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北京の大法学習者・許那さんを救出しよう!

【明慧ネット2006年1月13日】許那さん(1968年生まれ、38歳、女性)は、故郷は長春ですが油絵の創作に従事してから、住まいを北京の房山良郷西ル園に移しました。

 許さんは1996年に法を得て、7.20法輪功に対する迫害が始まって以来、北京の大法学習者たちと一緒に、地方から抗議に来る大勢の法輪功学習者たちのために、宿泊の手配や大法交流の按排などに協力しました。8月に許さんは房山大法交流会に参加したことにより、不法にも逮捕されて15日間拘束されました。9月に家に帰されましたが10月に抗議に行ったため、また逮捕されて30日間拘束されました。2000年11月19日、再び逮捕されて30日間拘束されました。2001年、東北四平の大法学習者・李小麗さん(すでに迫害により死亡)が許那さん宅に宿泊中、真相資料の配布に出かけて不法にも逮捕されました。悪らつな警官は李小麗さんの電話帳から、許那さんの居場所を探し出し、7月3日、北京市国安課はまた許さんを逮捕しました。11月、北京房山中級法院は許那さんに5年という判決を下しました。

 許那さんは判決を受けてからまず、団河強制労働収容所に送られました。法輪功修煉に対する許那さんの信念はとても固く、悪らつな警官らは許那さんを苦しめるために、普通の受刑者が1年の訓練を経てやっと一日でやり遂げる仕事を、許那さんに無理やり強制しました。スリッパ生産部品の中で最も難しい作業は一日600組の靴の両側を作る仕事です。しかも、午の後仕事が終わると、別の受刑者らは部屋に戻って休憩を取るのに、許那さんだけは隔離された部屋に連れて行かれ、邪悟者(法を邪道に悟った人のことを指す)から様々な洗脳を強いられました。それが深夜の1時まで続きます。それから、もっぱら許那さんを転向させるために用意された受刑者らが、許那さんを部屋に連れてきて朝の6時になると、強制的に労働をさせました。邪悟者らは交代で許那さんに転向を強制し、師父の写真を踏み付けるように強制しましたが、確固として拒否すると、邪悪らは睡眠をとらせないなど方法を変えて苦しめました。許那さんは迫害をさんざんに受けつくして、心身とも極度に衰弱していましたが、揺ぎなく大法を信じており、少しも妥協しませんでした。しかも、ある集会で刑務所長が通りかかった際、許那さんは列から走り出て、刑務所の中で受けている様々な迫害の真相を報告し、早く迫害をやめて合理的な説明をするようにと要求しました。許那さんの正しい念正しい行いは邪悪らを恐れさせ、それ以降、許那さんの周りの環境は大きく改善されました。強制労働収容所に拘束されている間中、許那さんは転向させられなかっただけではなく、絶えず真相を説明する中で善の心と正しい行いで、多くの警官や受刑者を感動させました。1年後、他の刑務所に移動させられる時、受刑者らはみな涙で許那さんを見送りしました。

 2002年11月、許那さんは北京女子刑務所に移送されました。北京女子刑務所の中にはいわゆる三つの「転向隊」があり、一つは出監隊と言いますが(すでに転向されて満期を迎えた学習者たちが監禁されているところ)他の「転向隊」には70〜80人の法輪功学習者たちが拘束されています。刑務所全体では200人を超える法輪功学習者が拘禁されています。毎週2、3人の法輪功学習者がここに送り込まれるとのことです。許那さんはここでさまざまな苦しみを受け尽くしました。何度も小号(法輪功学習者を迫害するためにわざわざ作られた非常に狭い独房のこと)の中で7、8人の邪悪らに囲まれて、滅多打ちされる、強制的にあぐらをかかせられる、睡眠を奪われる、すでに用意された批判資料に強制的に拇印を押させる、雪の中で凍えさせる、一ヶ月余り洗面をさせないなどの拷問を受けた。このような極めて厳しい環境の中でも、許那さんは終始正しい念正しい行いで信念を曲げませんでした。許那さんはこの女子刑務所の中で転向させられていない唯一の大法学習者なのです。しかも警官と受刑者から尊敬される存在となっています。許那さんが他の転向隊に移送される度に、受刑者らは涙で見送ると言います。

 2003年3月19日、北京女子刑務所で大変悲惨な故意殺人事件が発生しました。四監区、区長の田風清の扇動下で邪悟者の李小妹、李小兵、?紅衛、劉淑霞らは裏の倉庫の中で「転向」を拒否した法輪功学習者・董翠さんを無残にも打ち殺しました。事件が発生してから匿名の告発状が北京市労働改造局に送られてきました。北京市労働改造局は調査員を派遣し、田風清は転勤させられました。聞くところによると、その後刑務所は口止めのため董翠さんの家族に3万元を支払い、殺人事件を覆い隠しました。刑務所側は許那さんが告発状を書いたのだと疑いましたが、許那さんは断固として否定しました。それ以降、許那さんは通常の面会でさえ許可が取り消されました。今なお18ヶ月にわたって家族と会っていません。

 2005年3月と4月、許那さんはまた移送させられ、単独で監禁されました。なぜなら、許那さんにはいかなる方法も効かないと分かっていたからです。警官らは許那さんにいわゆる「転向」の言葉を口にしませんでした。しかも、許那さんの前で一切「転向」の話をせず、誰かがそれを破れば、その人を厳重に処罰すると邪悟者らに命令を出しました。ただ、何人かの受刑者を付き添わせて仕事もさせず部屋の中でしたい放題にさせました。目的は許那さんを感化させるということです。しかしながら3ヶ月を過ぎても、許那さんは少しも感化されませんでした。それで公安部門の幹部と警官は交代で、初めは許那さんに洗脳の映像を見せながらメモを取らせました。見終わると討論を始めますが、結局警官全員が許那さんにおよびませんでした。警官らは許那さんにはいかなる転向方法も効き目がないと言いました。

 許那さんは現在、刑務所の中で警官らに対して公に堂々と、悪らつな警官の田風清が受刑者を使って残酷に許那さん自身とその他の法輪功学習者を迫害したこと、および殺人の犯罪事実を告訴すると表明しています。田風清は恐れてすでに辞職願を提出し、現在、刑務所の後方勤務部門で働き、受刑者管理職を離れています。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/1/13/118559.html