日本明慧


修煉体験を書くことも修煉だ

 文/河北大法弟子

 【明慧ネット2006年1月22日】私はやっとペンをもって修煉体験を書こうとしている。2004年に一回修煉体験を書いてから、今まですでに一年以上過ぎた。

 2004年11月に、集団で学法交流の時、一年くらい前に知り合った同修は私に、「貴方が書けるなら、書いてください」と言った。私は聞いて、ちょっとびっくりした。私達はお互いに知らないのに、彼女はどうして私が書けると思うのか、書く方面の執着を取り除くためかなと私は思った、弟子は師父の話を聞きます、私は必ず真剣に書きますと思った。

 大陸大法弟子の書面での修煉体験交流会は、大陸の厳しい情況下で、大陸大法弟子が全体として向上する機会を師父が提供された。私はずっと自分の執着で自分を妨げ、一回一回向上する機会を逃した。今度は必ず書きますと言ったが。考えるときはいいけれど、本当に書こうとしたときに、本当に難しいと思った。なぜならば、書くことも修煉だからだ。

 今回書こうと思ったときから、ペンをもって書くまで、10日近くかかった。書き始める日から現在まですでに一週間過ぎた。なにがあっても関わらず、私は必ず書こうと思った。第一回体験を書くときの失敗から書こう。

 2004年、私は明慧編集部が発表した大陸大法弟子修煉体験書面交流会の原稿募集の通知を見たとき、締め切り日まで一カ月もあった。一人の年配の同修は私に言った、「貴方が書いてみてください。あなたは、よく修めているから」などと言ってくれたので、私の歓喜心を起こしてしまった。私は論文を書いたことがあって、国家級交流討論会で賞を得たため(ほとんどあっちこっちから探してきたもので、自作のものは少なかった)、原稿を書くことは余裕があると思い(自慢)、あまり急がず、すぐには書かなかった。(だらけて、重視しなかった)

 締め切り日まで10日間くらいのときから書き始め、抜粋、かき集め、機械的に当てはめたりして、自分のものは少なかった、あっても自分を証明、顕示し、甚だしきに至っては悪党の文化の気味があった。今振り返って見ると恐ろしいと思った、修煉者が書いた修煉体験ではない感じだった。

 私はこの「修煉体験」を年配の同修に見せると、彼女は私に、「もっと修正してみて、具体的に書いて、自分のものをもっと加えれば」と言った。私は砂漠に建てたビルみたいに、崩れてしまい、頭は空白になった。締め切り日まで数日しかなかった。また修正するのは間に合うか?もし締め切り日を逃して、掲載されなかったら、書いたことは無駄になるではないか?(掲載に執着し、実は名利心だ)。私は焦った、書き直すのはもう間に合わないし、修正しようとしても、どこを修正すればいいか分からない。本当に難しい、もうすぐ締め切り日になる、後半だけ簡単に修正して、完成させた。急ぐため、清書せずに提出し、(適当)。貴方達がだめと思えば、修正してくださいと言った。(依存心)

 このような「修煉体験」が掲載されると思いますか?結果は思った通りだ。私は深刻な打撃を受け、それから二度と書くまいと思った、原稿を書くことは私の頭から消されたようだった。ここまで書いて、突然悟ったことは私を妨げる主な原因は、以上の執着心以外に、最も根本なのは大法に対する理解が浅くて、明慧への投稿、投稿の重要性をはっきり認識しなかったためだ。

 私は去年明慧週刊で、第二回大陸大法弟子修煉体験交流会の原稿募集の通知をみて、まったく無関心で、自分と関係ないようだった。本当に思い付かなかったのは、私はこんなにも麻痺していて、本当にたくさんの執着があったのだ。

 師父は、倒れたら、立ち上がってください、伏せていてはいけないとおっしゃった。私は一年以上伏せていた、まだ自分はうまく修めていると思っていた。私は今でも分かってないが、「必ず教訓を忘れず、多く学法し、精進し、本当に自分を修める。師父の正法の要求に従い、真剣に『三つのこと』を行う同時に、自分の修煉情況を、明慧へ投稿する。書く過程を修煉の過程だと思い、その中で向上する」と、決意した。

 ここまで書いて、一カ月以上かかったが、途中で書いたり、止まったりした。多くの妨害はあったが、私が書くという念は動じなかった。師父の加持の下で、やっと書き終えた。次元の限度があり、不足なところあれば、ぜひ慈悲に指摘願います。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/1/22/119130.html