日本明慧


穏やかに法を実証する

 文/小晴(台湾)

【明慧ネット2006年1月5日】先週子供を連れて公園にある遊具場に遊びに行った。そこには大勢の子供がおり、母親たちもみんな近くにいた。ある母親の顔はとてもきつくこわばっており、ある母親は笑顔が溢れ、とても鮮明なコントラストをなしていた。突然私は最近自分が人に与えた印象はたぶんそのような笑顔ではないと思った。これは大法弟子としてあるべき状態ではないと鋭敏に感じた。

 当分の間、問題がどこにあるのか思いつかなかった。最近状態が良くないため、今日まで頭がからっぽのままで、私は少し気落ちしていた。心の中では自分には仕事ができないのではないかと考えるなど、無理をするのはいけないと思い、携帯の電源を切り、今日は子供を連れて出かけた。淡江大学で散歩している時、意外にもあまり煉功場に来ない同修に会った。彼もとても意外だと思ったらしく、私たちはしばらく交流をした。彼は「常人の心を放下することはとても難しいですね、だからずっと出て来られなかった」と言った。今自分も調子の悪い状態に置かれていながらも、彼に精進するよう励ました。日が暮れかかり、家に帰ろうとした時、ある女の子が隅にうずくまっているのが目に付いた。私は自ら進んで彼女に声を掛け、具合でも悪いのかと聞いた。彼女は恥ずかしそうにうつむいてちょっと笑った。私は彼女に以前自分にもそんな頃があったと言いながら、彼女と雑談をし始めた。そして大法の真相を彼女に伝えた。

 家に帰ってきて、私は子供に付き添って宿題するのを見ていたところ、子供に切手はどのようなものかと聞かれ、一枚探して見せようと思った。長い間捜してようやく一枚が見つかり、子供にこれが切手だと教えた。おや? その時私は切手に何かのストーリーが描かれているかのように見えた…… 注意深く見ると、驚くことに私の今やっていることは法を実証する過程のある一つの項目であった。私はとても感動し、師父の激励を感受した、今日すべてを放下して気の向くままに歩いたから、同修にも会い、縁のある女の子にも会ったのではないか? どこででも法を実証する機会はあり、自分の歩むべき道を歩けば必ずいけると悟った!

 頭を冷やしてから、どこに問題があるかをよく考えてみた。本来はこの頃自分の時間の配分がよくなく、いつも焦ってたくさんの大法の事をしようと、いくつもの大法の事を引き受けていた。しかし、直接真相を伝える時間が抜け落ちていた。もしかして私達は衆生と約束があって、うまく時間を利用して真相を伝えることができず、気にかかって落ち着かなかったのかもしれない。そのような気持ちで心が乱れ、大法のことをやる一方、ほかの大法の事が気にかかり、結局家族との関係までも影響をもたらした。その後、私は改めて勤務、休憩時間を調整してみると、すべての問題が解決でき、家族と一緒に過ごす時間もでき、安心して他の項目の事をすることもできた。

 師父は『2004年シカゴ法会での説法』中で「このこと自体が非常に高い栄光を持っているので、大法弟子はこの栄光に申し訳が立つようにしなければなりません。しかし、師父がこのように言うと、「分かった」とすぐ他の事を何もせず、もっぱら大法のことをしてしまう人がいます。このようにしたら、あなたはまた旧勢力に利用されてしまう恐れがあります。なぜならば、旧勢力は他でもなく、隙に付け入ることばかりしているからです。今日私が大法弟子に教えたのは、常人の中で最大限に常人の形式に符合して修煉するということであり、極端に走ってはいけません。このように落ち着いて法を証明する中で大法弟子としての作用を十分発揮するということです。皆さんには多くの困難があり、法を証明することを良く行うほか、この世の人と人との関係、家庭との関係、社会との関係をも正しく扱わなければなりません。これは非常に難しいことです。難しいですが、これは大法弟子が歩まなければならない道です」とおっしゃった。

 この関が突破できて、ちょうどこの段落の法を読んだ時、私は「穏やかに法を実証する」ことの重要性を悟った。だから、自分の時間を適切に按排し、穏やかに法を実証することも、私達の修煉の道を正しく歩むことなのである。


(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/1/5/118043.html