日本明慧


学法と修煉は根気よく続けなければならない

 
 文/四川省の大法弟子

 【明慧ネット2006年1月4日】長い間学法もせず、更に煉功も少なく、それを気にしない同修がいます。しかし、師父の新しい経文が発表されると、元気を取り戻したように、数日間は精進します。その時は、努力して修煉し自分を高めて行くと誓いを立てますが、毎回やり遂げることはできず、本人も続けられないことを苦しく思っています。

 師父は「石はどこに置かれてもやはり石であり、金はどこに置かれても金なのです」(『2004年のシカゴ法会での説法』))と教えています。私たちは修煉が進まないことに対して、どのような言い訳もしてはいけないと思います。常人の中にも「雨垂れ石をうがつ」、「節約して長持ちさせる」のようなことわざがあります。私たちのような大法弟子は、なおさらではないでしょうか。私たちの未来は師父に按排されており、その過程の中で大法弟子の神聖なる威徳を作り上げているのです。私たちの出発点は高く、目標は光り輝いています。いかなる環境においても、大法弟子は根気強く続けていくことが、偉大な師父の深い慈悲に背かないことになります。

 ある同修は、圓満できないことを恐れて、一日中「衆生を救い済度」することを焦っていますが、学法を続けていたのでしょうか? またある同修は、資料場の仕事や協調役が忙しくて、東奔西走して、学法を続けることができたのでしょうか? そして、またある同修者はいわゆる敏感な日(注:中共が政治的に警戒している節目の時期)が来ると、常人の心が深刻に動き始め、真相説明を続けていたのでしょうか? 常人の形式にわずかな異変があればすぐに気になり、それに執着し、恐れる心や私心が一斉に起き、真相資料を配ることが出来たのでしょうか? 疲れを感じ、身体の調子が悪くなって、自分の状態がよくないと落ち込み、煉功を続けていたのでしょうか? いつも自分は深刻に邪魔されていると言うが、発正念を続けたのでしょうか? 世の中の常人の事で忙しくて、自らの身を忘れて、三つの事を続けていたでしょうか?

 師父は『転法輪』の中で「しかも、われわれが今日行っているこのことは、われわれが表面的に見ているような、そんな簡単なことではありませんし、また、わたしは決して一時の思いつきで行っているわけでもありません」と教えました。大法の修煉は厳粛であり、慈悲と威厳を伴っており、私たちも決して一時的に熱くなってしまい、頭に血が上って、行っているのではありません。もしそうなると、何もかも成功しなくなります。

 師父は「大法弟子が行なうべき三つのことはその一つ一つがとても重要です。皆さんの個人修煉の圓満成就の全ては皆さんが法を証明することの中に含まれています。ですから、必ずしっかりと行なわなければなりません」(『2003年アメリカ中部法会での説法』)と教えました。師父は、「法を証明する中で大法弟子としてやるべき三つのことをしっかり行うことができれば、全てがその中にあります」(『2003年にアトランタ法会での説法』)とおっしゃいました。私は正法時期の大法弟子は師父の要求に従って、三つのことを根気よく続けるために努力することこそが今の時期の本当の修煉であると思います。

 今日までの師父の法は、すでに全てを確かにしており、師父は私達のために心を尽くしており、すべてを背負い耐えています。私はどんどん顔が赤くなるのを感じました。雄大で勢いのすさまじいことを求めず、根気よく続けることこそが、本当の自分を作り上げることであり、師父が「嬉しいことが一つ増えることにより、心配することが一つ減る」ようにしなければならないと思っています。

 次元の限りで、自分が思っている感想を述べました。慌てて書きましたので、良くないところは同修の正しいご指摘をお願いします。

 合十

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/1/4/117967.html