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孟立軍さんは、済南天橋区の偽の裁判所で秘密に審判された

 【明慧ネット2006年1月20日】2005年12月末、済南天橋区の偽の裁判所は、なんの理由も言わず、車で孟立軍さんの夫を70〜80里離れた家から済南市まで連れて行った。車を降りた後やっと孟立軍さんを審判したことを通知した。開廷当日、20〜30人の警官が警備していて、所謂「秩序を維持する」という。

 孟立軍さんは、普通の善良な女性で、法輪大法を信仰し、「真・善・忍」に従って良い人間になるために努力した。これは社会にも良いことだ。しかし、99年7.20以降、孟立軍さんは江沢民集団と中国共産党に何度も迫害された。

 2002年、孟立軍さんは不法に3年間労働教養され、済南市ジャン水泉女子労働教養所に拘禁され、悪らつな警官に40数日間迫害され、瀕死状態になった。警官らは責任を負いたくないため、仕方なく釈放した。続けて迫害されることを免れるため、孟さんは路頭に迷うようになり、家があっても帰れなくなった。悪人たちはそれでも緩めず、何回も孟さんの家を調査し、家財を没収し、掻き乱した。

 2004年12月20日午後、済南市610オフィスの悪人達は、再び孟さんを不法に連行し、劉長山留置場に拘禁した。劉長山留置場で、孟さんは乱暴に灌食され、食道と胃はぼろぼろになった。悪らつな警官達は孟さんを小部屋に拘禁し、死人ベッドに縛り、両手両足を分け、別々にベッドの両端に縛った。一回目は連続10数時間拷問し、二回目は連続15日間拷問した。トイレも行かせず、ずっとベッドの上で、生理がきても、ナプキンを変えさせなかった。最後に孟さんは瀕死状態になり、やっと釈放され、家に帰ったが、ずっと監視され、いつでも逮捕される可能性があるため、孟さんは仕方なく路頭に迷うようになった。

 2005年9月27日、孟さんは再び不法に強制連行され、ずっと済南留置場で三カ月も拘禁され、灌食され、強制的に薬を注入される等の迫害を受けた。悪人達は孟さんを迫害するため、何の薬を注入したか分からないが、開廷したとき、孟さんが自分で弁護することもできなかった。判決書は、現在までまだ孟さんの親族に届いていない。

 孟さんが不法に審判された後、80数歳のお母さんはとても悲しくて、三日間でたった一つの饅頭しか食べられなかった。天橋区裁判所の話によると、山東省610オフィスが孟立軍さんに対する迫害に加担したという。


(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/1/20/119085.html