日本明慧


人生は70歳からスタート

 文/ヤン シューラン(台湾基隆)

 【明慧ネット2005年12月29日】師父、こんにちは。学習者のみなさん、こんにちは。

 私は今年73歳で、修煉を始めて4年経ちました。法を得て、この功法がとても素晴らしいとつくづく感じました。そのため、いつも精進するように自分を律してきました。昔から「人生70古来稀なり」と言いますが、「人生は70歳からスタート」と私は言います。年をとっていますが、師父がおっしゃった三つのことを、私は誰にも遅れをとらずに行っています。「この年でこんなに頑張っていることは、容易なことではなく、他の学習者の修煉にも役立つから、修煉の過程を書いて」と学習者に勧められました。

 この学習者の話を聞き、自分の修煉の過程を振り返ってみると、70歳まで乗り越えてきたのは、本当に容易なことではないと思いました。もちろんこれはすべて、大法の威力によるもので、年をどれだけとっていても、正しい念正しい行いをすれば、誰でもできます。以下は私の修煉の過程と体得したことで、適当でないところがありましたら、学習者の皆さんのご慈悲の指摘をお願いします。

 まず法を学ぶことから言いますと、師父は学習者が法を学び、法を学び、更に法を学ぶようにおっしゃいました。そのため、法を学ぶことはとても重要で、重視すべきだと私は認識しています。しかも私たちは、この上なく美しく素晴らしい世界から落ちてきたので、法に同化してはじめて、戻ることができます。そのため私はすべての時間を大切にし、法を学びます。法を得たばかりのとき、毎日3講、4講の『転法輪』を読み、一日に9講の『転法輪』を一気に読み終わった時もありました。一冊の『転法輪』を読み終わった後、疲れを感じず、かえってとても楽でとても心地よく感じます。

 朝、煉功場に行く道中、私は『論語』か『洪吟』を暗記します。煉功を終えて家に帰り、朝食を食べて本を読むと居眠りするので、いつも一講の『転法輪』を読んでから、朝食を食べます。最近、インターネットで真相を伝えることに参加し始めたので、時間にそんな余裕がありませんが、それでも毎日少なくとも2講の『転法輪』を読むように、自分に要求しています。時間がある時は、新しい経文または師父の各地での講法を読みます。

 私は法を勉強する時の姿勢がとても大事だと考えています。気が散らないように、法を勉強するとき、私はほぼ足を組んで読んできました。単盤もしくは双盤をします。法を勉強すると眠くなる時もありますが、気づいたら、私はすぐそれを否定し、「眠いあなたは私ではない、眠かったら、あなた自分で眠れば良い。私は法を勉強するので、私を邪魔しないでください」と睡魔に言うことで、睡魔の妨害を突破することができました。

 ある日、夫が二泊三日のツアーに一緒に行かないかと、私を誘いました。最初私は、「一緒に行ったら、その何日間、法の勉強ができないのではないか」と考えました。しかし「法を得てからは、ずっと夫と一緒に遊ばなかったので、大法弟子としては常に他人のためを考えなければならず、利己的であってはならない」と考え直し、夫の誘いを承諾しました。ツアーの時、私は観光バスに乗っている時間を大切にして法を勉強しました。同行者は、バスの中で大きな声で歌を歌ったり話したりしていましたが、私はぜんぜん影響されませんでした。2、3日間で、私は5講の『転法輪』を読みました。まさに『洪吟・道中』におっしゃった「視ても見不(ざ)れば、迷わ不(ず)惑わ不(ず) 聴いても聞か不(ざ)れば、其の心乱れ難し」の状態でした。

 続いて、また、煉功について言いますと、煉功の時、どんなに疲れても、絶対に居眠りしないように、法を破壊しないように、私はできるかぎり正しい姿勢で行います。とても忙しくて、眠る時間が少なく、目を閉じると居眠りする大法弟子がいます。煉功は、本体を変えるほか、法を広め、衆生を救い済度することでもあると私は思い、どんなに疲れても眠くても、できるかぎりしっかりとよく行います。マンハッタンで煉功して法を広めた時、どうしても私たちと一緒に煉功したいと言い、家族に時間がないと言われても、なかなか私たちの煉功場から離れたくない子供がいました。私たちの煉功場がとても穏やかでとても心地よく感じるため、常人はすぐ功を習いたくなり、一緒に煉功したくなります。

