日本明慧


正念と神通力を使って同修を救い出す

 文/大陸大法弟子

 【明慧ネット2006年2月2日】私たちの地域の大法弟子全員が協調して、2005年9月、ある労働教養所に入れられた女性の同修を救い出すことができた。その過程の中で、自分の心性がいかに高まったかについてお話します。
 
 同修を救い出すため、ある日家族が労働教養所に行って、同修を無罪釈放するよう求めた。同時に労働教養所の近くで発正念する同修がいて、さらに家で発正念する同修もいた。

 しかし、何日か後、同修を救い出せなかったことが分かり、どこに心性の問題があったかと内を探したが、何の問題も見つからなかった。その後、明慧週刊を見ていて、師父が同修の交流文章を通じて原因を教えてくださった。同修を救い出そうという話を聞いた時、頭の中に、必ず同修を救い出すのだという念が生じ、表面ではとても強い正念に見えるが、実際のところ、根本的に法理からの悟りではなく、大法より自分を第一に考え、自分を実証したい心が隠されていた。結果はもちろん言うまでもないことだ。

 天目が開いた同修が、その同修の家族の状態がよくない、家中に悪いものがいると言った。また他の同修が、外の者がいくら同修を救おうとしても、本人の状態がよくなければ無駄だと言った。

 私は2003年の春のことを思い出した。当時、同じくある男性の同修が拘禁され、私たち何人かがこの同修の救出のために一緒に発正念した。半月ぐらい経っても、その同修は依然として拘禁されたままだった。発正念する同修たちは動揺し始めた。ある同修が続けて正念を発するかどうかをみんなに聞いたところ、忘れたと言う同修や、もうやめたという同修もいた。そのとき、私は誰がやらなくても、同修が自由を得るまで、発正念し続けようと決意した。こうして数カ月後、その同修が見事に病院から脱出できたと聞いて、私は言い表すことができないほど感激して、大法の威力を感じた。

 拘禁された同修の状態がどうであれ、他の同修がどうであれ、師父の弟子である同修が拘禁されていれば、救援のために正念を発するのが私のやるべきことだと考えると、頭から全身を貫いて「ドン」と巨体な力を感じ、強大な正念が私の全宇宙範囲を震動させた。私は心の中で私の衆生たちに、あなたたちは私の衆生だから、それなら私と一緒に同修を救い出すまで発正念しようと決心した。

 同時に、師父が法理を明示してくださった。師父が佛法神通を与えてくださったのは、私たちに正念と神通を使ってあらゆる拘禁された同修を救う責任があるからだ。一人でも拘禁されることは、「三つのこと」がよくできていないことであるし、全力を尽くしていないことでもある。私は続いて正念を発して、同修を救い出すつもりでいる。一人でも多くの同修が自由の身になれば、もっと多くの衆生を救えることは明白だ。

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/2/2/119955.html