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牡丹江の大法弟子・寧軍さん、迫害死亡事件の補充(写真)

 

 【明慧ネット2月27日】寧軍さん(男性、50歳位)は、牡丹江市西安区西二条路に在住していた。法輪大法をかたく信じたため、何度も不法に労働教養され、非人道的な虐待を受けた。指名手配されてから半年後の2002年9月9日、寧さんは牡丹江市赤旗病院で真相を伝えていた時、牡丹江市愛民公安支局に密告された。寧さんはその後拉致され、拷問を受け、迫害により危篤状態に陥った。2003年末、留置場は愛民公安支局に2度も危篤通知書を送ったが、役人は口実をつけて取り扱わず、彼に5年の刑罰を下した。2004年旧暦の正月前、寧さんは牡丹江刑務所に拉致され、引き続き迫害された。2004年9月、刑務所で危篤と診断された。2005年8月12日、迫害により死亡した。

 * 北京へ陳情に行き不法に労働教養された

 1999年9月、寧さんは同修と一緒に北京へ陳情に行き、不法に牡丹江第二留置場に拉致され、年末には強制的に洗脳班(送還場所内)へ送られて迫害された。寧さんは大法をかたく信じたため、2000年1月2日、再び役人に留置場に戻され、不法に2年間の労働教養をされた。

 2000年7月中旬、牡丹江四道労動教養所の出入り所は、全所から集めた20数名の拘禁された大法弟子にいわゆる「学習」を強制した。それは、強制的に洗脳を施す迫害だった。悪警官・邱成は、軍事教練の方式で大法弟子を迫害した。大法弟子・宋岩さん(現在不法に牡丹江刑務所に拘禁されている)の所から1冊の大法の書『転法輪』を探しだし、宋さんを殴ったり蹴ったりした。そして、出入り所の所長、悪徳警官・張俊栄は、出入り所の政治工作員、悪徳警官・李竜雨などを連れて、20数名の大法弟子を不法に身体捜査した。特に、張俊栄は自ら寧さんの顔を平手打ちし、握りこぶしで殴るなどの暴力を振るった。しかし、寧さんはそのような暴力に全く動じなかった。その時、李啓亮さん(迫害により精神異常になった)など、多数の大法弟子もめった打ちされた。

 留置場で、寧さんは迫害により、肝腹水となり、腹が異常に膨れてしまった。歩くのも困難になり、血尿が出た。それでも、不法な迫害を行う役人は寧さんの信念を変えられないため、彼を法輪功学習者を迫害する大隊に戻した。その後、寧さんは刑務所の警官の監視の下で入院し、肝腹水で永くは生きられないと診断された。労動教養所はしかたなく、寧さんを重病のための一時出所とした。

 寧さんが家に帰ってから5ヶ月後、管理課長・麻立彪と出入り所の政治工作員・李竜雨は寧さんを騙し労動教養所に再び戻して迫害した。9ヶ月も期限を超えて労働教養した後、2001年10月11日に釈放した。

 * 真相を伝えたために悪人に告発され、拷問を受け尽くし、不法に刑罰を下された

 2002年9月9日前後、寧さんは赤旗病院で真相を伝ええていた時、密告されて赤旗病院の従業員に不法に拉致され、めった打ちされた。派出所でまた丸一日迫害された後、愛民公安支局の刑事警察隊に転送され、連日連夜続いて拷問された。寧さんは全身にむくみが現れ、その後牡丹江第二留置場に拘禁された。

 牡丹江第二留置場では、所長・劉軍と悪徳警官・王強の指図の下で、3人の犯罪容疑者が寧さんを24時間眠らせなかった。王強は鉄製チェーンで寧さんを縛り、床に固定した。これは、普通は死刑囚あるいは重大な容疑者だけに使うものだ。毎日、ひとかけらの蒸しパンとミネラル・ウォーターの瓶の蓋にいれた水(あわせても二口もない)のみが与えられた。寧さんは虐待により足が腫れ、腰のように太くなった。悪人は彼が死亡することを恐れ、やっと手を放した。

 2003年末、留置場は調査部門の愛民公安支局に2度も危篤通知書を送ったが、役人は様々な理由や口実を言って取り合わなかった。寧さんが上告するのを恐れ、所長劉軍と悪警官・王強はわざと寧さんの重病を理由とした一時出所に賛成した。しかし、寧さんの身体がまだ完全に回復していないのに、不法な刑罰が下され、牡丹江刑務所に送られた。

 寧さんは5年の刑罰を下され、2004年旧暦の正月前に、牡丹江刑務所に拉致されて引き続き迫害された。2004年9月、寧さんは刑務所から危篤と診断され、市の病院での検査が必要となった。家族がお金を払った後、11月になって刑務所はやっと寧さんを公安病院に送り、重病のための一時出所とした。寧さんの父親たちが家に連れて帰った。

 * 同修と交流し 「三つのこと」に最善を尽くす

 寧さんは家に帰ってから、大法を学習し、心性を修煉することに専念した。また、同修と交流し、法を証明するために表に出てこない同修が法を証明することを助けた。法輪功迫害の真相を引き続き伝え、不法に拘禁された同修に手紙を書き、回り道を歩んだ昔の同修に呼びかけた。また外地にいる牡丹江の同修と交流し合い、共に法理に基づいて高まろうとした。長期の迫害を受けたため、寧さんは2005年8月12日に死亡した。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/2/27/121712.html