日本明慧


肝心なときに師父と大法への信念を貫く

 文/河北省大法弟子
 
 【明慧ネット2005年12月14日】私は99年4月頃に幸い法を得ることができた。大法の修煉をはじめてから、心の中は言葉で言い表せない嬉しさでいっぱいだった。当時は時間さえあれば法を勉強し煉功をしていた。99年7.20以来大法に対する邪悪の迫害により、集団煉功と学法の環境がなくなったが、私は始終師父を堅信し大法を堅信してきた。

 その後の数年間、他の学習者との連絡を保ち、師父の新経文と明慧週刊を読み、真相を伝え、邪悪を暴露するなど大法を実証してきた。しかし、学法中各種の執着に対してはっきり認識できず、邪悪の徒に隙に乗じられ、2004年の春真相を伝えている時悪人に通報され、610オフィスの悪人と地元の派出所の悪人警官によって不法に家宅捜査され、すべての大法書籍と真相資料を没収されただけでなく、留置場に不法監禁された。

 留置所に不法拘禁されていた一ヶ月の間、悪人警官らは犯人を指図して非人道的な虐待を行い、私は心身とも傷だらけになり、結局家族が保釈金を払い解放された。出所から十数日間経っても全身は無気力で痛み、歩行すらままならなかった。私のこのような状況を目にして、家族は病院へ行くように勧めた。私は何日かすればすぐ治るから平気だと言い張ったが、最終的には心性を守れず周りの説得に応じ、病院に行くことになってしまった。病院でのレントゲン検査の結果、頚椎がずれ、肋骨が骨折しているといわれた。

 医者からは来るのが遅い、なぜもっと早く来なかったのか、もう手遅れだから自宅で養生しなさいと言われた。

 医者の言葉に脅えず、私は煉功者だから大丈夫と思った。しかし家族はパニック状態になり、私は数日後また大都市の病院に連れて行かれ、検査を受けたが、何事も無かった。そのとき私は全然不思議に思わなかった。私は神の道を歩んでいる者だから、大法弟子の正念はすべてを変える事が出来る、しかし人間の一念は邪悪に隙に乗じられるしかない。肝心なときに私は師父と大法への信念を放棄しなかったので、ここまで来られた。同修の助けの下、私の体調は迅速に回復した。

 同修は私の迫害経歴を明慧ネットに投稿するように勧めてくれた。私には書けるものが無いとずっと思っていたが、明慧ネットの同修の交流文章を読んでから、書きたくないという考えも妨害だと認識でき、やっと書くことが出来た。修煉の次元に限りがあるので、不適当なところは、慈悲なるご指摘をお願いします。



(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2005/12/14/116511p.html