日本明慧


煙台公安、610オフィス:生きている賀秀玲さんを霊安室に!

 文/山東 徐承本 

 【明慧ネット2006年2月19日】私の妻の賀秀玲は2003年に文登(地名)で法輪功の真相資料を作ったため、煙台公安、610オフィスに不法に連行され、長期にわたり芝罘区留置場に拘禁され、残虐な拷問を受け散々苦しめられた。2004年3月11日午前7時30分、煙台公安、610オフィス、芝罘区留置場及び硫黄頂病院はまだ呼吸が止まっていない妻を霊安室に送り込み、霊安室で下半身を裸にさせ冷凍した。11時頃、この不幸なことが家族に伝えられ、霊安室に駆けつけたところ、その時妻の両目から涙が流れていたことに気付いた。

 私は妻がまだ死んでないことが分かり、急いで医師を呼んだ。医師は11時30分過ぎてやっと心電計を持って霊安室にやってきた。心電図から心臓がまだ鼓動していることが確認できた。心電図の試験紙が10数センチほど出た時、その結果を見た医師は慌てて心電図をずたずたに引き裂き急いで逃げて行った。 

 遺体の処置をする時、私達が心電図により妻の心臓がまだ鼓動していたというと、煙台警察・検察・裁判所の法医学者たちは病院の犯罪行為を覆い隠した。 

 下記は妻の賀秀玲が迫害を受け亡くなった時の遺体保管合意書である。

 1、 賀秀玲の遺体冷凍期間中、家族は随時会いに行くことができる、公安局、留置場など関連部門はいかなる理由であれ、阻止してはならない

 2、 法医学者が検死を行う時、必ず事前に家族に知らせなければならないこと、家族がいない時行った検死は無効である

 3、 家族の同意なしに火葬してはならない


                      担当者署名 張福田(留置場の責任者) 

 以上の意見に同意する。 

 2006年2月9日8時30分頃、私と親族が妻の遺体に会いに行った時、煙台葬儀場の人に「この人は知りません。公安の紹介状をもらって来てください」と言われ、私と親族はまた留置場に駆けつけて行ったが、守衛は入らせてくれなかった。私は情況を説明し、遺体保管合意書を見せた。それを見た守衛は、張福田はとっくに転勤したと言った。

 2月13日8時30分、私はまた留置場に駆けつけ所長の丁顕峰に会った。所長は張福田が決められないことなので、610オフィスを訪ねていくようにと言った。10時頃私は芝罘公安局に駆けつけ、610オフィスの所長・李文光に事情を説明した。李は姓が高という主任に会うようにと言った。高を探して事情を説明し、合意書を見せた。高は「私も伺いを立てなければならない、合意書には効力がない、それは張福田個人の行為である」と言った。それで私は「張福田がここを転勤したとしても、その人はいるのだから探し当てて調べてください。もし、その時上級機関からの承諾がなければ、彼も決して署名をしなかったはずです」と言い、そこでまるまる午前中待っていたが何の結果も得られず、仕方なく家に帰るしかなかった。 

 世の人々は賀秀玲さんが迫害を受け死亡した事件に関心を寄せてほしい。賀秀玲さんの遺体の有無は疑問である。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/2/19/121149.html