫害はそれだけではないのだ。

 一年間、収容所は楊さんの家族の面会を拒否した。楊さんは信仰を捨てないかぎり、面会させないと言った。12月16日、楊さんの家族がもう一度面会を求めた時、楊さんは迫害により腰が骨折し、下半身が不自由になり、自分で生活することができなくなったことを知った。保釈して医療に当たるはずだが、収容所は依然として家族の面会を許してない。


(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/12/23/117167.html