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遼寧省、内モンゴル、重慶の5人の法輪功学習者が迫害により死亡

 【明慧ネット2006年1月22日】法輪功の男性学習者・李宝清さん(34)は、遼寧省錦州市華光電子会社(もとは華光電子管工場)の宣伝部責任者で、人に親切で、思いやりがあり、体つきがたくましく、同僚達に尊敬されている。1994年法輪功の修煉を始め、積極的に法輪功を伝え広めた。

 1999年法輪功が迫害された後、李宝清さんは何度も北京に陳情に行ったが、何度も拘禁され迫害を受けてきた。李宝清さんは「真・善・忍」の信仰を放棄するよう強いられ、仕事も宣伝部から現場の仕事に左遷させられた。1999年10月に不法に2年の労働教養に処せられ、錦州市労働教養所に送られ、そこでいろんな非人道的な虐待を受けた。監禁された間に、会社は李宝清さんと他の3人の法輪功学習者を解雇し、社宅を引き取った。李宝清さんの奥さんは李宝清さんと離婚し、全ての貯金を持っていった。2001年、李宝清さんが釈放された後、独りぼっちになり、すべての生計の道を失った。学習者の助けと援助のもと、李宝清さんは真相を伝えることを行い続けた。しかし悪党の長期にわたる迫害により、李宝清さんは心身ともひどく傷つけられ、2005年7月3日に頭痛のため病院に運ばれる途中に、死亡した。

 法輪功の女性学習者・王亜芳さん(50)は、内モンゴル赤峰市敖漢旗金場溝梁鎮に居住。修煉する前に、糖尿病などいろんな病気を患っていたが、法輪功の修煉を始めた後、すべての病気が全快した。2002年に悪らつな警官に不法に家宅捜査され、やむを得ず流浪生活に陥った。悪党の長期にわたる迫害により、王亜芳さんは2006年1月6日に死亡した。

 法輪功学習者・張世玉さんは、1946年生まれ、重慶市織物工場に勤めている。1999年10月上旬、法輪功のために声をあげようとし、法輪功学習者・李桂華さんと一緒に北京に陳情に行った。1週間後、2人の家族のもとに、「北京に骨灰を受け取りに来るように」と連絡が来た。家族が北京に行ったが、悪らつな警官はいかなる事も尋ねさせず、いかなる情況をも答えなかった。重慶市に帰ってきた後、柩の安置部屋を設けたり、追悼会を開いたりすることも許されなかった。今日に至っても2人の死亡に関する詳しい情況は知らないままだ。

 法輪功の女性学習者・張桂華さん(74)は、遼寧省錦州市結核病院の定年退職者。96年に重病を患い、ベッドに横たわっていた。その後法輪功を修煉している娘さんの助けのもと、李先生の講法の録音テープを聞くことにより、不思議に歩けるようになった。7.20の後、娘さんが労働教養され、張桂華さんはこの巨大な打撃に耐えられず、いまわの際に、娘さんが編んでくれた毛糸のズボンを抱き、娘の写真を手に持ち、息を引き取らずに、娘さんとの最後の顔合わせを待っていた。家族は何度も馬三家労働教養所と交渉したが、人間性のない警官はどうしても親子の面会を許さなかった。張桂華さんは1999年11月末に憤慨を抱きながらこの世を去った。

 法輪功の男性学習者・姚漢章さん(74)は、張桂華さんの夫で、遼寧省錦州市結核病院の定年退職幹部。1996年法輪功の修煉を始めてから、患っていた広範囲の心筋梗塞や肺癌などは治療せずに全快した。7.20の後、法輪功を修煉する娘さんが監視され、尾行され何度も不法に強制連行され、公職も剥奪され、労働教養に処せられた。娘さんは馬三家労働教養所から釈放された後、姚漢章さんは娘の会社の書記を尋ね、娘さんが仕事に復帰できるよう求めたが、断られた。姚漢章さんは心身ともひどく傷つけられ、2000年6月25日に冤罪を晴らすことなく死亡した。


(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/1/22/119192.html