 正念を発することについても少し話したいと思います。発正念をする時、他の空間の光景が見えませんが、正念を発するのは衆生を救い済度するためで、もし正念をしっかりと発していないと、多くの衆生が救い済度されなくなると、私は認識しています。それで、正念を発するとき、心をできるだけ静め、いかなる妨害も受けないようにしています。以前、マレーシアに行った時、1人のマレーシアの学習者は、正念を発するたびに、居眠りすると言いました。「正念を発することの重要さを認識していないので、そうなったのであり、もし、正念を発することが、法を正す中で働らく作用を認識できれば、このような状態を必ず、変えることができます」とその学習者に言いました。ある学習者の話によると、正念を発するときに、居眠りする学習者の蓮の花は、花びらが閉じてしまい、一枚ずつ落ちていくことが見えたそうです。正念をよく発していなければ、邪悪を取り除くことができないばかりか、修煉の次元にも影響すると、私は認識しています。

 続いて真相を伝え、法を広げる過程を言いますと、私は長い間、台湾の故宮博物館の前で、法を伝え、煉功します。夏は太陽の真下で煉功して、とても暑いのです。しかし私たちは、故宮博物館に指定されたところでしか、煉功することができません。そこにはいかなる覆いもなく、直接太陽の真下でじりじり焼かれます。常人なら、たぶん15分間も我慢できませんが、そこにいつもたくさんの貴い中国人が来るので、衆生を救い済度し、法を実証するため、私たちは荷物を片付け家に帰るわけにはいきません。

 その時私はいつも心の中で『精進要旨(二)・位置』を暗記します。「一人の修煉者が経験した試練は常人にはとても耐えられないものゆえ、歴史上修煉して圓満成就できた人はほとんどいなかった。人間はしょせん人間であるがゆえに、肝心な時、なかなか人間の観念を放棄できず、かえっていつも何らかの口実を設け、自らを納得させようとしている。偉大なる修煉者とはすなわち、重要な試練にあった時、自我を放棄し、さらに一切の常人の考え方を放棄できる者である。わたしは、圓満成就できるか否かの試練を乗り越えてきた大法修煉者にお祝いの言葉を送りたいと思う。皆さんの生命の不滅なる永遠、さらには未来にいる次元まで、皆さん自らが切り開くもので、威徳は皆さん自らが修煉してできあがるものなのだ。精進しよう、これこそが最も偉大にして、最も殊勝なことなのである」。

 また、『洪吟(二)・正念正行』を暗記する時もあります。「大覚者は苦を畏れず、意志は金剛鋳造の如く。生死に対する執着なく、堂々と法を正す道を歩く」(非公式訳)。法に導かれて私は乗り越えてきました。

 台湾で法を広め、真相を伝える活動に参加するほか、マンハッタン、シカゴ、ワシントンDC、マレーシアや香港などにも行き、そこで行なった法を正す活動に参加しました。その中に最も印象が深いことがあります。私はマンハッタンへ、残酷な拷問実演に参加したいのですが、申し込む時すでに満員になりました。拷問実演に参加できなくても、ビラを配ったり、他の活動に参加したりして、同様に法を実証できるので、行かないわけにはいかないと思いました。マンハッタンに着いた後、拷問実演に申し込みましたが、来ていない学習者が2人いたため、私ともう1人の学習者は、拷問実演に参加しました。この事はとても深い印象を与えてくれました。私たちの正念が満ちていれば、師父は按排してくださると私は悟りました。

 拷問を実演するとき、私はずっと『論語』を暗記していました。当時マンハッタンでは天気が良かったり悪かったりし、朝晩の温度差も大きかったのです。日差しがとても強い日に、私は暑いと感じませんでした。また、どしゃ降りの雨で、骨を刺すような北風が吹く日に、私は終わるまでがんばりました。その後、学習者の話によると、当時多くのやじ馬が集まってきて、1人の米国の子供は、中国共産党による残虐な拷問を実演している私を見て、「やめなさい、かわいそう、おばあちゃんを自由にさせて」と悲しんで言ったそうです。 

 国内、国外に関わらず、私が宣伝ビラを配るとき、多くの常人は受け取ってくれます。それは、私がいつもにこにこし、礼儀正しいだからだと思います。例えば外国人に対して「Good Morning」、または「Thank You」と言い、中国人に対しては「ニーハオ(こんにちは)」、「シェイシェイ(ありがとう)」と言います。とても簡単な挨拶ですが、善意をもって話せば、大法の素晴らしさや大法弟子が衆生を救い済度する慈悲心を感じさせることができます。

 マンハッタンにいたとき、宣伝ビラを配っても、受け取ってくれる人が少ないと言った学習者がいました。もう1人の学習者は「表情をやさしくする」ように勧めました。確かに常人と接するとき、私たちは表情と態度に注意すると、よい効果を得ることができます。もちろん一部の人が宣伝ビラを受け取らないことにも遭いますが、この時、私はまず自分を探し、不足があるのではないか、直すところがあるのではないかと探して、そして正念を発し邪悪な妨害を取り除きました。そして人々は宣伝ビラを受け取ってくれるようになりました。

