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天津市:秦桂芳さんは信仰を堅持し迫害された

 【明慧ネット2005年12月27日】秦桂芳さん(61歳・女性)は、天津市武清区城関鎮売買共同組合の退職労働者だ。秦桂芳さんは1997年4月8日から法輪大法を修煉し始め、煉功してから、元の心臓病、高血圧、足痛、頭痛など持病が全部なくなった、国の多額の医療費を節約し、子供たちもお母さんの病気を心配しなくなり、全身全霊で仕事と勉強に集中した。

 秦桂芳さんが法輪大法からもらった幸せに浸っていたとき、1999年7月20日、江沢民は自分の私利のため、全面的に法輪大法を迫害し始めた。
1999年7月20日、城関鎮政府は孫徳華、趙慶利、潭振栄など6、7人を派遣し、秦さんの家に来て、朝8時から夜8時まで秦さんを監視し、でかけることを許さず、人と接することも許さなかった。その後、また秦さんを市役所の庭に連れて行き、部屋に入らせなかった。夜にまた何人かの法輪功学習者を不法に強制連行し、一晩ずっと寝させなかった。

 7月22日朝ごはんの後、秦さんが小学校の交差点にきたときに、鎮政府の李洪亮に鎮政府まで不法に強制連行され、10数名の学習者も同時に不法に強制連行された、学習者を庭の中に並ばせ、庭の西側に立たせ、頭を下げさせ、会話を禁止した。午前10時くらいに、武清区刑事隊警察の何士松などが城関鎮政府に来て、当時、1人の悪らつな警官は電気棒をもって学習者を指して言った、「今日ははっきり言ってください、修煉するか?修煉するなら、列から出てください!」秦桂芳さんは言った、「私は修煉する!」言い終わらないうちに2人の警官が、彼女の頭を押し、腕をねじまげ、秦さんを引っ張って前へ出した。靴、靴下が取れ、ズボンと足が破れ、血が流れた。このようにして彼らは秦さんを車に押し込んだ。その他の2人の学習者も同じ方法で車に押し込まれ、派出所へ送られた。

 派出所の警官は、学習者を南の壁に向かせ、頭を下げさせた。悪所長の李秀山は秦さんを不法に取り調べ、悪らつな警官・周Xは、秦さんの髪の毛を引っ張り、殴ったり、罵ったりして、また箒の取っ手で秦さんの頭を力いっぱいに1時間以上殴って、やっと止めた。その後、秦さんを壁の横にずっと午後3時まで立たせた後、やっと部屋に連れて行った。検察院の何人かが秦さんを強行洗脳し、転化を強いたが、秦さんが邪悪に協力しなかったため、晩の9時すぎに他の2人の学習者と一緒に武清区留置場に送られ、10日間拘留され、無理やり90元払わされた。

 秦さんが家に帰った後、夜昼なく、政法委書記の田益金、所長の李秀山、区の警官の趙Xが交代で不法に侵入し、正常な生活を邪魔した。

  2000年春節(旧暦の1月1日)の時に、秦さんは玄関に一組の春聯(しゅんれん)を貼った、旧暦の1月15日過ぎてから、区の警官の趙Xは春聯を見て、すぐ破り、また秦さんを派出所へ送り、夜に武清区留置場に不法に拘禁した。
当時、留置場にはたくさんの法輪功学習者を拘禁していた、一つの部屋に17〜19人を拘禁し、秦さんなど多くの学習者は絶食して拘禁に抗議した。ある日の夜、留置場の警官たちはすべての学習者を呼び起こして、各自で片付けるように要求し、すぐにお金を払わせた。

 半月拘留された人は180元、一カ月の人は360元を払わされ、持ってない人は他の学習者からお金を借りるように強要された。夜がまだ明けない内に秦さんはじめたくさんの学習者は天津西青区収容所へ送られた。何日も経たないうちに、武清区公安局は不法に秦さんを「社会秩序を乱す」という罪名で15日間延期した。秦桂芳さんは彼らに「あなたたちは、わけもなくよい人を拘留し、私がどうして社会秩序を乱したか?あなたたちの目には法律がない、これはぬれぎぬだ」と詰問した。秦さんは絶食で延期に抗議した。絶食して5日後、収容所は秦さんを釈放し、また50元をゆすった。

 2000年中秋節前(旧暦1月10日くらい)、鎮政府政法委書記の田益金は強行して秦さんと韓玉芝さんを武清区党校に送り、洗脳した。

 2000年旧暦12月26日午後、政法委書記の田益金は秦さんに電話して、用事があるから、鎮政府オフィスに来てくださいと言った。秦さんが行くと、そこは転化班であることがわかり、また強行して洗脳され、不法に一カ月拘禁された。

 2001年3月8日、鎮政府政法委書記の田益金はまた秦さんを武清区梅工場の「強制転化班」に送り、同時に秦さんの夫に2000元をゆすり、払わないと勤め先の給料をおさえるといった。

