日本明慧


現象と本質について、邪悪の迫害手段を見分ける

 文/大連の大法弟子 大智

 【明慧ネット2006年2月19日】最近、明慧ネットに掲載された、北京、瀋陽で起きた事件の報道を見て、私は非常に悲しくなった。なぜなら、早期からそれに似た人たちと討論したこともあり、彼らの本性も知っていた。これは、ただ修煉する過程の少数、個別の現象だと思い込み、あまり重視できたなかった。

 これらの人たちには、大法と師父の教えてに反した過ちがあり、別空間の卑しい鬼に制御され、または按排されていた。ここでいくつかの現象について分析し、みなさんに注意を呼びかけたい。

 現象一:すでに円満成就したと自称し、法を学ばず煉功もしない、それぞれ名義を使って大法と関係のない講法を伝授していた。学習者の学法、煉功真相を伝えることを妨害した。

 本質:学習者が業を消し、苦しむことを恐れる心の隙に乗じて、近道を探す人心を利用して自分の魔性を放任する。

 現象二:一部の学習者との関係が親しいことを理由に、学習者がさらに高い次元に昇華することおよび師父に近づけるなどの虚言を撒き散らす。法輪大法の中にない、いわゆる男女双修などの形式を作り上げ、学習者が三つのことを行うことを阻害する。

 本質:一部のかつて過ちをおかしたが、師父に対して過ちを償いたいと思っている学習者をねらって、彼らが高い次元に執着し、師父のまわりに残りたいという人心および色欲などの誘惑を放下できない隙に乗じている。

 現象三:スパイの誘惑を受け、別空間からの信息に妨害され、学習者間の相互信頼関係を打ち壊し、偽の経文、書籍などを流布して学習者を妨害する。学習者が学法、煉功し、真相を伝え、発正念をすることを阻止する。

 本質:学習者の理性的でない状態および自分に対して責任を持たない人心の隙に乗じる。

 どのような学習者を騙す手段であろうと、その目的は、自分たちを高く吹聴し、学習者が学法することを阻止する。しかし、その背後には、さらに人に知らされていない罪深い目的を達成するためである。

 ここで、悪い例を挙げて、警鐘を鳴らしたい。大法こそが我々の唯一随うべき基準であり、我々が正しい路線を歩めるように指導し、彼岸にたどり着ける唯一の保障である。しかし、卑しい鬼たちの嘘と迫害の手段は、さまざまな偽計を通して、あなたを迷わせ、偽の道しるべで誘導し、修煉を無駄にさせる。(労働教養、実刑判決などは、すべて学習者が学法し修煉することを阻止する手段である)よって、皆さんくれぐれも注意してください!

 同時に、この種の人間に対して最も良い解決方法とは、それらに活躍する環境を与えず、それらの邪悪を暴露することだ。そして、邪悪に追随する人たちに、できるだけ邪悪の手法を伝え、邪悪から遠ざけるように進める。

 邪悪に追随したことのある修煉者に、しばらくの間は心を落ち着かせ、自分のやったことを省みるようにさせ、適切な処方箋を与えるべきである。なぜなら、これらの邪悪に追随していた人たちは、それらの環境の中で、真に法を理解することが難しいからである。

 妨害された同修たちが助けられ、正法修煉の道を最後まで歩むことができるよう願っている。修煉者のそれぞれには、乗り越えにくい関門があるが、乗り越えることのできない苦難はない。転んだら起き上がる、修煉はつまりあなたの意思を磨いているのである。我々が共に前進することを願う。最後に『転法輪』の一説をもって結びたいと思う。

 「『先生、なぜ、この問題を処理してくださらないのですか?』と、わたしに問う人がいます。考えてみてください。もし、修煉の道に生じる、あらゆる障害をことごとく整理してあげたなら、あなたはどのようにして修めるのでしょうか? 魔の妨害があってこそ、最後まで修められるか否か、真に道を悟れるか否か、妨害に動じずにいられるか否か、この法門を堅持できるか否かが、はっきりと分かるのです。荒波は砂を洗う、という言葉がありますが、修煉とはまさにそういうもので、最後に残ったものこそ、真の黄金なのです。このような形の妨害でもなければ、人の修めはあまりにもやさしすぎますし、わたしから見ましてもあなたの修めはやさしすぎます。あれらの高い次元にいる大覚者たちから見れば、「何をしているのですか? それが人間を済度することなのですか?」と、いっそう不平に思うに違いありません。進む道に障害が一つもなく、一気に最後まで修めようとするなど、そのようなものが修めと言えましょうか? 煉れば煉るほど楽になり、何ら妨害するものもないようでは、お話にもならないではありませんか? ですから、わたしもその問題を考えております。初期段階ではそうした魔をたくさん処理しましたが、いつまでもそれをしつづけるのもいけないことだと思っているのです。「あなたは彼らの修めをあまりにもやさしくしすぎています。人にはせいぜいその程度の難しかなく、人と人との間のこともたかが知れているのに、まだ、さまざまな心が捨てられていないのですよ! 迷いの中、あなたの大法そのものについて認識できるかどうかも依然として問題なのですよ!」と、他の人たちもわたしに言っています。そういう問題がありますので、妨害があり、試されることがあるのです。先ほどもお話しいたしましたように、それは魔の一つの形です。本当に一人の人間を済度しようとすることは非常に難しく、人を駄目にするのは実に簡単なことです。あなた自身、心がちょっとゆがんだだけで、すぐ駄目になるのです。


(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/2/19/121066.html