 香港にいた時、香港の学習者は、私ともう1人の台湾学習者に正念を発することを担当させ、他の学習者は宣伝ビラを配り、真相を伝えることを担当させました。その後宣伝ビラを配る学習者によると、私たちがそこで正念を発しているため、宣伝ビラを配る効果がとてもよかったといいます。この事を通して、私たち大法弟子は全体として一体ですので、一体となって協力し合えば、威力がとても強大なものになると悟りました。

 今、私はパソコンで法を実証することも行っています。大法に対する正しい信念と衆生を救い済度する願望をもって、私はマウスの左ボタン、右ボタンも分からないところから、今インターネットを利用して真相を伝えるようになりました。私のパソコンは自動的に真相を伝えるソフトがインストールされています。コンピューター技術サポートを担当する学習者は、ふつう、コンピューターの知識のある学習者に先に設定してあげて、その次に私のようなパソコンに対して何も分からない学習者に設定してくれます。こうすれば時間の無駄にならないと思っていました。でもその後技術サポートを担当する学習者は、このような考えが正しいとは限らないと言いました。例えば私がコンピューターに詳しくなくても、法を実証したい心がとても強いため、私に設定してくれるとき、かえってとても順調に感じたそうです。パソコンが動くようになり、真相を知りに私のパソコンにアクセスする人が少ないときがありますが、その時私はまず自分の心性の不足を探し、そして正念を発し、背後にある、法を実証ことを妨害する邪悪な要素を取り除きます。こうすると、真相を見にアクセスしてくる人がまた多くなりました。

 法を実証する活動に参加するほか、私はいろんな機会を利用し、真相を伝えます。ある日、台北に法を広めに行こうとして、バスに乗ると、運転手さんは「あなたは、どうして半額券を買うのか」と私に聞き、身分証明書の提示を要求しました。私の身分証明書を見て、運転手さんは「えっ!こんな年なんて、本当に見えない」と言いました。「それは法輪功を修煉しているおかげで、法輪功は性と命を修める功法で、修煉すればするほど若くなります」と私は説明し、法輪功のしおりを運転手さんに贈りました。「もし法輪功の詳しいことを知りたいなら、しおりにURLが書かれており、インターネットで調べられます」と私は言いました。運転手さんはとても喜んでしおりを受け取りました。私はバスに乗る時、いつもこういうことに遭いますが、私は面倒と思わずに、これも法を広めるよい機会だと思っています。

 私は仕事をしておらず、法を広める活動に参加して、煉功場に煉功に行くほか、多くの時間は家にいます。一日の時間が長いため、怠慢しやすく、大切な時間をおろそかにしても気づきません。時間のある私にとって、更に自分に厳しく要求すべきだと感じています。さもないとすこし多く寝たり、電話で多くしゃべったり、テレビを少し多く見たりして、一日はあっという間に終わってしまいます。「この瞬間は千金、万金に値します」(『シカゴ市での説法』)。失ってしまったら、永遠に失ってしまい、後悔しても間に合いません。

 「とても若く見える」、「とてもよく修めている」、「とても精進している」と私に言う学習者がいます。このほめたたえる言葉を耳にすると、私が耳にする一切のほめたたえは、みな試練で、学習者からの励ましは、更に私に精進する力を与え、また、いかなる歓喜心をも生じないようにと、自分に言い聞かせます。そのため他の学習者から「よく修めている」などの言葉を聞くと、怠慢になり、安逸を求める心が生じないように、私はさらに精進して、時間を大切にして法を勉強し、真相を伝えることに努めています。

 以上は私の修煉の体得です。ここで、自分がいかによく修め、いかに精進していることばかりを話していますが、実は私には多くの不足があり、多くの常人の心は取り除かれていません。でもこの交流文章の目的は、学習者のみなさんと共に励まし合い、共に高めるためなので、知らないうちに、自分の良く修めた面だけを書き、よく修めていない面は書いていませんでした。でもまだ修煉している人なので、過ちがないということはありえるでしょうか?

 最後に師父の経文『最後になればなるほど、精進すべき』をもって、学習者のみなさんとお互いに励まし合いましょう。「実は皆さん考えてみてください。今までの修煉者は一生を費やしてはじめて歩み終えるこの道のりでも、一刻も怠りませんでした。大法に済度される生命に与えられる果位を成就させようとする大法弟子は、修煉の中で最も利便な修煉法門があるのに、法を証明しながら修煉するというこの最も偉大な栄光が瞬く間に去っていく短い修煉の間に、なぜもっと精進せずにいられるのでしょうか」。

 師父ありがとうございました。学習者の皆さんありがとうございました。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/12/29/117499.html