 転化班にいる法輪功学習者の多くは、騙されて来たか、不法に強制連行された。全員2000元か3000元払わされ、お金は全部悪らつな警官や悪者に思うままに浪費され、学習者には残ったご飯やおかずを食べさせた。転化班は区検察院、公安局、政法委、労働組合、刑事警察隊や体育学校の学生を雇用し、学習者を洗脳した。学習者に携帯用腰掛けに座らせたり、壁に向って立たせたり、腰を曲げることを許さず、鼻を壁につけ、1回で4〜5時間立たせ、ちょっと動くと、殴られた。学習者に走るように強制し、正規の歩調で歩くように強制し、毎日2時間だけ寝かせた。これらの学習者の多くは50〜60歳の女性で、要求どおりにしないと、恐喝し、侮り、ののしった。毎日誹謗中傷のビデオを見せ洗脳した。学習者が協力しないと、個別の部屋で迫害された。

 秦桂芳さんは迫害されて38日後、また不法に武清区留置場に拘禁され、20日間拘禁された後に、不法に2年半の労働教養を言い渡され、天津市板橋女子労働教養所に送られた。その後、毎日強制労働させられ、寝ることも許されず、20日後にまた天津建新労働教養所に送られた。

 秦桂芳さんは建新労働教養所に送られた後、労働教養所は病気を治療するという口実で秦さんに薬を注射し、ご飯にも薬を入れた。このすべては悪らつな警官の劉玉霞(大隊長)の秦さんに対する迫害で、同時にユダ(転向した元法輪功学習者)を利用して秦さんを転化し、寝ることを許さず、長時間立たせたが、秦さんはずっと協力しなかった。

 2003年4月、建新労働教養所は秦さんを電撃し、殴り、罵り、寝ることを許さず、強制労働させ、同時にまた悪い呪文を聞かせるなどの卑劣な手段で秦さんを迫害した。学習者をグループに分けてめった打ちし、学習者をかごの中に入れ、一部の学習者は迫害されて身体は変形した。腰も伸ばせず、足が障害になったものもいる。ビルの中のあっちこっちに大法を誹謗するスローガンがあって、毎日邪悪な録音を放送していた。

 秦さんはずっと邪悪に協力しなかったため、悪隊長の劉玉霞は秦さんに病気を治療してあげるという口実で、劉玉霞と10数人の悪らつな警官は秦さんを押して強制的に注射し、残酷に迫害した、毎日強制労働させ、晩に立たせ、一晩中寝かせなかった。邪悪がどんなに迫害しても、秦さんは依然として自分の信仰を堅持し、2003年5月23日、秦さんは正々堂々と労働教養所から釈放された。家に帰った後、城関鎮派出所の新たに転勤してきた所長の李広順と悪らつな警官の周Xは、何回も秦さんの家に不法に侵入した。建新労働教養所の劉玉霞は自ら電話かけて、高利娜を派遣して2回も秦さんの家に不法侵入した。

 2005年3月30日、秦さんの夫の魏泉は真相を伝える時、派出所の警官に不法に強制連行された。転勤してきた所長の劉文革、国保大隊の2人の悪らつな警官と崔洪亮は、秦さんの家に来て、家財を没収した。秦さんは何回も派出所に釈放を求めたが、劉文革は面会させてくれなかった。最後に劉文革と指導員の何立軍は秦さんに言った、「魏泉はすでに労働教養された、私たちは干渉できない、あなたは区国保大隊に釈放を求めてください、このことは彼らがやった」と言った。

 秦さんは国保大隊に行き警官の陳Xに、「あなたたちはわけもなくよい人を不法に強制連行し、魏泉が国のどの法律に違反したのか、如何なる法律手続きもなく、半月も過ぎた。魏泉はどこにいるのか、家族はぜんぜん知らない、あなたたちは違法だ」といった。悪らつな警官の陳Xは、「現地の派出所に聞いてください」、「共産党は暴力だ」というと、1人の警官は秦さんを一つの部屋に連れて行き、ドアを閉め、秦さんの髪の毛を引っ張り、地面に転がせ、めった打ちし始め、罵声は遠くまで届いた。殴った後、秦さんを廊下に座らせようとしたが、秦さんは協力せず、すぐ歩いて降りた。警官たちは追いかけて、続けて迫害しょうとしたが、秦さんはすでに歩けなくなり、地面に倒れた。このとき、周りに民衆が集まってきて、「入ったとき元気だったのに、いまこんなに殴られた」と1人が言うと、周りの民衆に直面して、邪悪はしかたなく秦さんを釈放した。

 以上は江沢民集団が法輪功学習者を迫害する真実の描写だ。善良な人々に「江沢民集団の邪悪な本質を見分け、邪悪な嘘に騙されないように、自分で素晴らしい未来を選ぶよう」望む。


(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2005/12/27/117374.html