日本明慧

常人に保護を求める心は執着心である

 文/大陸の大法弟子

 【明慧ネット2006年2月22日】警察に留置所まで拉致されてから、私は少しも時間の無駄のないようにしてきた。懲罰を受けるとき、私は師父の説法を暗唱し、邪悪を取り除くよう発正念した。夜に自由に活動できるとき、私は刑事犯に真相を伝えた。担当の警官は、私が真相を伝えるのを聞き、法輪大法は正しいものであり、法輪功学習者はただ迫害されていることを知った。担当警官は、他の刑事犯らに、私に暴力を加えてはならないと指示を出した。数日経つと、担当だった警官は他の監獄に転勤になり、新しい担当警官にも続けて真相を伝えたため、新しい警官も真相を知り、仲良くなっていた。しかし、数日後に新しい警官も他の場所に転勤し、そのうち私も正々堂々と留置所から出た。

 数日前に、ある同修は「地元のある企業の書記は非常に人となりがよく、その書記の管轄化にいる大法弟子らはすべて彼に守られ、不法に投獄された大法弟子は一人もいなかった」と言った。それを聞いた私は、自分もその会社にいったらよかった、との一念が浮かび上がった。

 師父が最近出された経文を学んで、私は自分の執着心を見つけた。それは、常人の保護を求める心であった。常人であったとき、私は権力、財政のある人に対し、一種の敬意を感じ、彼らが社会で権力を通していろいろなことができるのを見て、非常に大きな影響力を感じた。修煉をしてから、この心は多少放下することはできたが、ときに浮かんでくることがある。

 師父が最近出された経文の中に、この問題について非常に具体的に書かれている。それを読んだ私は、大法弟子にとって一人の常人は非常に脆弱な存在であり、常人は大法弟子を保護することはできないと深く認識した。留置所のいたとき、私が大法に対する正念があったからこそ、邪悪が私に対して、私を迫害することができないようにすることが成功したのだ。それは、人間の世界では、担当警官が他の刑事犯らに、私に暴行を加えないよう指示したことに反映されている。その当時、私もこの法理を知っていたが、常人の保護を求める心が少し隠れていたため、担当警官が何人も交代していった。

 その企業の書記は担当を所轄する大法弟子たちを守ることができたのは、その本当の原因は、企業に勤める大法弟子たちが法をよく学び、正念をもって邪悪を取り除くことができたからである。

 この心に気づいてから、私はさらに修煉者と常人との関係を正しく認識することができるようになり、真相を伝えるときの正念がさらに強くなった。


(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/2/22/121388.html